【書評】柏木治『銀行家たちのロマン主義:一九世紀フランスの文芸とホモ・エコノミクス』 [評者]小倉孝誠
柏木治 著
『銀行家たちのロマン主義一九世紀フランスの文芸とホモ・エコノミクス』
関西大学出版部
2500 円+税
[評者]小倉孝誠
時代を映す銀行家たちの〈神話〉と〈実像〉
洋の東西を問わず、銀行が近代社会の経済活動にとって不可欠の制度であることは、言うまでもない。ところが社会思想や芸術の領域では、凡庸なブルジョワ性や狡猾なユダヤ金融などのように、しばしばステレオタイプ化されてきた。そうしたイメージはどうして形成されたのか。そして実際のところ銀行家とはどのような人間だったのか。本書は19世紀フランスを対象にしてこの問題に切りこんだユニークな研究である。
まず、当時の銀行家の実像。彼らの多くはパリの旧1 ~ 3区(現在の行政区画でほぼ1 ~ 2区、8 ~ 9区)に住んで活動した。自由主義的な新興地区である。ペレゴーはナポレオンに接近し、武器供与や戦費調達に協力することで、政界とのつながりを強めた。下層出身のラフィットは銀行業で富を築き、七月王政期には政治の中枢にまで上りつめる。
本書は、銀行家たちが自分の威信を高めるために、努力を惜しまなかった経緯を教えてくれる。同じ自由業である医者や弁護士に比べて声望の低かった銀行家は、疚(やま)しさを感じていたので、それを払拭すべく活動する。サロンや、政治的な集会や、慈善団体の会合に顔を出して、パトロンの役割を果たしていく。とりわけ芸術庇護の活動(現代のメセナである)には力を注いだ。ラフィットやドレセールがその代表である。銀行家は経済要因としてだけでなく、社会や文化の領域でも存在感を増していった。
19世紀の文学には銀行家がしばしば登場し、都市論では銀行家に1章割かれる。バルザック『人間喜劇』の『ニュシンゲン銀行』、スタンダールの『リュシアン・ルーヴェン』、ゾラの『金』などを想起すればいいだろう。そこでの銀行家は、かならずしも無趣味な成り上がり者ではない。拝金主義を戒める倫理から批判の対象になることはあるが、経済的な成功が社会的威信と結びつきうる近代社会の人物像としても表象されているのだ。
それは欲望と、野心と、上昇志向に突き動かされていた19世紀という時代を映しだす鏡でもある。当時の小説には挫折する芸術家、繊細な青年、有徳の司祭、悲劇の娼婦などが頻繁に登場するが、それと同じように、銀行家もまた文学世界を彩る人物類型としてもっと注目されていいだろう。「銀行家の文学史」を夢想させてくれる好著である。
(おぐら・こうせい/慶應義塾大学教授。著書『革命と反動の図像学』『写真家ナダール』『逸脱の文化史』)
◇初出=『ふらんす』2019年8月号