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「猫ちゅみ観察記」長島有里枝

第57回 4月19日の観察

  昼近くにベッドを抜け出し雨戸を開けると、どこからともなく現れたこちゅみが窓辺のバリバリボウルに座る。ボウルの淵に交差させた前肢をかけ、アンニュイな背中をこちらに見せつけながら、開け放した窓の外を静かに眺めている。あのあと何度かこちゅみにマタタビを与えたが、初回ほどの食いつきはない。わたしのあげかたがまずいのか、それともチャックつき小袋で保存するドライ粉末は、香りが持続しにくいのか。ジャクソン・ギャラクシーのYouTubeで見た通り、マタタビを振りかけたり擦り込んだり、瓶に一緒に入れて放置したりしたおもちゃでも遊んでみたが、反応は薄い。

 こっちゃんのおやつくれくれコールはいっそう激しい。これまでなんでもコチュミイチバン!だったのにオハナを優先することが増え、ずっとうっすら我慢させているせいだ。こちゅみとの心の距離が開いたように感じることもある。暖かくなって布団に来ない日も増えたので、ますます寂しい。オハナからも距離を置いているように見える。抱っこした彼女を近づけると、ハナチューのそぶりは見せるがイカ耳のままだ。オハナからなにか感じとっているようで、それがきっと「恐怖」じゃないかと思うのは15歳の頃、自分が死ぬ間際の祖母に感じていた気持ちを思い出すからだ。当時、不穏ななにかが祖母を少しずつ侵食していくのがわたしに見えた。その様子を眺めるのは本当に辛くて、いつも祖母のお見舞いから逃げた。心配していなかったわけじゃなく、ただ、本当に怖かったのだ。

 こっちゃんの遊びたいタイミングと、わたしの手が空くタイミングが微妙にかみ合っていない気がする。夜、こちゅみがテーブルの上にきてパソコンの隣に座ったので、ここは片手間じゃダメだと思い仕事を中断する。こっちゃんに意識を集中し心を込めて撫でてやると、こっちゃんも喉をぐるぐる鳴らして目を細める。顔を舐めてきたので、普段は痒くなるからしない毛繕いを返した。両手でこちゅみの顔を挟み、おでこの上に自分の顔を滑らせる。しばらくそうしていると、わたしの手を右手で押し下げようとする。てっきり、おやつの催促かと思ったが違う。気持ちを測りあぐねているわたしの手を、こちゅみが同じ動作で繰り返し押し下げる。では、と両手を喉の下に移動すると、そうそう、そこなの、と言うように顎を上げる。下から眺める顔は、赤ちゃんみたいにあどけなくて泣きそうになった。ぎゅっと抱きしめたくなったけれど絶対逃げられるので、ぐっと我慢する。

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著者略歴

  1. 長島有里枝(ながしま・ゆりえ)

    東京都生まれ。1999年、カリフォルニア芸術大学MFA写真専攻修了。2015年、武蔵大学人文科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。2001年、『PASTIME PARADISE』(マドラ出版)で木村伊兵衛写真賞受賞。10年、『背中の記憶』(講談社)で講談社エッセイ賞受賞。20年、写真の町東川賞国内作家賞受賞。22年、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)で日本写真協会学芸賞受賞。23年、『去年の今日』で野間文芸新人賞候補。主な個展に「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」(東京都写真美術館、2017年)、著書に『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』(白水社)、『こんな大人になりました』(集英社)、『Self-Portraits』(Dashwood Books)などがある。

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