【書評】サンサル『2084 世界の終わり』 [評者]新島進
『2084 世界の終わり』
ブアレム・サンサル 著/中村佳子 訳
河出書房新社 2400円+税
[評者]新島進
ひとつ目と多様性
2015年1月、イスラーム化するヨーロッパを描いたウエルベック『服従』が刊行され、奇しくもその同日に起きたのがシャルリ・エブド事件でした。余韻冷めやらぬ同年8 月に発表された本作は、オーウェル『1984』を下敷きに、イスラーム風全体主義国家を舞台とした作品です。著者サンサルはアルジェリア人のフランス語作家で、アルジェリア政府のアラブ化政策に異議を唱えている人物。なお、パリ連続テロが世界に衝撃を与えたのは本書が新刊書として話題になっていた11 月のことで、当時パリに滞在していた私はこの作品をさっそく本誌連載「原書レクチュール」でとりあげましたが、このたび中村佳子氏の堅実な訳業で日本語版が刊行されました。
核戦争後の近未来、ヨラーなる神と、預言者アビへの服従を絶対とする国家、アビスタンが建国されます。中世並みの生活水準のなか、聖典グカビュルの教えに従って暮らす人民たち。権力維持のための仮想敵や聖戦、徹底した監視体制、見せしめのための処刑と、絵に描いたような『1984』的国家ですが、その根本理念にイスラーム過激思想が据えられているのが本作の現代性です。主人公アティは結核の治療のため、故郷を離れて山のサナトリウムで療養生活を送り、その帰途、国家の転覆を招きかねない遺跡を発見した学者と出会います。それを契機に彼は体制や教義に対して疑念を抱き、特に、誰もが存在を否定している国の「境界」の探求をはじめます。その過程で支配階層の権力闘争に巻きこまれていくという筋立てです。
イスラーム過激派が牛耳る全体主義国家、その悪夢という明示的なテーマもあれ、作品はより広く、グローバル時代の代償かもしれぬ、そしてもはや現在進行中とも思しき、単一思想と蒙昧主義への警鐘になっているでしょう。預言者の「ひとつ目」はそれを見事に象徴し、これは現代日本の私たちとも無縁ではありません。作家がとりわけ言語に重きを置いているのは印象的です。人民をなにより蒙昧にしているのは、『1984』の架空言語ニュースピーク(体制批判ができない言語)に範をとったとされる「アビ語」だからです。有形無形の、ひとつ目の怪物の台頭を許さないため、権力からの独立はもとより、言語の豊かさと多様性を守ること。そんなメッセージを本書から改めて受けとりました。
(にいじま・すすむ/慶應義塾大学教授。訳書ルーセル『額の星 無数の太陽』(共訳)、カルージュ『独身者機械』)
◇初出=『ふらんす』2018年1月号