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書評

【書評】チャプスキ『収容所のプルースト』 [評者]柏倉康夫

ジョゼフ・チャプスキ 著 岩津航 訳
『収容所のプルースト』
共和国 2500円+税

[評者]柏倉康夫

極限状態における、優れたプルースト論

 読み出したら止まらない本がある。そんな本に久しぶりに出会った。本書は、ポーランド人の画家ジョゼフ・チャプスキが将校として従軍中、ソビエト軍の捕虜となり、スターリン時代の強制収容所に入れられていたときに、捕虜仲間を前に行った講義を記録したものである。

 収容所にいる彼らは、いつ処刑されるかわからない恐怖から逃れるために、各自がもっとも得意とする事柄を、講義形式で語り合うことにする。ある者は書物の歴史を、あるいは建築史や南米について蘊蓄(うんちく)を傾ける。チャプスキが選んだのは、フランスとポーランドの絵画、それにかつて愛読したマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』だった。

 仲間たちは極寒の中の重労働のあと、いまの現実とはまったくかけ離れたテーマに熱心に耳を傾けた。フランス語の原著のタイトルは、「精神の荒廃に抗するプルースト」だが、チャプスキや仲間たちが試みたのは、まさに収容所の過酷な環境で崩壊しかねない精神生活を維持するための懸命な努力だった。チャプスキは書いている。「わたしは感動して、コルク張りの部屋でびっくりしているプルーストの顔を思い浮かべた。まさか自分の死後二十年経って、ポーランドの囚人たちが[…]ゲルマント夫人の話やベルゴットの死など、あの繊細な心理的発見と文学の美に満ちた世界についてわたしが覚えていたことの全部に、強い関心を寄せて聞き入ることになるとは、さすがの彼も思わなかっただろう。」

 収容所にプルーストの本があるはずはなく、チャプスキの講義はすべて記憶にもとづいて行われた。名門貴族の家に生まれた彼は、絵の勉強をするかたわら、パリ滞在中に『失われた時を求めて』を愛読した。講義ではプルーストの文章が多く引用されているが、それは驚くほど正確で、彼がどれほどテクストを読み込み、血肉化していたかを示すもので感動する。成立の劇的な経緯を離れても、優れたプルースト論である。

 病弱のプルーストは、作品を完成することは自らの死を招くことを承知の上で作品を書き継ぐ決心をし、実際、死はプルーストの仕事のさなかに訪れた。チャプスキと仲間はこれに共感したに違いない。彼らも死の恐怖に抗して、収容所で生き抜く決意をしていた。この本を日本の読者に紹介した訳者と出版社に敬意を表したい。

(かしわくら・やすお/放送大学名誉教授。著書『生成するマラルメ』、訳書『[新訳]ステファヌ・マラルメ詩集』)

◇初出=『ふらんす』2018年5月号

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