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書評

【書評】ジャブロンカ『私にはいなかった祖父母の歴史:ある調査』 [評者]小倉孝誠

イヴァン・ジャブロンカ 著 田所光男 訳
『私にはいなかった祖父母の歴史:ある調査』
名古屋大学出版会 3600円+税


[評者]小倉孝誠

沈黙のさざめきに耳を傾ける


 ユダヤ系ポーランド人の血をひく著者が、自分の祖父母の生涯を再構成することをつうじて、20世紀ヨーロッパ史の1章を書き直そうとした本である。

 ポーランド東部に生まれた祖父マテスは、1930年代に共産主義に共鳴して社会運動に身を投じた。正義感に燃えるマテスにとっては、共産主義を標榜することが、自由のための闘いだったのだ。しかし当時のポーランド当局から見れば、ユダヤ人も共産主義者もうさんくさい。彼は二重の烙印を負って投獄される。

 出獄後、マテスは1937年夏パリに居を構え、妻イデサは翌年春、マテスに合流する。彼らは最初「不法外国人」として内務省の監視下に置かれ、その後は「ユダヤ移民」として扱われる。腕のいい職人だったマテスは2人の子供に恵まれ、静かな生活を期待できるはずだった。しかし戦争の勃発にともない、「フランス軍兵士」として召集され、北部戦線に送られて生死の境をさまよう。フランス政府は、不法外国人を臆面もなく兵士として戦場に送ったのである。

 ヴィシー政権下のユダヤ人狩りにあって、マテスとイデサは逮捕され、ドランシー収容所に移送される。そこから彼らが子供に書き送った最後の痛切な葉書の日付は、1943年3月2日である。フランスの反ユダヤ主義はヴィシー政権と共に始まったものではなく、すでに第三共和政末期から根強い流れとして存在したことを著者は指摘する。

 歴史に翻弄されたユダヤ人の、絵に描いたような悲劇である。しかしそれが単なる個人の悲劇に終わっていないのは、家族が保存してきた資料、公文書館の史料、関係者へのインタビューによって、歴史家がつねに集団的なドラマの真相に迫り、ときに思いがけない事実を炙りだすからだ。個人史の細部が、時代の諸相を論じた堅実な研究によって補足されて、意味を肉付けされていく。その知的な往還はみごとである。「歴史を研究すること、それは沈黙のさざめきに耳を傾けることである」と著者は言う。

 達意の邦訳で、一気に読ませる。ジャブロンカは昨年『レティシア』でメディシス賞を受賞した。こちらは2011年に起きた女性殺人事件の経緯をたどりながら、現代の家族、社会、司法の問題を鋭くえぐり出す。独特の叙述スタイルをもつ注目に値する歴史家である。
(おぐら・こうせい/慶應義塾大学教授)

◇初出=『ふらんす』2017年12月号

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