【書評】マルクス『文人伝:孔子からバルトまで』 [評者]澤田直
『文人伝:孔子からバルトまで』 ウィリアム・マルクス 著/本田貴久 訳 水声社 3200円+税
[評者]澤田直
連綿と続く文人たちの営み
文学への訣別、書物の終焉、人文学無用論といった寒々しい言葉が巷に溢れ、文学と読書を愛する者たちは意気消沈し、暗澹たる気持ちで後ろ向きになりがちだ。人文的なものを取り巻くそんな悲観的眺望に一筋の光明を投げかける本の邦訳が出た。『文人伝』は、書物とテクストをこよなく愛す者に、本のある人生の意義を再認識させてくれる快著だ。
本を愛すると言っても、愛書家(書痴、書豚、書狼) の話ではない。「文人lettré」とは、「テクストや書物のなかに生き、それを糧とし、それに命を与えること、そしてとりわけそれを読むことに人生を費やす」人を指すために著者が戧出した言葉だ。その意味で、作家や思想家はもちろんだが、文献学者や文学研究者、翻訳家もまた文人である。
著者は驚異的な博覧強記ぶりによって、ギリシア・ローマ文明はもとより、東洋の古典にも言及しながら、古代から現代まで連綿と続いてきた文人たちの営みを、24 の主題に絞って活写する。
誕生に始まり、身体、性別、時間割、教育、試験、書斎、経済、家、庭、動物、性欲、食事、憂鬱、魂、宗教、論争、アカデミー、政治、戦争、戴冠、島、夜を経て、死にいたるまで、あらゆる角度から古今東西の文人たちの生がさながら絵巻物のように描かれる、読者は、有名無名の逸話を文字通り堪能できる。
だが、本書の魅力は、逸話の妙よりも、文人を取り巻く要素の一つ一つへの鋭い分析と考察にある。著述や読書は精神的な営為とされるが、それがいかにさまざまな物質性によって支えられているかが見事に指摘されているのみならず、時代性や経済を重視する姿勢も秀逸だ。例えば、多作で知られるプルタルコス(彼はデルポイのアポロン神殿の祭司だった)があの膨大な著作を書くことになった背景に、宗教の衰退を読み取るアプローチには目から鱗が落ちる思いがした。
書物の力は、本書が自ら体現しているように、時空を超えて文人たちの交流が絶えず行われてきたという一点に収斂する。確かに、一人の文人が死ぬとき、彼とともに消えてなくなるものがある。だが、残存し、継承されるものもある。その教え、弟子、そして、テクスト、書物。この事実は今後も変わることはなかろう。そう思うとき、私たち文人の未来はけっして暗くはないと安堵するのだ。
(さわだ・なお)
◇初出=『ふらんす』2017年7月号