【書評】ポワリエ『パリ左岸:1940-50年』 [評者]小沼純一
アニエス・ポワリエ 著 木下哲夫 訳
『パリ左岸:1940-50年』
白水社
4800円+税
[評者]小沼純一
まったく風化しない「いま」のこと
登場人物の名のかなりを知っている、知ったような気になっている。そんな人たちが、この日、どこで何をしていたか。迫りくる戦争。占領下のパリ。解放にむかうパリ。そして戦後、新しい世代、バルドーが、サガンがこの街に登場してくるあたりまで。戦争があり、政治が、文学が、恋愛騒動がある。知っているエピソードもたくさん。なのに、アレとコレは同じ日に起こっていた、道一つ隔てたところだった、誰かさんは誰かさんに一目惚れ。あれ?そうだったの!と驚くことばかり。ノンフィクションではあるが、あんな偶然こんな偶然があって織りなされるのが歴史=物語(イストワール)か。
パリが中心だが、パリだけではない。パリをみている人がおり、パリに出入りする人たちがいる。フランス人だけでもない。ドイツ人、アメリカ人、ハンガリー人が、舞台にあがってくる。
さまざまな人たちがひとつの時代を織りなしてゆく群像劇。知られざる人もそのなかにはたくさんいて。そんななか、登場の度合いが高かったり、どことなく中心的に扱われる人物がいる。そのひとりがボーヴォワール。サルトルとのつながりのなかでのみならず、ボーヴォワールの本来的な自由さ、女性なるものへの自覚、その深化と周囲への、時代への影響をあぶりだしてゆく。たとえボーヴォワールの名に言及しなかったとしても、マリア・カザレスやジュリエット・グレコにふれるなか、浮かびあがってくるのは、女性の生き方であり、変化だ。
おなじように第二次世界大戦に重なってくる時期のパリをめぐって書かれた本は少なくない。そこにあるのは往々にして大文字で、大声で、大きく振る舞う者たちであり、歴史ではなかったか。本書は、逆に、人物たちを、何をするにせよ、小さな個人を、個人の行動を描く。そんなふうにズームしてこそ描けるものがあり、それを、著者は目指す。
大戦が終わって73年後に刊行された本書。これだけの歳月が経過していながら、まったく風化していない「いま」のこととして、この本は時代を描く。パリのはなし、おもしろいエピソード満載、だけでなく、「わたしたち」が歴史をどう「いま」のこととできるかを知るため、考えるためにも、この本のページをめくる必要がある。ちなみに、著者アニエス・ポワリエはパリ生まれ。原文は英語。
(こぬま・じゅんいち/早稲田大学教授。著書『魅せられた身体』『本を弾く:来るべき音楽のための読書ノート』)
◇初出=『ふらんす』2019年11月号