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書評

【書評】真屋和子『プルーストの美』 [評者]高橋梓

真屋和子 著
『プルーストの美』
法政大学出版局
3700円+税


[評者]高橋梓

受け継がれる芸術家の「眼」

 プルーストを読んだ人は、ほぼすべて「まるで自分のことを書かれているようだ」という印象を持つ。しかしそれはほんの入り口に過ぎない。『失われた時を求めて』を読み進めるうちに、私たちはふとした街中の光景や自然の風景に敏感になり、蘇る過去に注意を奪われるようになる。それはプルーストの「眼」が私たちの体内に宿った証なのだ。

 このような不思議な魔力を持つプルーストもまた英国の美術評論家ジョン・ラスキンの「眼」を体内に宿していた。本書はそれを実証的かつ多角的に論証する作品である。芸術家の「眼」が次世代に継承されるプロセスを知る上で最適な作品であり、プルースト研究者のみならず多くの人に読んでもらいたい一冊だ。

 科学主義が隆盛する19世紀にあって、表層の客観的な観察よりも、内なる精神が作り出す「印象」を重んじたラスキンの思想に触れることで、小説執筆に行き詰まっていた若きプルーストの芸術観は、新たな形へと変貌を遂げる。『アミアンの聖書』の翻訳を経て、フランスの宗教芸術を様々な時代・文化に属する美と結びつけて論じるラスキンの「眼」に感銘を受けたプルーストは、異なる二つのものの間に共通する要素を見出し結びつける技法の探究を続ける。この姿勢は『失われた時を求めて』の芸術観の骨子とも言うべき「隠喩」の創造に発展する。著者はプルーストの文学・絵画の理解とラスキン受容の関連を探り、「隠喩」の概念の形成過程を実証的に明らかにする。

 本書はプルーストとラスキンの関係を巡る考察を中心としながらも、有名なプティット・マドレーヌの挿話を飲み物(菩提樹のハーブティ)の側から捉え直す考察や、プルーストのベートーヴェン受容など、多彩な議論が詰まっている。いずれの分析においても、私たちは小説執筆を志し、挫折し、工夫を重ねる人間プルーストの息づかいをはっきりと感じ取ることができるだろう。

 著者が述べるように、プルーストはラスキン研究が隆盛した時代を生き、文学作品の創造によってその「眼」を普遍化させた。本書を読み終えて思うのは、プルーストの翻訳や専門書に恵まれた時代を生きる我々の幸福である。プルーストがラスキンの「眼」を受け継いだように、今を生きる我々もまたプルーストの「眼」を次世代に継承せねばならない。

(たかはし・あずさ/近畿大学講師。国際文化学。仏文化・仏語教育出張ワークショップ:http://azunyan-project.com

◇初出=『ふらんす』2018年10月号

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