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「猫ちゅみ観察記」長島有里枝

第60回 6月6日の観察

 前回の観察記を書いている最中、こっちゃんがわーわー騒いで遊びを要求してきた。そういうことならと手を止めて移動し、ネットで注文するキャットフードに入っていた緩衝材の紙を絨毯の上に敷く。羽のおもちゃをカサカサ動かすと、低く屈んだこちゅみがうしろ足をすばやく交互に踏んで獲物にダッシュ、ズザザザザザーッと紙の上を2メートル近く滑ってくるので面白い。

 大人になったこっちゃんは、遊びにすぐ飽きてしまう。赤ちゃんの頃ほど夢中になれないお年頃だ。新しいおもちゃを出せばやや食いつきは良くなるが、そのためだけにまだ遊べるおもちゃを捨て新品に買い換えるのは気が引ける。代替案として、またたびをおもちゃにまぶしてみたものの効果は薄い。こうなると、猫を魅きつける遊びかたをヒトが開発する以外に手はない。いろいろ試すうち、ダンボールに開けた穴から羽を垂らし、中にいるこっちゃんを挑発する遊びがヒットした。

 穴の入り口で揺れるおもちゃを力強いパンチで叩き落とそうとするこちゅみが愛らしい。穴からそっと中を覗くと、興奮で瞳孔が大きく開いた猫と暗闇で目が合った。表情はあどけなく見えるが、目の奥は少しも笑っていない。瞳孔ガン開きの猫は真剣モード、何が起こっても不思議ではないので注意が必要だ。そのことが頭をよぎったのに、わたしはふたたび穴を覗いた。あっ!と思った時には、こっちゃんの強烈な左ストレートがわたしの右目を直撃していた。いったぁ、痛い、ううう、、、目が開かないっ! 悶絶しながらうずくまり、30分近く動けなかった。

 夜間救急で眼科がある病院に駆け込み、ついた診断は「角膜上皮剥離」。傷は黒目の上をキザギザに走っていて、異物感はその一部がめくれ上がっているせいで生じていますね、と医師が説明する。感染症が起こると失明もあり得るらしく、抗菌剤の入った目薬をもらって帰宅した。いつもなら玄関に迎えに来るこちゅみは、自己嫌悪のせいか気配を消して隅っこで小さくなっていた。こっちゃん、大丈夫よ。こうなるのわかっていて覗き込んだお母さんが悪かったのよ、ごめんね、こっちゃんは悪くない。出来る限り優しい声でそう話しかける。被害者が謝るこの図式がまかり通るのは、猫界と孫界だけだとしみじみ思う(飼い主と祖父母は、へりくだりや低い自尊心は一切なく本気でそう言ってのける)。

 不安な気持ちで二週間ほど眼科に通い、今週の頭にようやく完治を言い渡された。最後の視力検査では、右目の視力がなぜか上がっていた。レーシックに近い効果があったんちゃう?と家族にからかわれて鼻で笑ってみせたが、マジでそうかもしれないとこっそり思っている。

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著者略歴

  1. 長島有里枝(ながしま・ゆりえ)

    東京都生まれ。1999年、カリフォルニア芸術大学MFA写真専攻修了。2015年、武蔵大学人文科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。2001年、『PASTIME PARADISE』(マドラ出版)で木村伊兵衛写真賞受賞。10年、『背中の記憶』(講談社)で講談社エッセイ賞受賞。20年、写真の町東川賞国内作家賞受賞。22年、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)で日本写真協会学芸賞受賞。23年、『去年の今日』で野間文芸新人賞候補。主な個展に「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」(東京都写真美術館、2017年)、著書に『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』(白水社)、『こんな大人になりました』(集英社)、『Self-Portraits』(Dashwood Books)などがある。

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