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書評

【書評】ゾベル『黒人小屋通り』 [評者]中村隆之

ジョゼフ・ゾベル 著
松井裕史 訳
『黒人小屋通り』
作品社
2600円+税

[評者]中村隆之

カリブ海文学の最初の一冊として

 カリブ海のマルチニック島を舞台とする重要作がこの度訳された。日本では『マルチニックの少年』という題名で親しまれた映画の原作だ。映画版がフランス領の島々の生活を視覚的に体験する優れた題材であったのと同様、本書『黒人小屋通り』(原著は1950年刊行)はフランス語によるカリブ海文学の格好の入り口と評せよう。

 なぜ入り口なのか。理由は3つある。

 まずこの小説は、著者ジョゼフ・ゾベル(1915-2006)の「分身」とも言われるジョゼ少年の視点から一人称で物語られる。田舎の農園で生活をする少年がフランス式学校教育のなかで才覚を伸ばし、やがて都会に出て中高一貫校に進学するという植民地出身の文学青年の一物語は、程度の差こそあれ、セゼールやグリッサンといった植民地出身作家がたどってきた典型的道程であるからだ。

 第2に、小説は上述のような作家の作品素材となるカリブ海世界を、少年の目に映し出されるものとして、みずみずしく描いている。セゼールやグリッサンの作品は、フランス本土の文学作品を凌駕するような気負いで書かれている以上、文体においても構造においてもしばしば難解になりがちだ。その点、本書の著者はそうした気負いを抱かず、良い意味で素朴に周囲の世界を摑み、描写している。

 第3に、これが最も大事な点だが、ジョゼの視点から描かれる世界が、20世紀前半から本格的に始まるフランス語圏カリブ海小説の原風景を作りだしたからである。『黒人小屋通り』にはカリブ海文学に典型的な風物が数多く見出される。サトウキビ畑での労働、口承の民話、なぞなぞ、カトリックのミサと教理問答、お祭り、都会の生活、映画、学校、白い肌を最善とする価値観から悪魔の迷信まで、1920年から30年代前半までの時期のカリブ海社会と人々の生活を著者は丹念に観察し、作中に書き込んでいる。この点、ゾベルは民俗学者のようでもある。

 小説を読んで改めて映画を観ると、作中の挿話や登場人物が部分的に、なかには大幅に改変されていることが分かる。それは訳者が述べるように本書が主人公ジョゼの個人的物語を超えた集合的自伝であることの証左だとも言えよう。本書刊行を機に映画版のDVD化とカリブ海文学のさらなる翻訳に期待が高まる。

(なかむら・たかゆき/早稲田大学准教授。著書『エドゥアール・グリッサン』、訳書『ダヴィッド・ジョップ詩集』)

◇初出=『ふらんす』2019年6月号

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