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書評

【書評】ウエルベック『H・P・ラヴクラフト:世界と人生に抗って』 [評者]大野英士

『H・P・ラヴクラフト:世界と人生に抗って』
ミシェル・ウエルベック 著 星埜守之 訳
国書刊行会 1900円+税


[評者]大野英士

20世紀文学史の見直しを迫る

 森瀬繚による『クトゥルーの呼び声』(星海社FICTIONS/講談社)の出版を機にH・P・ラヴクラフト・ルネサンスとも言うべきこの20世紀前半の怪奇小説作家への再評価の波が生じている。その中、昨年イスラム政権の支配するフランスに生きることを強いられたユイスマンス研究者という設定を持つ『服従』で衝撃を与えたウエルベックのラヴクラフト論が出版された。この評伝は何とウエルベックの処女作にあたるものだという。

 ウエルベックのラヴクラフト論の注目点は、ラヴクラフトの技術的精錬、その「神秘的ドラマトゥルギー」によって彼の「宇宙的恐怖」がどのように生成するかという精緻な分析もさることながら、20 世紀文学を新たな視点で評価することにより、「軟弱な前衛諸派」が忘却の淵に沈んだ後、これまでマイナーな大衆文学作家と見なされがちだったハワード、ラヴクラフト、トールキンこそが20 世紀の「主流」となることを予測していることだ。「アレクサンドル・デュマ」も「ジュール・ヴェルヌ」も凡庸な作家ではなかったが、「ベーカー街の探偵」を生み出したコナン・ドイルのスケールには到底及ばない。それと同じ現象が、この先、生前には文学においてほとんど収入を得られなかったラヴクラフトを廽って起こらないと誰が言えようか? 抑制とは真逆の「仰々しい誇張」に満ちた嘆かわしい文体。しかし、こうした「過激さ」こそ、「本物」の愛好者を熱狂させてきたものなのだ。

 一方、ウエルベックは、H・P・ラヴクラフトにおいてこれも閑却されがちだった彼の人種主義的憎悪に正当な関心を寄せ、彼の「恐怖」の背後に、ニューイングランドの教養あるジェントルマンたる白人(である私)が、生=性+金銭への欲望に忠実な有色人種、混血人種たちの犠牲にされるという彼の脅迫的、マゾヒスティックな妄想の存在を指摘する。H・P・ラヴクラフトにおいて見られる性と金銭への完全な無関心、フロイトに関する蔑視は、彼の恐怖の生成に際して彼が「排除」(完全に精神分析的な意味で)したものの在処を見事に指し示しているとはいえないか?

 練達の訳者によって、あたかも、原文が日本語で書かれたかのような錯覚を覚えるほど、読書の快感にたゆたう幸福を与えられた。

(おおの・ひでし/早稲田大学他非常勤講師。著書『ユイスマンスとオカルティズム』、『ネオリベ現代生活批判序説』(共著))

◇初出=『ふらんす』2018年4月号

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