【書評】伊藤洋司『映画時評集成 2004-2016』 [評者]中条省平
『映画時評集成 2004-2016』
伊藤洋司 著
読書人 2700円+税
[評者]中条省平
自在なフットワーク、多面的な批評
「集成」の名にふさわしく2004年から16年にかけて、1370本(!)の映画に言及し、論じています。比較しうる偉業としては山根貞男の『日本映画時評集成』がありますが、あちらは題名どおりストイックなまでに日本映画に限定した時評であり、いっぽう、伊藤洋司氏の本作は、国境と時代をやすやすと越えるネコ科の動物を思わせる自在かつしなやかなフットワークに特徴があります。
そして読みはじめてただちに実感するのですが、伊藤氏の操る言葉にはすばらしいスピード感があります。短い字数で語るべき内容を的確な言葉で読者の心に刻みつける。その時評の倫理ともいうべき潔い姿勢が、まず何よりも言葉のスタイルとして実現されていることに驚きます。映画監督でいえば、どんなに多彩なジャンルを扱っても、即座にその作品にとって最も適切な語り口を編みだすハワード・ホークスのような資質があるといって過言ではありません。
ですから、分厚い本書を最初から終わりまで時代の息吹を肌に感じつつ順に読み進めることも可能ですが、自分の好みと感覚の閃きに応じて、飛ばし読み、拾い読み、脱線、道草をしつつ読んでも、毎回、刺激的な話題が次々に出てきて、ページを繰る手が止まりません。エンタテインメントとしても上出来で、見たくてたまらない映画のリストがどんどん長くなっていくことでしょう。
ともかく多面的な批評にみちた書物ですが、本誌「ふらんす」の読者のために、その入門のとば口をいくつかご紹介してみましょう。
例えば 2008 年のジャック・リヴェット監督『ランジェ侯爵夫人』を見る鍵として伊藤氏は音の演出を挙げています。その見事な説明を読むだけで、そうだ、これはギヨーム・ドパルデューの義足の足音と修道院の歌声の映画なのだと納得し、さらに、いや、リヴェットの映画そのものが異界から聞こえてくる音の饗宴にほかならないのだ、と否応なく興奮を誘われてしまうのです。
ロメールの『我が至上の愛 アストレとセラドン』における女装のあられもない魅力、ジャック・ロジエの映画でヴァカンスという時空間の果たす役割、デプレシャン作品の鏡に表れる現実と幻想の二重写しなど、映画の面白さをえぐりだす筆の切れ味に目が眩む思いです。ぜひお試しください。
(ちゅうじょう・しょうへい/学習院大学教授。著書『フランス映画史の誘惑』「決定版!フランス映画200選」)
◇初出=『ふらんす』2018年3月号