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福島祥行+國枝孝弘「ヨシとクニーのかっ飛ばし仏語放談」

第23回 去年の翻訳作品をふりかえる

翻訳は一筋縄ではいかない 
クニー:シャン、シャン! シャン、シャン! シャン、シャン、シャン!
ヨシ:クニー、何なの、その珍妙、キテレツな踊りは?
クニー:うふふ、ぼくがつくった「しゃんしゃん音頭」です! はい、両手揃えて、シャン、シャン、シャン!
ヨシ:まさか上野動物園で生まれたパンダの赤ちゃん、シャンシャンのことでは。
クニー:そう、一般公開が始まったからね、記念に音頭を作曲してみたんだ。
ヨシ:さすが元ロックミュージシャン志望! 音頭も作曲できるんや! まあそれはちょっとほっといて……。先月、自然の性と文法の性の話をしたけど、パンダはオス、メス関係なく、総称としてun pandaなんで、シャンシャンはメスでも、un pandaになってまうね。
クニー:だからメスだと明示したい場合はun panda femelleというしかないね。
ヨシ:同じく総称としてキリンはune girafe, ゾウはun éléphantと、それぞれ女性名詞、男性名詞や。
クニー:先月も話題にした井伏鱒二の『山椒魚』の仏題はLa Salamandre。出だしの「山椒魚は悲しんだ。/彼は彼の棲家である岩屋の外に出てみようとしたのであるが」が、仏訳では«La Salamandre sombra dans la mélancolie. /Elle avait voulu sortir de la cavité qui lui servait de logis...»(Picquier poche, 1999)で、原文は「彼は」なのに、salamandreが女性名詞なのでelleになっている。
ヨシ:こないな例を1つ取っただけでも、翻訳というのはなかなか複雑な作業やなあって実感するね。
クニー:ほんと! でも去年1年を振り返っただけでも、フランス語作品の見事な日本語訳が数多く出版されているよ。
ヨシ:ほな今回は二人の気になった作品を放談しましょ。

クニーのイチ押しは
クニー:ぼくのイチ押しはロマン・ガリ『夜明けの約束』La Promesse de l’aubeかな。『ふらんす』10月号の書評でも取り上げられていたね。ロマン・ガリの知名度は日本では低くて、この1960年の代表作も今回が何と初訳! 出版社は「共和国」。2014年にできたばかりの出版社で、お一人でなさっている。
ヨシ:お、ぼくも贔屓(ひいき)のガリやね。過剰ともいえる愛を息子に注ぐ母親と、その愛に応えようと母に約束する息子の物語で、ガリの自伝的小説やね。読んでると、人間の愚かなほどの誠実さとか、盲信的なまでの純粋さとかが伝わってくる。
クニー:ガリの小説はさりげない真理がところどころに顔をのぞかせる。たとえば文学について。「[…]私は、ある日、文学へと舵をきることになった。文学こそは、この地上でどこに身を隠せばいいのかわからない者たちの、最後の避難所であるように思われた」。文学とは健全さや絆をほめそやす社会では居場所を見つけられない、見放された者がたどり着いた世界なんだって思った。
ヨシ:原文は« [...] je devais un jour opter pour la littérature, qui me paraissait le dernier refuge, sur cette terre, de tous ceux qui ne savent pas où se fourrer»。「文学こそは」のところ、関係代名詞quiの形容詞節なんやね。でも独立文で訳してあるので読みやすい。訳者は岩津航さん。些細なところまで心配りがきいた訳で、最後まで一気に読めてまう傑作です。
クニー:この小説はフランスで映画化されて、ちょうど去年の暮れに本国で公開されました。母親役はシャルロット・ゲンズブール、息子役はフランソワ・オゾン監督『婚約者の友人』にも出ていたピエール・ニネ。
ヨシ:去年フランスで最も予算をかけた映画やと言われてるね。

ヨシのイチ押しは
クニー:ヨシのイチ押しは?
ヨシ:何というてもナボコフの『アーダ』(早川書房)やな。訳者の若島正先生には2回生んときに英語を教わってんけど、家まで押しかけたこともあったなあ。
クニー:フランス語小説じゃないじゃん! でもどんなところがオススメ?
ヨシ:いやー、まだ読んでへんで!
クニー:読んでないのお~!? じゃあ読んだなかでは?
ヨシ:感動したのは、テッド・チャン『あなたの人生の物語』(ハヤカワ文庫SF)や。去年公開された映画『メッセージ』の原作。主人公の言語学者の1人称語りで話が進んでいくけど、モノローグとモノガタリの結構に由来する切なさがよかった。
クニー:それ同感なんだけど、去年の作品でもないし、フランス語でもない……。
ヨシ:せやかて『メッセージ』の監督ドゥニ・ヴィルヌーヴはカナダのケベック出身で、もちろん仏英2言語話者やで!
クニー:そのヴィルヌーヴ監督が撮った『ブレードランナー2049』の主演俳優ライアン・ゴズリングもカナダ人! いやあライアン演じるKがさあ、自分のアイデンティティと記憶をめぐって、苦悶の──。
ヨシ:クニー、フランス語と関係あらへんで。
クニー:テヘッ! \(//∇//)\

サンサル『2084 世界の終わり』
ヨシ:日本で初めて紹介された仏作家もおるね。セリーヌ・ラファエル『父の逸脱』(新泉社)、ガエル・ファイユ『ちいさな国で』(早川書房)、ブアレム・サンサル『2084 世界の終わり』(河出書房新社)などなど。
クニー:サンサルは、結構前になるけれど、フランスの友人と話をしていたときに、勧めてくれたことがあった。その作品がLe Village de l’Allemand ou Le Journal des frères Schiller(「ドイツ人の村 シラー兄弟の日記」未訳)。主人公の兄弟を中心に、90年代のアルジェリアの内戦、ナチスの犯罪、そしてフランスのバンリュー(郊外)がつなぎ合わされていく設定で、歴史はぼくらとは無関係の過去ではなく、現在ともつながっていると思い知らされる。この小説の、そのつながりの軸は人間がふるう暴力の偏在。人間存在の本質的な問題をえぐりだしてるね。
ヨシ:『2084』は宗教独裁国家が舞台で、この国以外に世界はなく、すべては監視され、過去の記憶は操作され、ちょっとでも信仰心に嫌疑がかけられたらそれだけで処罰を受ける、ユートピアの反対のディストピアの世界やね。表題はもちろんオーウェルの『1984』を踏まえてる。
クニー:この作品で印象に残ったのは「世界を発見するということは、複雑さの中に入っていくことだ。そして世界が謎や危険や死の潜む真っ暗な穴であると感づくことは、すなわち、真実の内には複雑さしか存在しておらず、目に見える世界や単純さはそれを隠すためのカモフラージュにすぎないと発見することなのだ」という箇所。
ヨシ:現実世界の複雑さを隠してまうのが全体主義社会やいうこっちゃな。
クニー:うん。イデオロギー支配とは、唯一の正解を与えられ、考えなくても済むようになっていくことだと思うよ。そしてその方が楽だから、ますます体制におもねって生きるようになってしまう。
ヨシ:訳者の中村佳子さんがあとがきで「わたしたちには新しい現実を解読するための新しい『1984』が必要だ」いう作家のインタビューを紹介してはるけど、この作品を読んでると、文学の虚構性は、実は現実世界を裏側から照射するためにあるんやて納得でけるわ。

プルーストと翻訳
クニー:今回は翻訳がテーマだったから最後はこんな一節を。«Le devoir et la tâche dʼun écrivain sont ceux dʼun traducteur(作家の仕事、作家の使命とは、翻訳者のそれなのである)»
ヨシ:プルースト『失われた時を求めて』やん。去年翻訳された『プルーストと過ごす夏』(國分俊宏訳、光文社)でも引用されていた。「真実はすでに私たちの中に存在しているから、作家は発明する必要はなくそれを翻訳すればよい」を踏まえた文やな。
クニー:そう。でも注意すべきは、翻訳は置き換え作業じゃない。たとえ真実がすでに存在しているとしても、それが何なのかを理解し、理解をしたら、次にそれにふさわしい表現を探さなくちゃいけない。深い理解と固有の表現を求める営みこそ翻訳じゃないかな。
ヨシ:その意味で、翻訳とはまさに創造行為やね。ぼくらも2年間放談して、お互いを深く理解でけてきたと思うで。
クニー:ヨシ!
ヨシ:クニー!
クニー:って、ジョン・レノンとオノ・ヨーコのモノマネはヨシてちょうだい。
ヨシ:ギャフン。

◇初出=『ふらんす』2018年2月号

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著者略歴

  1. 福島祥行(ふくしま・よしゆき)

    大阪市立大学教授。仏言語学・相互行為論・言語学習。著書『キクタンフランス語会話』

  2. 國枝孝弘(くにえだ・たかひろ)

    慶應義塾大学教授。仏語教育・仏文学。著書『基礎徹底マスター!フランス語ドリル』

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