【書評】遠藤突無也『日仏映画往来』 [評者]小沼純一
『日仏映画往来』
遠藤突無也 著
松本工房 5200 円+税
[評者]小沼純一
百科事典? 大コラム集成? 恋物語?
厚さ5 センチ近くあろうか、800 ページを越える全ページを隅から隅まで読破しているなんて、とてもとても(言えない)。ともすれば百科事典のように読む、つかう、というのもありだろう。だが、けっして百科事典ではない。もっと著者のおもいが、個人の力技がここにはこめられていて、客観的なデータとして参照するとか引いてくるとかの下心ある眼差しをはじいてしまう。何と言ったらいいのか、大コラム集成、か。いや、コラムにしては図版も多数はいっているから、そうだな、知りあいのうちに行って、蒐集されたものを見せてもらいながら、持ち主のうれしそうな語りを聴く、か。
無作為にページを開く。何かしら驚かされる。驚きはさまざまなかたちをとる。未知なるものが不意に出現する。すでに知っていることが新たな文脈、新たな装いで、あるいは思い掛けないものと隣り合わせであらわれる。こんな珍しい映画が、音楽が、俳優がとりあげられている! あの懐かしいポスターが! 見たことないよ、こんな写真! へぇ、こんなエピソードがあるんだ!
たとえば──おなじページで『大人は判ってくれない』と『ワカラナイ』が、『突然炎のごとく』と『俺たちの荒野』が、『アメリカの夜』と『女優霊』が、『隣の女』と『スカイ・クロラ』が隣りあわせになっていることの驚き。
このおもいは、フランス語で書かれた序文の書き手にも共有されている。
「フランスと日本との、長くそして美しい恋物語は、映画というもの無くしては到底語れなかっただろう。トムヤさんの本著書は、それを、揺るぎない情熱を持って我々に語りかけてくれる」。そう記すのはフランスの映画批評・映画史研究者として高名なマックス・テシエ。
全体は「文学往来」「作品往来」「人物往来」「音楽往来」と4 つの部分からなる。タイトルどおり、フランスの作家が、日本の作家が、といったぐあいになっていて、著者ならこの人物、この作品について何をどう書くのかと、ついつい、ページを繰ってしまう。
著者の遠藤突無也は文字どおり日仏を往来しながらうたの活動をつづけているアーティスト。うたについてはすでに知っていたけれど、まさかこんな熱きおもいが日仏間の映画に、音楽に抱かれていたとは!
(こぬま・じゅんいち)
◇初出=『ふらんす』2017年9月号