第21回 フランスの中等教育と主体性
クニー、ウィーンへ行く
クニー:Allô, allô ?
ヨシ:はいはい?
クニー:Tu mʼentends ?
ヨシ:よう聞こえてんでー。パリの天気はどない?
クニー:あの、今パリじゃないんだ。Vienne にいるの!
ヨシ:ヴィエンヌ ??? て、いわゆるひとつの「ウィーン」やな。クニーが出張で、締め切りが心配やさかい、パリからスカイプって言うてたのに ???
クニー:実は週末に、長らく会っていないNantes に住んでるフランス人の友人に会いに行こうと思って連絡したら、ナント!「 去年からウィーンで働いているんだ。パリから飛行機で2 時間! おいで!」って言われてね。
ヨシ:あいからず軽いフットワークや!
クニー:「見るまえに跳べ! Leap before you look」をモットーに生きております~。フランス語ならSaute avant de regarder !
ヨシ:お、さすが大江の健ちゃんファン。これ、もともとは20 世紀のイギリスの詩人オーデン Auden の詩の一節で、それを大江健三郎が自分の小説のタイトルに使こたんやったね。
クニー:ご名答!
中等教育と教師
ヨシ:ところで、そのクニーのオトモダチはどないな仕事をしてはんの?
クニー:ウィーンには lycée français (フランス人学校)があってね。そのclasse préparatoire(準備学級)で経済を教えているんだ。
ヨシ:「クラス・プレパラトワール」、略して「プレパ」、は、バック bac、つまりバカロレアbaccalauréat をとった後で、さらに2 年間勉強して、ちょっとエエ学校のグランドゼコールgrandes écoles を目指すための課程やね。
クニー:bac が « examen » つまり一定の点数を取れば誰でも合格できる試験なのに対して、グランドゼコールの入学試験は « concours » すなわち定員があり、選抜される試験。生徒たちは狭き門を目指して必死に勉強しなくてはならないんだよね。ちなみに友人の担当授業数は週10 コマ。それ以外は、進路相談にのったり、遠足の企画をしたりと、授業以外の仕事もしてるって言ってた。
ヨシ:週10 コマいうたら、日本の高校の先生たちの半分くらいかな? フランスの中高の先生になる資格にはCAPES(カペス)(certificat dʼaptitude pédagogique à lʼenseignement secondaire =中等教育への教育適正証明書)いうのとagrégation(教授資格)の2 種類あるね。
クニー:agrégation は大学での教授資格にもなるね。それぞれの資格者はcertifié(e), agrégé(e)と呼ばれるけど、agrégé(e)は「エリート」や「専門家」のイメージが強いね。そのせいか、中高の現場では、certifié(e)の先生たちとagrégé(e)の先生たちで、意見がぶつかることもあるみたいだよ。
教師の労働時間
ヨシ:自分の授業のある時間に学校に行ったらエエゆうのんも日本とちゃうね。
クニー:そうだね。僕の友人は、だから授業準備に十分な時間をかけられるし、宿題の添削も丁寧にできるって言っている。あ、あと試験の答案は家に持ち帰ることができるんだって!
ヨシ:日本の先生たちは、拘束時間の問題もあるけれど、とにかく授業以外の仕事の負担が重すぎるんやろな。部活の顧問とか、フランスにはあれへんし。
クニー:そうだね。フランスで、授業以外の仕事で興味深いのはconseil de classe(クラス会議)。生徒の成績を決める会議のことなんだけど、ナント! 先生だけではなく、生徒の代表2 名と保護者の代表2 名が参加するんだ! 先生の講評に、評価は変わらなくても意見を述べられる!
ヨシ:『パリ20 区、僕たちのクラス』Entre les murs って映画にも出てきとったね。中島さおりさんの『哲学する子どもたち──バカロレアの国フランスの教育事情』(河出書房新社)に詳しく書かれてるんやけど、ナント! 中島さんご本人が、保護者代表としてこの会議に参加してはって、その体験談が語られてんねん。
クニー:ぼくもその本読んだ! それで驚きだったことが、産休代理の先生がなかなか決まらなかった話。実はフランス代理教員remplaçant (e)が見つからないことは珍しくなくて、例えばある先生が長期で病気になった時とか、代理教師が決まらないと、そのクラスはずっと自習になっちゃう。
ヨシ:日本では、周りの教員がフォローするけれど、フランスではせえへんので、生徒たちがほっとかれてまうんやな。
クニー:あ!
ヨシ:どしたん?
クニー:友だちが呼んでる!「 せっかくウィーンに来たんだから、もっといろいろ見せたいんで、外に行こ」って。
ヨシ:ほっといてくれんわけやね。この続きは─ってスカイプ切れてるし!
教育と主体性
クニー:ただいま~! 日本到着!
ヨシ:帰ってきてくれたのはエエけど、もう締め切りが……ホンマに限界やで~。
クニー:まあまあ、はいおみやげ。リンツァー・タルトLinzer torte (独), tarte de Linz( 仏) です!
ヨシ:おおきに……。せやけど、心配のあまり、いろいろ調べたで。代理教員の問題、フィガロ紙に載っとった(2016 年6 月27 日付)。小学校でも代理の先生が見つからへんことがようあって、深刻な問題になってんねんて。ある日学校の壁に «Lʼenseignante est absente et ne sera pas remplacée du 6 au 8 juin» って、貼ってあったりするんやと。ヤバイな。
クニー:「先生は6 月6 日から8 日まで不在です。代理の先生はいません」って……。
ヨシ:さらにその記事には「こないな問題が続くと、うんざりした親が自分の子どもを私立の学校に入れるようになるんやないか」と懸念を示すFCPE93 の親の声が載ってる。
クニー:FCPE は、これも中島さんの本に出てくるけれど、左派系の保護者の団体。93 は行政区画の番号で、パリ郊外のサン=ドニにあたるね。
ヨシ: 他にも調べたがな。conseil de classe は1976 年の教育改革で導入されたから、40 年の歴史があるんや。
クニー:conseil de classe は、閉鎖的で権威主義的な学校を、生徒や保護者に開くことによって、「社会に開かれた学校」に変えるという意味があった(小野田正利「フランスにおける学校運営への生徒参加に関する研究」『長崎大学教育学部紀要1989』)。それは、68 年の学生運動に端を発する社会の変革とつながってるね。
ヨシ:参加することで、自分のおる共同体に対して責任を持つこと、それがひいては、学校を出た後も社会の中でどない振る舞うかいう市民教育éducation civique につながっていくわけやね。
クニー:うん、ぼくもそう思う。もちろん、理想と現実の乖離はどんなときにもあることは事実。でもぼくの別の友人は、68 年直前に10 代だったんだけど、彼は教育現場における権威主義は、教師のchâtiment corporel を蔓延(はびこ)らせていたと言っていた。
ヨシ:「体罰」ね。punition corporelle とも言う。
クニー:châtiment にせよ、punition にせよ、それは生徒をcorriger(矯正する)ためだって言われる。
ヨシ:corriger やその名詞形 correctionには「体罰を与える」「折檻」いう意味もあって、「矯正」と「体罰」が分かち難く結びついとるね。
クニー:その通りで、そこに言葉の欺瞞がある。「罰」をviolence(暴力)に置き換えてみるとわかる。その瞬間に、「矯正」や「しつけ」と言われているのは、実は子どもに支配欲を見せつけるための虐待に他ならないことが明らかになる。
ヨシ:せやからこそ、生徒が教師と対等の立場に立つことが大事なんやね。もちろんそれは生徒の方が教師より偉いわけやあれへん。せやなくて、学校という共同体を共に支えていることを自覚することが大切なわけや。
クニー:そのとき同時に、生徒や教師という肩書きではなく、「今目の前にいる人はどんな考えの持ち主なんだろう?」、「自分はどんな考えの持ち主なんだろう」と、人そのものへの興味、さらには敬意が湧いてくるんじゃないかな。そこで交流が始まるんだと、僕は思ってます。
ヨシ:ナントええこと言うてくれはる!
クニー:ナントはもういいから……。
◇初出=『ふらんす』2017年12月号