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書評

【書評】西迫大祐『感染症と法の社会史:病がつくる社会』 [評者]小倉孝誠

西迫大祐 著
『感染症と法の社会史:病がつくる社会』
新曜社
3600円+税

[評者]小倉孝誠

病からみる都市統治の原理

 本書は18~20世紀初頭のフランスを舞台にして、感染症と社会の関係を問いかけた手堅い研究である。フーコーの〈生=権力論〉を踏まえつつ、病が同時代人にどのように認識され、それが都市の法や統治にいかに波及したかを明らかにしようとする。

 問題になる感染症は2つ。まず、1720年にマルセイユを襲ったペスト。次に、19世紀半ばに数度にわたって蔓延し、パリを恐怖に陥れたコレラ。どちらも細菌が発見される以前のことで、病因を特定できず、したがって感染経路がよく分かっていなかった時代である。

 ペストの原因とされたのは、腐敗した空気であり、悪臭である。ミアズマ(瘴気(しょうき))理論と呼ばれ、都市の衛生向上への配慮をうながすことにつながった。病の原因が都市空間の内部に、つまり近くに住む貧民や、監獄や、墓地に潜むとされた。そうなると、都市統治の原理が変わる。ペストが外部から来るものならば、例外的に港や流入物資を封鎖すればよかったが、感染が内部から生じるのであれば、監視は日常的に必要になる。

 19世紀のコレラは、異なる次元で衛生の問題を提起した。パリの衛生委員会は、病の原因や蔓延の経路を突きとめられない。ただひとつ確認できたのは、貧しい労働者たちが密集する区域でコレラの発症と犠牲者がきわだって多かったことで、そこから貧困、不衛生、過密、道徳的頽廃がコレラの蔓延を助長するとされた。こうして身体衛生と社会衛生が結びつけられる。貧しく、悪徳に染まった労働者階級がコレラの原因、つまり社会の脅威なのだ、と。衛生委員会の一員ヴィレルメは、労働者の「危険性」を論じた社会改革家でもあった。

 1849年にコレラが流行した後、議員ムランが事態を改善しようと、貧困者を扶助するための社会保障案を議会に提出した。ムラン法は制度として採用されたが、衛生向上のための施策が個人の自由を制限することへの懸念が強く、実効力に乏しかった。1902年になってようやく公衆衛生法が制定されるが、それは1880 年代に細菌学が進歩して感染症の原因が特定されたことで、衛生の問題が私的自由の範囲を越えて、公的な管理の問題に移行したからである。感染症への対処は、都市の社会統治のまなざしの変遷をあざやかに示しているのだ。

(おぐら・こうせい/慶應大学教授。著書『革命と反動の図像学』『ゾラと近代フランス』、訳書ユゴー『死刑囚最後の日』)

◇初出=『ふらんす』2019年2月号

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