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書評

【書評】ガリ『夜明けの約束』 [評者]たけだはるか

ロマン・ガリ 著 岩津航 訳
『夜明けの約束』
共和国 
2600 円+税

[評者]たけだはるか

守られなかった約束こそが曙光を纏う


 1956 年にすでにゴンクール賞を受けていたガリが、75 年にエミール・アジャールの名で別人として同賞を受賞したことはよく知られている。かれは、「新しい小説」をもとめて実験的な手法を取ることはなかったが、自らのアイデンティティを故意に揺るがすこの姿勢、思想には、第二次世界大戦後に活躍した作家たちに共有される時代性をみとめるべきだろう。

 『夜明けの約束』(60)にあるのは、一人の少年が、母親からの愛を一身に受け、「へその緒を切られ忘れた」かのような関係のまま40 代半ばを迎えるという、いかにも灰汁(あく)のつよい物語だ。

 東方ポーランドからフランスに帰化した母子の偏愛をめぐるこの自伝的小説は、のっけからドミノのようにエピソードが素早く展開してゆく。母親の夢みる「息子の未来の伝説」を実現するべく、全身全霊「向上したいと切望したせいで、すべてが深淵と転落になってしまった」。かれらの転落が読者を運んでゆく。ただし堕ちてゆく母子は、気質から絶望を知らず、切り抜けかたはご愛嬌、窮地は滑稽譚に一々転じるため、読者はその都度小さく笑わざるをえない。本もこちらも顔色を変え、忙しない。それが面白い。

 ところでこの小説の核心はこの一見異様な母子自体にはない。「私にとって大事なのは、愛されたある人間の運命よりも、人間というもののあり方を高らかに照らし出したいという激しい願いなのだ」と書くガリは本気だ。これを理解するには、幼年期の第一部、青春期の第二部を経て、戦争の始まる第三部に辿りつき、そこに幾度もあらわれる、戦渦、多くは戦闘機の墜落で死んだ同胞たちの名前の羅列を目にする必要がある。語り手は、「私のなかにまだ生きているものはすべて彼らに属している」と言う。かれは、死者たちの容れものなのだ。

 「母親の愛のせいで、人生はその始まりの夜明けに、かなわない約束をしてしまう」という言葉の向かう対象は、物語の母子を通して愛のように拡大してゆく。だれかの命が消えるとき、守られなかった約束が生まれる。小説の終わり、私たちにも、カリフォルニアの海岸で、語り手とその母親の幻影とともに、幾つもの約束が、光のイメージを纏って浮かびあがるのをみるだろう。ガリの文体には高揚した状態でこそ発揮される冷静さがあり、その見事な翻訳が、物語を勢いよく読ませる。
(たけだ・はるか)

◇初出=『ふらんす』2017年10月号

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