ディストピア社会における悲観的な人間像
横浜フランス映画祭2024でプレミアのLa Bête
昨年ヴェネチア国際映画祭でワールドプレミアを迎えた、ベルトラン・ボネロのLa Bête(獣)が公開になった。主演にレア・セドゥ、共演は準備期間に事故で亡くなったギャスパー・ウリエルに代わり、『1917 命をかけた伝令』で知られるジョージ・マッケイが扮している。
本作はヘンリー・ジェイムズの『密林の獣』に発想を得ているものの、1910年、2014年、2044年の3つの時代が交差し、独創的なストーリーに昇華されている。
冒頭はグリーンバックを背景に、セドゥ自身のオーディションで幕を明ける。目に見えない獣の存在に怯えるという設定だ。代わって時はベルエポックの1910年、既婚のガブリエルが、とあるパーティでルイに出会う。互いに運命的なものを感じるものの、ガブリエルには一線を越える勇気はない。彼女は近い将来、何か良からぬことが起きる予感に怯えている。
一方、2014年の舞台はロサンゼルスに飛び、モデルのガブリエルは孤独で、人との繋がりを求めているものの、女性に対するトラウマを抱える童貞ルイのほうが、彼女との繋がりを恐れる。さらに世界がディストピアと化した2044年では、ガブリエルの相談相手はAIで、感情は無難な社会生活を送るために必要がないものとされている。仕事と個人的感情の二者択一を迫られるガブリエルだが、彼女にとって過去の記憶は密かな心の拠り所だ。
なんと現代の我々の気分に直結する映画だろう。AIが管理する未来社会へのきわめて悲観的なヴィジョンに満ちている傍ら、愛を切望するロマンティックな映画とも言える。だが、安定した現在を失うことへの恐怖、愛することの恐怖が、人々を自ら閉塞した社会へと向かわせる。それが「姿の見えない獣」によって象徴されている。
本作はまた、メロドラマのフォーマットのなかで「女優」をテーマにした作品でもある。カメラは終始ガブリエル/レア・セドゥを見つめ続ける。まるで見つめることで、この女優の持つメランコリー、神秘的な謎を解こうとするかのように。
映画のエンドクレジットがQRコードで提示されるのも、現代社会に対する皮肉を感じさせる。