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書評

【書評】陣野俊史『泥海』 [評者]釣馨

陣野俊史著『泥海』
河出書房新社 1600円+税

[評者]釣馨

人はどうやってテロリストになるのか

 この小説は、2015年1月に起こったシャルリ・エブド襲撃事件を中心に、複数の物語を組み合わせて構成されている。ちょうど『わたしが「軽さ」を取り戻すまで─ “シャルリ・エブド” を生き残って』というBDも邦訳刊行されたが、『泥海』にはそれと表裏を成すように、テロリスト側の遺族の証言も盛り込まれている。喪が明けて、いろんなことが語られる時期に来ている。

 「私の武器はたった一つ。書くこと。[…]書くことは一つの爆弾でもある」。これは、実行犯の兄弟が大きな影響を受けた「光の兵士」という文章を書いた女性の発言である。弟のシェリフはラップ好きで、リリックを書くことに没頭していた時期があり、書く行為が途と 轍てつもない変革を起こすことができると信じていた。しかし、それとは逆の力もある。『泥海』を通した著者の語り直しは、爆弾を解除し、燃え広がった感情や恐怖を鎮める哀悼の行為なのだ。

 どうやって人はテロリストになるのか。実行犯の兄弟は貧困と不幸のどん底にあったわけでもない。その証拠に彼らの妹のアイシャの生活は極めて普通だ。宗教的に生きているわけでもなく、時にはお洒落なクラブで羽目を外す。彼らも妹のように生きられたはずなのだ。社会から見放され、いつでも自ら処分できる軽い命を抱えた人間が、唯一神と対峙するという回路が危険なのだろうか。こんなはずじゃなかった、輝かしい人生を歩めたはずだと思い詰めている人間は、最後に「光の兵士」になるしかないのだろうか。

 この物語にはもうひとりの主人公の「オレ」がいる。フランスのヒップホップやサッカーへの愛ゆえに、テロの現実にもコミットせざるをえない著者の分身なのだろう。伊佐早(諫早)湾の近くで生まれた日本人だが、フランスのテロのニュースを見て、居ても立っても居られなくなる。無謀にもパリに来て、日課のようにテロ現場の巡礼を始める。思えば「ギロチン」と呼ばれた諫早湾の潮受け堤防の水門の閉鎖は、テレビで何度も流されたスペクタクルな事件だった。「オレ」は子供のころに干潟の泥の中に沈みかけて、ムツゴロウと同じ目線に立った経験があるが、「百万年かかってできた干潟を十年でつぶし」、諫早湾をムツゴロウやアゲマキの死臭で満たした暴力を通してテロリストの心情に共鳴したのだろうか。

(つり・かおる/神戸大学他非常勤講師。FRENCH BLOOM NET 主宰。共著『日本人が知りたいフランス人の当たり前』)

◇初出=『ふらんす』2019年4月号

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