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書評

【書評】スリマニ『ヌヌ:完璧なベビーシッター』 [評者]武内英公子

レイラ・スリマニ 著 松本百合子訳
『ヌヌ:完璧なベビーシッター』
集英社文庫
700円+税

 

[評者]武内英公子

日常に潜む不気味な心の闇

 2016年ゴンクール賞受賞作品。« Le bébé est mort. » で始まる簡潔でテンポの良い文章は、« Aujourdʼhui, maman est morte. » という文章で始まる『異邦人』を想起させる。また2012年ニューヨークでプエルトリコ人のベビーシッター(=ヌヌ)が子供たちを惨殺したという三面記事からインスピレーションを受けたという点で、『ボヴァリー夫人』との類似性が指摘される。

 しかし本作品がこれらの作品と異なるのは、事件の結末が最初に書かれてしまっているという点である。実際手を下したのはヌヌのルイーズだ。子供たちに最大限の愛情を注いで世話をし、料理や家事まで完璧にこなしていたルイーズがなぜこのような凶行に及んだかを解き明かすべく、スリマニは淡々とその手がかりを提示していく。ルイーズの感情的内面が語られることはほぼない。雇用主とのボタンのかけ違いのような誤解の積み重なり、彼女の経済的困窮、そして何よりも周囲の人間の彼女に対する無関心によって、彼女が精神的に徐々に追い詰められていく過程が解剖学のような冷徹な筆致で語られていく。

 スリマニは、ルイーズの雇い主である10区に住む若い夫婦のボボ=エセ左翼的身振りの欺瞞を情け容赦なく暴き立てる。都合の良い時はバカンスに同伴させたり、プレゼントをしたりしておきながら、実は相手の生活や内面には全く興味がない。彼らの優しい親切心を装った残酷な無関心に、ルイーズは絶対的な孤独、恥の感情、理由なき罪の意識に苛まされていくのだ。

 しかしルイーズを追い詰めた差別意識を自分は持っていないと、誰が言えるのだろう? 本作品が提起しているのは、実はすべての労働に付随する問題である。また日本では介護は喫緊の課題であるが、今後外国人労働者が関わってくる可能性が高い。そう考えたとき本作品は、二極化する格差社会からの復讐劇として現実味を帯びてくることだろう。

 ラストわずか10ページあまりのクライマックス。スリマニの分身であるニーナという女性警部が登場し、子供たちの最後の瞬間を我々の前に現前させる。女性監督リュシー・ボルルトーによる映画化が待たれる。フランス関連情報サイトFrench Bloom Net(http://www.frenchbloom.net)の本作品クロスレヴューも併せて参照されたい。

(たけうち・えくこ/神戸大学他非常勤講師。共著『日本人が知りたいフランス人の当たり前』)

◇初出=『ふらんす』2018年7月号

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