【書評】ベンギギ『移民の記憶:マグレブの遺産』 [評者]清岡智比古
ヤミナ・ベンギギ 著 石川清子 訳
『移民の記憶:マグレブの遺産』
水声社
2800円+税
[評者]清岡智比古
「つれない恋人」、フランス
かつて「フランス映画」に登場するアラブ系女性たちは、「娼婦」や「ダンサー」、「家庭内で抑圧される存在」などといったステレオタイプに閉じ込められていた。そして映画『アイシャAïcha』が、そうした頸木(くびき)を軽やかに乗り越え、いわばふつうの若いアラブ系女性を提示してみせたのは、2009年のことだった。このまさに画期的なフィルムについては、かつて詳細に論じたことがある(『パリ移民映画』)が、その時に参考にしたのが、同じヤミナ・ベンギギ監督の手になるドキュメンタリー『移民の記憶 マグレブの遺産』(1997)だった。映像作家はそこで、自らをメディウムとすることによって、アラブ系移民というそれまでフランスには存在しなかった人たちを、初めて可視化してみせたのだ。『アイシャ』の背後には、彼らの声(ヴォイスィズ)が何重にも木霊(こだま)していた。
このドキュメンタリーには、実は相前後して発表された同名の書籍があった。今回、ついにその翻訳が届けられた。アラブ系移民第一世代の「父」たち、彼らに呼び寄せられた「母」たち、そして第二世代の「子ども」たちを描く点は共通だが、書籍版には、音楽や行政官のコメントなどが挿入されない分、彼らの言葉一語一語のまとう影がより濃密だ。
あのセガン島のルノー工場で、騒音と悪臭の40年を過ごした後、工場が閉鎖された今もなお、島の向かいにある荒れ果てた団地で一人暮らすチュニジア系のキキ。11歳で結婚、16歳で出産、夫が渡仏した後も23年間アルジェリアの婚家に残り、その後呼び寄せられてたどり着いたのはパリ郊外の、窓のない、タクシー車庫の狭い管理人室だったジャミラ。フランス語の読み書きができない両親のもと、リヨン郊外の大規模団地で生まれ育ち、18歳の時にヒジャブをまとう決心をしたアルジェリア系のナイーマ……。
フランスは、バターのように甘やかで、けれども捧げられた愛を受け入れてくれない「つれない恋人」であり、一方故郷は、永遠の理想でありながら、その現実は「退屈」というほかない。彼らの生は、この2つのアンビヴァレンスの往還の中にあるように見える。
フランスの移民問題が、ここではその内側から語られている。そして読者が出会うことになるのは、歯を食いしばる悲嘆、あるいは擦り切れた諦念、そして希望でもある。
(きよおか・ともひこ/明治大学教授。著書『パリ移民映画』『エキゾチック・パリ案内』、〈フラ語〉シリーズ(全5冊))
◇初出=『ふらんす』2019年12月号