【書評】ムリス『わたしが「軽さ」を取り戻すまで:“シャルリ・エブド” を生き残って』 [評者]鵜野孝紀
カトリーヌ・ムリス 著
大西愛子 訳
『わたしが「軽さ」を取り戻すまで:“シャルリ・エブド” を生き残って』
花伝社
1800円+税
[評者]鵜野孝紀
ユーモアと皮肉を交えた「再生」の物語
著者はフランスを代表する女性バンド・デシネ作家。週刊風刺新聞「シャルリ・エブド」の専属画家(2005-2016)として働く傍ら、文学作品や近代絵画をモチーフに描いたMes Hommes de lettres(「わたしの愛する文学者たち」)、Moderne Olympia(「現代のオランピア」)といった作品が高く評価されている。
本作は、当日編集会議に遅刻したため2015年1月7日に発生した「シャルリ・エブド襲撃事件」の惨劇から逃れた著者が、事件のトラウマから立ち直る過程を描いた「再生」の物語である。事件後の日々をどのように生き、突然同僚の漫画家たちを失った絶望・無力感をどのように克服していったのか、ユーモアと皮肉を交えて語っている。
事件後、近隣のリベラシオン紙社内に仮の編集室が設けられ、翌週の次号を「生存者の号」と名づけ発行を続ける「シャルリ」だが、事件のショックから何も考えられず絵も描けず苦しむ著者。
「私はシャルリ」を合言葉に巻き起こった1月11日の大規模な反テロ集会。警察の保護下に置かれ身辺警護がつき、マスコミの取材攻勢にあうなど、事件後の怒涛の日々に翻弄され、戸惑い、悶々とする自身の姿が赤裸々に描かれる。そこで脳裏に浮かぶのは自分を報道マンガの世界に導いたカビュ、シャルリを創刊時から支えたヴォランスキ、怒れる編集チーフだったシャルブなど、テロの凶弾に倒れた同僚の漫画家たち─。
大学で近代文学を修めた著者にとって、文学に心の癒しを求めるのは自然なことだった。お気に入りの作家プルーストが愛したカブールのグラン・ホテルを訪ね『失われた時を求めて』の世界に浸り、ゴンチャロフを翻案した芝居を観る。子ども時代を過ごした田舎の空気を吸い、ようやく襲撃現場に戻る勇気を得た。
事件のトラウマ「1月7日症候群」を、「スタンダール症候群」(洪水のような美を前にして気を失いそうになる現象)で相殺しようとローマのヴィラ・メディチの滞在型芸術家支援プログラムに応募し、スタンダールの『ローマ散歩』を追体験する。
著者の筆は写実的で優雅でありながら俗っぽいカリカチュアが散りばめられ、そのバランスが絶妙。シャルリ・エブド事件の当事者が事件後1年かけて自分を見つめた記録であると同時に、ユニークな芸術賛歌となっている。
(うの・たかのり/フランス語翻訳・通訳、漫画コーディネーター。訳書『はちみつ色のユン』『ねこのミシェル』)
◇初出=『ふらんす』2019年6月号