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書評

【書評】サトゥフ『未来のアラブ人』 [評者]大西愛子

リアド・サトゥフ 著 鵜野孝紀 訳
『未来のアラブ人:中東の子ども時代(1978-1984)』
花伝社
1800円+税

[評者]大西愛子

絶妙な距離で描く「子どもの見た世界」

 リアド・サトゥフはシリア人の父とフランス人の母を持つ大人気バンド・デシネ作家だ。本書は親の都合でフランスと中東との間を行き来しながら成長する自身の自伝的作品である。フランスでは既刊4巻すべてがベストセラー、多くの賞に輝いた。なお、予定では全6巻で完結、2020年末には第5巻が刊行される。

 この秋ようやく日本でも第1巻が翻訳刊行(鵜野孝紀訳)され、サトゥフも来日して各地で精力的にイベントを行った。また彼の監督映画『ジャッキーと女たちの王国』も上映され、ファンたちはその多才ぶりを存分に堪能できた。

 本書第1巻のサブタイトルは「中東の子ども時代」。フランス、リビア、シリアを行き来するリアド少年が描かれている。ヤマザキマリ氏との対談(司会:藤本由香里)で、作者は身体で受け取る感覚的な情報を表現したかったと言っている。確かに行き来する国々の背景の色が変わったり(フランスはブルー、リビアは黄色とか)、人々の体臭など、匂いや色など感覚的な情報が多い。子どもの目線は大人のそれよりも低いため、地面からの情報も多い(動物の糞や虫、ネズミ、埃など)。子どもの世界は実に狭い。新たな情報は既得の情報に照らし合わせ、なんとかつじつまを合わせていく。そこには如何なる価値判断もない。現在の日本人の感覚からはぎょっとするような場面も出てくる。政治的・社会的な側面も描かれてはいるが、あくまで子どもの見た世界であり、彼にとっての真実ではあるが、必ずしも現実の姿ではない可能性もある。またこれも子ども特有の現象だが、興味のないことはまったく目に入らないようだ。弟の誕生は彼にとって突然のことだったが、直前に描かれている母親の姿から妊婦を想像するのは困難だ。おそらく母親のおなかが大きくなっていくのに気づかなかったのだろう。そんな世界を見ている自身の子ども時代を描いているのが大人になったサトゥフだが、彼の視線は俯瞰的で、そこからなんともいえない絶妙な距離感がかもし出されている。

 版元の花伝社はここ数年、社会派海外コミックスを意欲的に刊行している。本書の第2巻も既に翻訳刊行が決定している。これにとどまらず全6巻の翻訳出版が実現されることをファンとして切に祈るものである。

(おおにし・あいこ/翻訳家。訳書『ブラックサッド』シリーズ、ムリス『わたしが「軽さ」を取り戻すまで』)

◇初出=『ふらんす』2020年1月号

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