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書評

【書評】平井靖史・藤田尚志・安孫子信編『ベルクソン『物質と記憶』を再起動する:拡張ベルクソン主義の諸展望』 [評者]合田正人

平井靖史・藤田尚志・安孫子信 編
『ベルクソン『物質と記憶』を再起動する:拡張ベルクソン主義の諸展望』
書肆心水 3600円+税

[評者]合田正人

『物質と記憶』をめぐるシリーズ3冊完結!

 各々が固有の軌道を描いて宇宙という大海を漂流しながら接近し衝突し離れ離れになっていく星屑もしくは藻屑たち、それがPBJ(Project Bergson in Japan) だ。2007年から今までに延べ30日に及ぶ国際シンポジウム、5冊の海外出版、そして『物質と記憶』をめぐる3冊の論集(書肆心水刊。『解剖』『診断』『再起動』と略記)。なぜこのようなことが可能になったのか。それはPBJが他でもないベルクソン・プロジェクトであったからだ。『診断』(122頁)ではベルクソンをめぐる近年の忘却と無知が語られているが、この軽視こそ「明らかに彼[ベルクソン]の時代のそれではない文脈においてベルクソンを機能させる」(『解剖』338頁)という反時代的企てを生んだのである。『物質と記憶』はベルクソンの著作の中でも最も難解なものである。金森修は最後に「『物質と記憶』は本当にわかりたいね」(『解剖』370頁)と語ったという。邦訳者でありながら私は未だ『物質と記憶』の「と」がどういう意味なのかさえ分からずにいるのだが、「イマージュの総体」という表現で同書が言わんとしていたことについては、S・E・ロビンズがそれを「ホログラフィー」の先駆とみなしたことに賛同したい。もっとも、私はここにスピノザ的「実体」のベルクソン独自の解釈を認める。そして、それこそベルクソンが「非延長的な伸張性」と呼んだ、事物とも観念とも、存在(者)とも無とも異質な次元なのだろう(『再起動』361頁)。宇宙は多様な振動とリズムを持つ離散数的には数えられない波からなる海であり、この波が身体なのである。伝播が伝播であるがゆえの遅延がはかない成形をもたらすのだ。『再起動』で、三宅陽一郎と平井靖史は「自己=世界」(Self)でもあるような場としてそれを語っている。Self と事後的に命名されるものは個々の人格の誕生と死を、いや「人間」「生物」「事物」なるものの擬似結晶化を貫通して生成変化、分化と結合、相転移を続けている。ベルクソンが軽視されたのは、自己と他者というものがあって、その双方がどのように作用し合うかという視座が支配的であったからだ。今や自己と他者という構図それ自体が根底的に問い直され、実は遡及的に仮構されざるをえない起源的なものからするとジャンクにすぎない中間地帯が、ベルクソン的豊饒の海、その無数の波間として氾濫し始めたのだ。

(ごうだ・まさと/明治大学教授。著書『レヴィナスを読む』『フラグメンテ』、共訳ベルクソン『物質と記憶』)

◇初出=『ふらんす』2019年5月号

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