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書評

【書評】堀真理子『改訂を重ねる『ゴドーを待ちながら』:演出家としてのベケット』 [評者]たけだはるか

『改訂を重ねる『ゴドーを待ちながら』:演出家としてのベケット』
堀真理子 著
藤原書店 3800円+税


[評者]たけだはるか

仄かに瞬く記憶の残り火をはこびながら

 来るともわからないものを待つ退屈で不安な日々は、ナチス占領下、南仏の村に潜伏し、レジスタンス分子として情報伝達任務につき、だれが来るとも、ほんとうに来るともわからないままに、ただ待ちつづけた異邦人ベケットの日々そのものであった。ヴラジーミルに人参をせがみ、ポッツォが地べたに投げた肉をしゃぶるエストラゴンの情けのないような空腹も、作家自身が伴侶シュザンヌと生きた飢餓の経験の戯画だった。そしてその日々は、本書が強調するように、ヴィシー政権の闇を生きた「自責の念と喪失感でいっぱい」のフランス人たちの日々でもあった。『ゴドー』初演の53年、フランスの心の傷は癒えていなかった。

 ベケットが『ゴドー』をはじめて演出するのはそれから20年以上を経た75年だ。それは66年以降、映像や舞台において作家が演出家として試みた挑戦が成熟し、『あしおと』や『幽霊トリオ』など、80年代へ続く創作が模索された時期に重なる。時は流れていた。俳優の身体の動きと声のリズムやトーンが音楽性を生むこと、「バレエのような動き」が身振りによって「視覚的な詩」の空間を創出することなどが重視され、様々な改訂が加えられた。せりふ劇をつくらなくなっていた作家による75年、そして84年のせりふ劇の演出は、以前とは想像以上に異なる『ゴドー』を誕生させたはずで、本書が提示するベケットの「演出ノート」の分析に、ちがいをこの目でみてみたい、と叶わぬおもいが沸きたつ。

 冷戦から緊張緩和へ。75年の世界も穏やかではなかった。ベケットは、『ゴドー』に散らばる個人的な記憶に暈かしを入れて「曖昧化」した。それによって、第二次世界大戦を背景とした作品が「普遍化」され、より広い文脈で人々の共感を得ることにつながった。ところで、普遍化されたとしても作家個人の戦争体験の痕跡がそこにたしかにある、そのことはけっして忘れてはならない、そんな著者堀真理子の切迫した訴えが響くのを、本書を通してたえず感じるような気がした。すると、時が変改してなお受け継がれる作品の柔軟性を維持するのは、作家個人の深刻な記憶の痕跡なのかもしれないとおもえてきた。それは暈かされるほどに、残り火のように彼方此方で仄かに瞬く。それが消えさえしなければ、かたちを変えても作品は、未来にその命をつないでゆくのだろう。

(たけだ・はるか/中央大学他非常勤講師。20 世紀フランス文学。共著『声と文学 拡張する身体の誘惑』)

◇初出=『ふらんす』2018年2月号

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