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書評

【書評】パストゥール『悲運のアンギャン公爵 フランス大革命、そしてナポレオン独裁のもとで』 [評者]倉方健作

『悲運のアンギャン公爵 フランス大革命、そしてナポレオン独裁のもとで』
クロード・パストゥール 著 伊東冬美 訳
寿郎社 2600円+税

[評者]倉方健作

冤罪事件の犠牲となった貴公子の生涯

 トルストイ『戦争と平和』の冒頭に、主要人物ピエールの風変わりな性格を印象づける場面がある。ペテルブルクの知識階級が集う夜会で彼はただひとり、ナポレオンによるアンギャン公の処刑を擁護する。処刑は国家的に必要だった、その責任を引き受けたがゆえにナポレオンは偉大なのだ、と声高に述べるのである。もちろん誰も同意しない。別の人物が真実を言い当てている。「公の殺害後は天国に受難者がひとり増え、この世に英雄がひとり減っただけのことですよ」

 事実、1804年3月の「アンギャン公事件」は、到底擁護不可能な所業である。フランス随一の名家コンデ家の嫡孫アンギャン公を、ナポレオン暗殺計画の黒幕という嫌疑をかけてフランス国外で拘束し、パリ近郊のヴァンセンヌに移送、弁護人も証人もない密室裁判で有罪判決を下してその晩のうちに銃殺した。この間わずか1週間、しかも完全な冤罪だった。反対勢力を震え上がらせたナポレオンは同年5月に皇帝に即位する。

 本書は、一瞬の出来事である「アンギャン公事件」を歴史の流れのなかに捉えている。1772年のアンギャン公の誕生から、彼の「内縁の未亡人」となったロアン家のシャルロット(「首飾り事件」のロアン枢機卿の姪にあたる)が死を迎える1841年まで、政治体制の度重なる転換に翻弄されたフランスの貴族社会の70年が色鮮やかに描き出される。16歳で革命を迎えて「亡命貴族軍」の中心的存在となったアンギャン公は、傑出していたがゆえにナポレオンに危険視された。そして帝政が崩壊し、ルイ18世が即位すると、今度は処刑の責任のなすりつけあいがはじまる。ナポレオン自身も流刑地のエルバ島で、死に臨むアンギャン公の堂々たる態度を回想して賞賛し、処刑はタレーランのせいだと言い逃れた。後世の評判に関わることが「英雄」にもわかっていたのだ。アンギャン公の存在はかくも大きい。  著者はシャルロットから居城を遺贈された人物の縁者である。彼女が生きたまさにその場所で書かれた本書は、歴史家の誠実さと、伝記作家が対象に注ぐ愛惜を兼ね備えている。原著は1971年初版刊行、翻訳の底本は1984年の増補版である。初版刊行後に読者から寄せられた情報をもとにした、アンギャン公の忘れ形見をめぐる最終章も興味深い。

(くらかた・けんさく/九州大学准教。共著『あらゆる文士は娼婦である』、共編訳ブルデュー『知の総合をめざして』)

◇初出=『ふらんす』2018年3月号

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