第15回 漫画とMANGA
フランスでの漫画
クニー:あれ、ヨシ、めずらしく今月はスマホいじってないねー。
ヨシ:毎度々々いじってまっかいな。
クニー:でも、やっぱり、対談相手のぼくを見ないで、マンガよんでるし! しかも、6月なのに『3月のライオン』!
ヨシ:それがもう、羽海野チカの『3月のライオン』の仏語訳を読むのに必死で。
クニー::『ハチミツとクローバー』の方はずいぶん前に仏語版が出てるけど、『ライオン』は、ことしのアタマにやっと仏語訳がでたんだね。
ヨシ:でも、タイトルは March comes in like a lion(3月はライオンのごとくやってくる)と、公式英訳タイトルがそのまま使われとる。ちなみに、これはMarch comes in like a lion, and goes out like a lamb.(3月はライオンのごとく現れ、ヒツジのごとく去る)っちゅう、イギリスの季候のことをいうた諺からきてんねんで。
クニー:この諺のフランス語版は、Quand février commence en lion, il finit comme un mouton.(2月はライオンのごとく始まり、ヒツジのごとく終わる)。「2月のライオン」になっちゃうわけで、だから英語のタイトルが採用されたのかも。
ヨシ:なんと、せやったんか!
クニー:というわけで、今月もマンガのオハナシを。なにしろ、フランスでは、いまや、「第9の芸術」だからね。ちなみに、去年の7月から日本各地を巡回してて、今年の7月からは名古屋で開催されるルーヴル美術館が漫画をあつかった展覧会は、「ルーヴルNo.9 ~漫画、9番目の芸術~」という名前だよ。先月ふれられなかったやつ。
ヨシ:なんと、9番目なんや。ちなみに、1から8は、なんやのん?
クニー:じつは諸説あるんだけど、さいしょに言い出したのは18~19世紀ドイツの哲学者ヘーゲルで、『美学』って本のなかで、1から順に建築、彫刻、絵画、音楽、詩とならべてるけど、これは、この順番で物理的素材が減ってくから。
ヨシ:なるほどー。
クニー:その後、イタリア生まれの作家で映画評論家のRicciotto Canudo が空間芸術の建築、彫刻、絵画、時間芸術の音楽と詩・文学に、身体芸術である演劇やダンスの舞台芸術を新たにくわえ、それらを統合した芸術として映画をプッシュ。1922年に、Gazette des sept arts という映画評論誌を創刊したりしたので、7番目は映画に。
ヨシ:じつは、大阪の十三(じゅうそう)いうとこに「第七藝術劇場」いう映画館があんねんけど、そっからきとったんやな。
クニー:でも、6番目は写真という説もあったりする。
ヨシ:ややこしな。
クニー:ベルギーの国立放送研究所のディレクターだったRoger Clausseが、1941年にLa Radio, huitième art いう本を出して、以後、ラジオとテレビが8番目。
ヨシ:ほんで9番目が漫画いうわけやな。
クニー:ついでにいうと、このごろは、10番目がコンピューターゲームjeu vidéoとかいわれてるけどね。
ヨシ:写真はどこいってもうたんやろ?
クニー:でも、日本の漫画の海外版って、「右綴じ横書き」なんだね。ふつうの洋書とは開きが逆だ。
ヨシ:じつは、これにも歴史があんねん。クニーのいうとおり、フランスなんかの本は「左綴じ横書き」。「右綴じ縦書き」な日本語版を、仏訳版にしたとき、どないしたかいうと、さいしょは、むりやり「左綴じ横書き」にしとった。そのために、版面を裏返しにして印刷してある。おかげで、絵柄の印象が微妙にちごてるうえに、書き文字なんかも裏返しのままや。フランス版になった最初の日本の漫画は、やっぱり日本といえば「サムライもの」のイメージのせいか、石ノ森章太郎の『佐武(さぶ)と市(いち)捕物控(ひかえ)』で、1979年にLe Vent du nord est comme le hennissement d’un cheval noir(北風は黒馬の嘶き)いうタイトルで仏訳がでてるけど、裏返しに製版されてる。
クニー:馬がいなないてるとこで、「ヒーン」ていう書き文字が裏返しだねー。
ヨシ:鳥山明『ドラゴンボール』の1993年にでた仏訳版も「左綴じ横書き」。
クニー:ピラフ大王の「炒飯」って漢字が、やっぱり裏返しだ。
ヨシ:ところが、1996年の手塚治虫『ブラックジャック』の仏訳版は、「左綴じ横書き」なんやけど、漢字の書き文字がでてくるとこのコマだけ、裏返しにならんように工夫しとる。
クニー:看板の「レストラン鬼頭」「お食事処 そつ井」「三木おろし」文字が裏返ってないね。あと、時代を感じるね。
ヨシ:そんで、2000年の鶴田謙二『Spirit of Wonder』仏訳版になると、「左綴じ横書き」で、なかのコマ割りも反転してるけど、ひとつひとつのコマの絵は、オリジナルの日本語版とおなじ配置になるようにしてあんねん。
クニー:これは手間がかかってる。
ヨシ:そのせいか、そんなふうにしてる訳本はすくのうて、『ドラゴンボール』より後の1998年にでた鳥山明『Dr. スランプ』の仏語版は、「右綴じ横書き」で、日本語とおんなじになってる。
クニー:オリジナルのセリフのとこだけフランス語にした感じだね。
ヨシ:このあたりから、日本の漫画は、オリジナルとおなじ「右綴じ」で、セリフだけ「横書き」が定着していくわけや。
クニー:なるほど、『Dr. スランプ』の仏語版は、各ページの上の余白のとこに、左向きの矢印をもったアラレちゃんがいて、読む方向を示してるね。
ヨシ:なにしろ、フランスの読者は、慣れてへんかったやろしなあ。
クニー:日本の書籍の形式が受容されてく、興味深い例だよね。
ヨシ:これ、最後のページにも、Avis au lecteur(読者への注意)いうのがあって、« Eh non, tu ne rêves pas ! Tu es bien à la dernière page de Dr Slump, et pourtant, cʼest le début de lʼhistoire. En effet, pour conserver lʼesprit original du manga dʼAkira Toriyama, le papa de Dragon Ball, nous avons décidé de garder le sens de lecture japonais, à savoir de droite à gauche. En clair, lire Dr Slump, il te faudra commencer par la fin, dʼaccord ? »(いや、夢じゃないよ! ここはDr.スランプのページのおわりで、でも、オハナシのはじまりだ。ドラゴンボールの生みの親である鳥山明の漫画のオリジナルの精神をのこすために、日本式、つまり右から左へという読み方を採用したわけ。ようするに、Dr. スランプを読むには、おわりから読むべきなのさ。わかった?)って書いてある。
クニー:「手間がかかるから」とかじゃなくて、積極的理由になってるんだね。
ヨシ:じつは、これに先だつ1994年に、高橋留美子の『らんま1/2』の仏訳版が出てるんやけど、それは、すでに日本式で、しかもなんの説明もない。どっちの仏訳本も、おんなじGlénatって会社から出てんねんけどね。
クニー:フランスの読者も、日本の習慣について学べるっていう点を、積極的にアピールするようになったんだね。
ヨシ:日本の manga は右から読むってのが定着したかとおもたけど、最近の訳本も、やっぱり注意が書いたあるわ。
日本を知るための漫画
ヨシ:そういうたら、仏訳版の漫画には、よう、「コンビニ」とか「先輩」とか、日本に特有の事物についての注釈がついとって、こいつを読むのがまたオモロイ。
クニー:フランス語訳の漫画にある注釈を読むことが、じぶんたちのことを学ぶ機会にもなるわけだね。みずからの姿を客観的にみることができるし。
ヨシ:日本の漫画の仏訳版を読むと、日本語をフランス語にするときのベンキョーになるわけやけど、それ以外にも学びのポイントがあるいうオハナシでした。
◇初出=『ふらんす』2017年6月号