第44回 こどもと育つ
ぼくの好きな先生
ヨシ:♪フンフンフフフン、フーフフフン。
クニー:どうしたんだ、ヘイヘイ、ベイビー?
ヨシ:おゝ、さすがはクニー! ぼくのRCサクセション鼻歌に、ちゃんとRCサクセションの「雨あがりの夜空に」で返してきよったな!
クニー:いや、ヨシのはなんの鼻歌だか、さっぱりわかんなかったよ。
ヨシ:これまたRCサクセションの初期の名曲、1972年シングル発売の「ぼくの好きな先生」やがな。
クニー:忌野清志郎が、高校時代に慕ってた美術部の先生のことを想って書いた歌詞が泣かせるねえ。清志郎は、亡くなる直前も、ライヴに先生を招待したってさ。
ヨシ:その恩師の小林晴雄先生いう方は、勉強が嫌いで美術の先生にならはったそうで、つまり、当時おおかった「デモシカ先生」やった可能性大。
クニー:「先生にデモなるか」「先生にシカなれない」と消極的理由で教師になった先生たちのことを揶揄した呼称だね。
ヨシ:せんだって亡くならはった劇団青年座の湯浅実(まこと)さんは、NHK名古屋局制作の「中学生日記」で風間先生役をやってはった。その1975年から1982年までは、ぼくが「中学生日記」をよう見てたころで、ぼくにとって「中学生日記」の先生といえば風間先生なんやけど、この風間先生、ちょうど美術の先生で、デモシカ先生いう設定やったね。
クニー:たしか、国語や英語や数学の先生じゃなくて、入試に関係ない教科ってことで、美術になったんだよね。
ヨシ:風間先生が生徒を殴ってしもて休職になり、じぶんが教師であることに向きおうた「殴る」いう回があってんで。
クニー:というわけで、今回は、「教師であること」について放談をば。
ヨシ:いや、幼児の教育について。
クニー:RC関係ないじゃん!
ヨシ:クニーも感動しとった『ぼくの好きな先生』いう映画がありまんがな。
クニー:Nicolas Philibert ニコラ・フィリベール監督のドキュメンタリー。2002年のカンヌ映画祭特別招待作品!
ヨシ:中仏オーヴェルニュ地方の山村サン=テティエンヌ=シュル=ユソンにある全校1クラスの小学校が舞台。
クニー:「風の又三郎」状態だよね。
ヨシ:ちなみに、公開時のインタビューで、フィリベール監督は、1クラス学校が数千校以上あり、そのうちの300校以上にコンタクトをとったというてはるけど、2018年の統計やと、フランス全国1万5千の公立小学校のなかで、4.5%、667校しかないらしい。
クニー:全校1クラスになるのは、もともと、その土地が過疎化してることが原因のひとつだろうしね。
ヨシ:ほんで、映画じたいは、この学校で20年働いたはるヴェテランのジョルジュ・ロペス先生と、彼の教える3 ~ 4歳児6名、6 ~ 7歳児2名、9 ~ 11歳児5名、それに児童のご家族の姿を撮ったドキュメンタリー映画や。インタビューのなかで、監督は、これを撮るまでは「学び」と「成長」がどんなに難しいことかを忘れてたというてはるね。ちなみに、冒頭で教室の床を這(ほ)うとる亀さんは、「学ぶことは簡単やのうて、時間がかかるで」いうてるらしで。それから、年齢差のあるこども同士が学びあうことも称賛してはる。
クニー:フィリベール監督といえば、もうすぐ日本でも公開の『人生、ただいま修行中』De chaque instant は、パリの東隣モントルイユの看護学校生たちのドキュメンタリーで、やっぱり「学び」と「成長」を描いてる。試写会で見たぼくは、ほんと感動して、まんなかあたりから、ずっとしゃくりあげて泣いてました。
ヨシ:まあ、学びと成長の在りようには、都会か田舎かは関係ないさかいな。
クニー:そういえば、フランスでは、義務教育の開始年齢が6歳から3歳に引きさげられて、ことしの9月から、フランス全土で3歳から幼稚園・幼児学校にいくことになってるけど、これは、3歳児就学率が、仏海外県地域だと70% 程度なのにたいして、パリは93% なことから、教育機会を平等にすべしっていう、マクロン大統領の考えかららしいね。
ヨシ:マクロンがそのことを発表したときの『ル・モンド』の記事(2018年3月27日)によると、仏3歳児の97%は学校いってるらしで。
クニー:だいたい2万人くらいが行けてないんだね。
ヨシ:まあ、そんな3 ~ 4歳の小さい子たちグループがおおいロペス先生のクラス、やっぱ、印象的なシーンも小さい子たちにおおい。
クニー:4歳のジョジョくんが、絵の具でよごれた手を見せにくるところとか。
ヨシ:課題を終えられてないのに遊びにいこうとしたジョジョに、ロペス先生がお説教するところとか。
クニー:ジョジョ、本名はジョアンJohanなんだけど、もうひとりジョアンJohannがいるせいかJojo って愛称で呼ばれてる。
ヨシ:そのジョアンがふざけてるのをとめようとして、突きとばされ、泣いて抗議するところとか。
クニー:ロペス先生に「億」よりおおきい数をいわされるとことか。
ヨシ:ぎょうさん出とんな、ジョジョ。
クニー:いいキャラしてるよね。
ヨシ:映画のなかでは、スペインのアンダルシア出身のお父さんのハナシとかか、あと1年半で定年やとか、ロペス先生自身のことも綴られとる。
クニー:先生じしんも、こどもたちと学び、成長をつづけていくことが、よくわかるよね。
ヨシ:『ぼくの好きな先生』の原題はÊtre et avoir。動詞の複合形をつくるときの助動詞で、もちろん、「在ることと持つこと」いう、本動詞としての語義とのダブルミーニングや。
クニー:年度終わりの、夏休みをむかえるこどもたちを、ロペス先生が見送って映画は終わるけど、ドキュメンタリーにはありがちなシーンとみえて、タイトルを暗示してもいるわけだね。
ちいさな哲学者たち
ヨシ:ロペス先生は、じぶんでも認めてはるとおりオーソドックスなタイプで、無限についてジョジョに話すのも、じつは監督のアイディアらしけど、じっさいに幼稚園でやってる哲学の授業を撮ったんが、Jean-Pierre Pozzi と Pierre Barougier監督の『ちいさな哲学者たち』いう2010年のドキュメンタリー映画や。原題はCe n’est qu’un début。
クニー:「これは、はじまりに過ぎない」って、前に放談した五月革命のスローガンのひとつだね。
ヨシ:パリ南方の郊外、ル=メー=シュル=セーヌにあるジャック・プレヴェール幼稚園で、3 ~ 4歳児たちに、月に2回のペースで、「よく考える」「愛」「死」「自由」「違い」「賢さ」について問いかけるとこから、いろんな話しあいが展開されるさまと、ときどきこどもらの家庭での姿をはさんでる。担当するのはパスカリーヌ・ドリアーニ先生で、合間々々に、園長のイザベル・デュフロック先生に報告するシーンでは、さいしょはうまくいかへんこともあったけど、だんだんこどもらが、じぶんの意見をいうたり、ひとの意見に耳をかたむけたりするようになってくことを、興奮気味に報告してはる。
クニー:有意義なプロジェクトだよね。
ヨシ:2006年に、クレテイユ/ムラン地区のIUFM(Instituts universitaires de formation des maîtres 大学附属教員養成機関)の哲学の先生ジャン=シャルル・ペティエが、デュフロック園長に提案してはじまったらしで。この幼稚園は、ZEP(Zone d’éducation prioritaire 教育優先地区)─いまは、REP : réseaux d’éducation prioritaire いうのが正式やねんけど─にある教育実験校やそうや。いっぽう、プロデューサーのシルヴィ・オパンは、哲学者ミシェル・オンフレーの« Les enfants sont tous philosophes, seuls certains le demeurent. » いうことばを聞いて、この企画を思いついたんやて。
クニー:「こどもはみんな哲学者だが、そうでありつづけるひとは限られている」。うん、まさにそこだね。
ヨシ:「死」についてのとこで、「死ぬことの是非」みたいなハナシになって、「ママンが死んだらぼくも死ぬ」いうヤニスって男の子にたいして、べつの男の子が「反対。死んだらもう、人生について学べなくなる」いうたりすんねん。
クニー:教えられる視点だねー。
ヨシ:じつは、ヤニスくんは、小学生になったとき、同級生に哲学(フィロ)についてのプレゼンをすることを提案したそうやで。
クニー:というわけで、1歳児とともに成長中のヨシのプレゼンでした。でも、ヨシ、お腹まわりまで成長させなくても。
ヨシ:体型も幼児に学んでんねん!
◇初出=『ふらんす』2019年11月号