第28回 ミシンとコーモリ傘
ダダイスト・ヨシ
ヨシ:初代の「ウルトラマン」には、「三面怪人ダダ」いう宇宙人が出てきてやね。
クニー:おっと、今回は、ヘンなイントロなしにきたね。あの鳴き声が、「ダダー」っていう音声を遅回ししたやつね。
ヨシ:あれ、ダダイスムdadaïsme から命名されたらしねん。
クニー:らしいね。ついでにいうと、おなじ初代ウルトラマンの「四次元怪獣ブルトン」は、シュルレアリスムsurréalisme(超現実主義)の創始者アンドレ・ブルトンAndré Breton から命名されたらしいよ。ついでにいうと、バルタン星人は、ブルガリア出身で、こども時代にフランスに移住した歌手のシルヴィー・ヴァルタンSylvie Vartan からね。
ヨシ:なんや、クニー、特ヲタ(特撮ヲタク)やったんか。
クニー:いやいや、そんなことないよ。さらにいうと、バルタン星人の由来はシルヴィー・ヴァルタン説は、円谷プロの宣伝部が採用したストーリーで、ほんとうは、バルカン半島からだったらしい。
ヨシ:いや、じゅうぶんヲタクやん。
クニー:それより、ヨシ、どうしてウルトラ怪獣の話を? ヨシも特ヲタだから?
ヨシ:そらもう、ぼくも特ヲタで、今月からはじまる「ウルトラマンR / B(ルーブ)」も見てますって、ちゃうがな!
クニー:今回は、ダダイスム、シュルレアリスムの話をしようってことだろ?
ヨシ:わかってんのやったら、ノリつっこみさせんといて。
クニー:ヨシ、高校生のときに、ダダイストだったの? ダダイスト・ヨシの詩?
ヨシ:そんな、ひとを高橋新吉みたいに。いや、ダダイストやなかったけど、ダダとシュルレアリスムにかぶれた高校生ではあったね。あと、やっぱり高校時代にかぶれて全集まで買うた原民喜が、慶應予科生時代に辻潤よんでダダにかぶれて、藝備日々新聞に糸川旅夫ゆう筆名でダダ的作品載せとった。たとえば、青土社版全集の第2巻p.613の「故郷のウタを聞きねねね ダダイ 糸川旅夫( 一)メルシイ、ムシュと五厘の煙草吸ひにけり我が故郷のフランスの秋」とか。あ、「ダダイ」は「ダダイスト」の略ね。
クニー:あの「夏の花」の原民喜がねえ。
ヨシ:そもそも、ダダのはじまりは、1916年のチューリッヒ。
クニー:ドイツ語圏スイスの中心地だね。
ヨシ:時は第一次世界大戦下やったけど、1815年以来の永世中立国スイスには、いろんな人が逃げてきとった。ドイツ出身の作家フーゴ・バルHugo Ball(1886-1927)もそのひとりで、1915 年に、カノジョといっしょにチューリッヒに移住してたんやけど、1916年2月に「キャバレー・ヴォルテール」Cabaret Voltaire を開店したところ、ルーマニア出身から留学中の詩人トリスタン・ツァラTristan Tzara(1896-1963)らがあつまってきて、できたのが「ダダ」っちゅうわけやね。
クニー:連載の第1回目にもいったように、ぼくは、早稲田の法学部を出てるんだけど、そのとき、ダダやシュルレアリスムがご専門の塚原史先生の「文学」の授業うけたんだよね。それで、ダダの回でキャバレー・ヴォルテールの話が出たから、つぎの授業のときに、Cabaret Voltaire っていうイギリスの実験音楽バンドのレコードをカセットにダビングしてもってったら、塚原先生、授業中にそのカセットをかけてくれたんだよ! いや、カンゲキしたー。
ヨシ:さすが英ロック少年クニー、マイナーなバンドも知ってはる。
クニー:その後、塚原先生と再会したとき、フランス語教員になったぼくを抱きしめんばかりにカンゲキしてくれたんだよねー。あゝ、想いだすとナミダが……。
ヨシ:そりゃ、たしかにカンゲキもんや。ちなみに、DADA って名前は、ツァラがラルースの辞書から偶然みつけたとか、バルがフュルゼンベックといっしょに独仏辞書からみつけたとかいわれとる。ところで、ダダイスムには、七つの「宣言」があるんやけど、1918年3月23日に出された2番目の宣言「ダダ宣言1918 Manifeste Dada 1918」で、ツァラは、こない書いてるで── DADA NE SIGNIFIE RIEN[...] On apprend dans les journaux que les nègres Krou appellent la queue dʼune vache sainte : DADA. Le cube et la mère en une certaine contrée dʼItalie : DADA. Un cheval de bois, la nourrice, double affirmation en russe et en roumain : DADA.(ダダはなにも意味しない。[…]新聞では、クル族の黒人たちが、聖なる牛の尾のことをダダとよんでいることがわかる。イタリアのある地方では、立方体と母親のことをダダという。こども用の木の馬と乳母、ロシア語とルーマニア語では二重肯定がダダ)
クニー:そういえば、塚原先生の授業で、新聞紙をバラバラに切って袋にいれて、そこから1枚1 枚とりだしてならべたら詩になるって話をされてたのを、強烈におぼえてるよ。
ヨシ:ちなみに、バルは、変な鎧みたいなの着て、無意味な音の連続の詩を朗読したりしたんやけど、そのフレーズのひとつがGadji beri bimba は、アメリカのロックバンドが歌詞に採用したりしとる。
クニー:そりゃ、Talking Heads だね。
ヨシ:シティボーイズや宮沢章夫がつくってた演劇ユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」は、ダダかトーキング・ヘッズの、どっち由来なんやろ?
クニー:さっきのは「第2宣言」だったけど、さいしょの宣言はどんなの?
ヨシ:1916年7月14日の「アンチピリン氏の宣言」Manifeste de Monsieur Antipyrine やね。アンチピリンてのは、鎮痛解熱薬のことやけど、そこで、ツァラはこう書いとる── DADA nʼest pas folie, ni sagesse, ni ironie, regarde-moi, gentil bourgeois.(ダダは狂気でも叡智でもアイロニーでもないのだ、こちらをご覧あれ、お行儀のよいブルジョワのみなさん)。この宣言集、じつは塚原史先生が翻訳だしてはんねんけどね。
クニー:さすが塚原先生!
ヨシ:ダダは、すべてを否定したせいか、自分たちも消えてもうたわけやけど、その魂を再利用したんがシュルレアリスムいうとこやね。このsurréalisme いうことばは、詩人ギヨーム・アポリネールGuillaume Apollinaire が、1917年に書いた2幕芝居の『テイレシアースの乳房』Les Mamelles de Tirésias のためにつくりだした造語で、これをアンドレ・ブルトンが、1924年に出した「シュルレアリスム宣言」で使こてひろまった。こんなかに、ブルトンはシュルレアリスムの定義を載せとるけど、そこでは「純粋な心的自動現象Automatisme psychique pur」で、「それは、ほかのあらゆる心的機構を決定的に打ち壊そうとする。Il tend à ruiner définitivement tous les autres mécanismes psychiques.」と書かれとる。ほんで、「断言しよう、不可思議はつねに美しい、どんな不可思議も美しい、不可思議だけが美しくさえあるTranchonsen: le merveilleux est toujours beau, nʼimporte quel merveilleux est beau, il nʼy a même que le merveilleux qui soit beau.」とも書いてあるね。merveilleux 推しや。
クニー:ブルトンの1928年の小説『ナジャ』Nadja のラストにLa beauté sera CONVULSIVE OU ne sera pas.(美とは痙攣である。さもなければ存在しない)っていう有名な文章があるんだけど、この「痙攣」っていう言語を越えた感じがすきだなあ。
ヨシ:「ナジャ」いうたら、冒頭のQui suis-je ? もエエよね。suivre(あとにしたがう)って動詞の1人称単数形と、être(~である)の1人称単数形がおなじsuis になるのを利用した掛けことばになっとる。つまり、「わたしは誰のあとをつけているのか?」であると同時に「わたしは誰なのか?」ってわけや。
クニー:そもそも、「ナジャ」での女性との出会いの「偶然」は超現実的じゃなくて現実的、もっというと「現実の深み」、いいかえると「知りえなさ」なんだよ!
ヨシ:出会いの偶然が美を生むわけやね。まさに、ブルトンがシュルレアリスムの先達としてあげたロートレアモン伯爵Comte de Lautréamont ことイジドール・デュカスIsidore Ducasse(1846-1870)の詩集『マルドロールの歌』Les Chants de Maldoror の有名な「それは解剖台のうえのミシンとコーモリ傘の偶然の出会いのように美しい!Il est beau[ ...] comme la rencontre fortuite sur une table de dissection dʼune machine à coudre et dʼun parapluie !」やな。まるで、ぼくらの出会いみたいに!
クニー:うん、ヨシのばあいはmal でdrôle な歌だけどね!
◇初出=『ふらんす』2018年7月号