第10回 芸術鑑賞と芸術体験
ポケモンのフランス語名
クニー:Bonne année !
ヨシ:Psykokwak !
クニー:えええ、プシコクワック?
ヨシ:ほら見て、可愛いやろ。
クニー:ヨシ、スマホでポケモンGOって、僕との対談の大切な時間をなんだと……(泣)
ヨシ:かわええコダックをゲットやがな。はよ、嫁氏のレベルに追いつかんとなあ。
クニー:ぼく、ポケモン知らない……。スマホ持ってない……。
ヨシ:コダックは、フランスではPsykokwak いう名前やねん。ピカチューは世界共通の名前やけど、それ以外のポケモンって国ごとに名前を決めてんのやがな。コダックはあひるポケモンで、「サイコショック」という技を使えるさかいpsycho、あひるの鳴き声のcouacをもじって名前がつけられたわけや。
クニー:ネーミングにはちゃんと理由があるのね。
ヨシ:そやで。たとえば、フリーザー! 伝説のポケモンやけどフランス語はArkikodin.
クニー:名前の由来は?
ヨシ:これはレアポケモンやから、特別な存在やいうことがわかるように、北欧神話の主神オーディンOdinと、その前に氷を連想させるartikをつけてる。
クニー:そっか、北極はArctique、南極大陸はAntarctiqueだもんね。しかしヨシ、詳しいね。
ヨシ:実は、ポケモンのフランス語名をつけた人がちゃんと解説してはるねん。
クニー:語源とか、意外にフランス語の勉強になりそうだね。
ルーヴル美術館の「三美神」と学校教育
ヨシ:ポケモンGOの効用はそれだけやない。歩かんとポケモンゲットでけへんから、もう毎日歩いとるよ。おかげでj'ai perdu du poids ! 体重減った! 5キロ減!
クニー:casanier(出不精)のヨシと呼ばれたあのヨシが外に出るようになってる。
ヨシ:究極のインドア派、クニーも、レコードばっかり聞いてへんで外に出たほうがええんとちゃう?
クニー:一応、これでも美術館にはよく行くよ。先日は東京上野にクラーナハ(1472-1553)展を見に行ってきたよ。
ヨシ:大阪にもくるね。クラーナハはドイツの画家やけど、そういえば数年前に、ルーヴル美術館が、寄付金を集めて作品を購入したんやったね。
クニー:そう《三美神Les Trois Grâces》だね。クラーナハの描く女性は透明な白い肌、なまめかしい体つきをしていて、独特なエロティシズムをたたえているけど、この作品でもdivinité(神性)を表象する3人の女性が描かれていて、しかもそれぞれ背中、正面、横の姿が描き分けられて、3体で女性の体があまねく見られるようになっている。
ヨシ:クラーナハが描く女性には、よう薄うて、蜘蛛の巣のようなヴェールがかけられとるね。女性の肉体をかすかに隠しとって、その分ヴェールの向こうを覗いてみとうなるような気分にさせる。
クニー:Celui qui regarde du dehors à travers une fenêtre ouverte, ne voit jamais autant de choses que celui qui regarde une fenêtre fermée.「開いた窓の外から中を見る者は、閉じた窓を見る者ほど多くのものを見ることは決してない」のボードレールの一節を思い出すね。
ヨシ:実際に見えてるもんより、想像で描かれる世界の方が、広大で豊かやっちゅう考え方やね。窓が閉ざされている分、部屋の中がどないなってんのかに想像を巡らす。
クニー:ぼくら、今回はアダルトな話題になってるけど『三美神』を調べていて驚いたことがあったんだ。何とルーヴル美術館が、CM2のクラス、日本の小学校5年にあたる子供たちにこの絵を鑑賞させているんですよ。(http://www.louvre.fr/questions-enfants/les-trois-graces)
ヨシ:ほお、大胆な!
クニー:しかも学芸員が子供たちに「何が描かれてる?」など、いろんな質問を投げかけ、子供たちはÀ mon avis...「私の意見では……」って、自由に思ったことを話して、意見を出し合ってる。
ヨシ:教室も盛り上がるよね。どんな話をしてんのん?
クニー:まずは絵を丁寧に見ることから始めてる。首飾りcollierをつけている、砂利の上にsur du gravier立っている、などしっかり観察して、この3人は中央が貴族で、両側の2人は侍女じゃないかと想像を膨らませていく。
ヨシ:先生から教えてもらうんやのうて、まずは自分で考えて、想像して、意見を言うっていうスタイルがええね。
クニー:その通り。例えば背景が真っ黒なのはクラーナハの特徴だけど、「これは夜だから」と言う子もいれば、「黒なのは、明るい肌の女の人を際立たせるためじゃないの?」って言う子もいる。いろんな意見を出し合い、話し合いながら、理解を深めてゆくんだ。
ヨシ:日本もせやけど、フランスの子どもたちも、社会見学で美術館や劇場を訪れたりするね。オペラ・バスティーユでも子供たちの社会見学を受け入れてて、カツラを作る工房を紹介したりしてるで。そないな実体験が大切やね。
鑑賞教育と想像力
クニー:ぼくは「言語とヒューマニティ」という言語・文化・芸術を幅広く扱う授業を担当しているんだけど、そこでいつも学生に「最小限の努力で最大限の効果ではなくて、時間を無駄にしてみよう」って呼びかけて、授業のなかで1分間じっと絵や写真を見たりしてるんだ。
ヨシ:スマホではまさに瞬時にいろんな情報を得られるから、とっても効率的って思うけど、でも実際のところ、そこで得られた情報の大半は1週間もしたらたいがい忘れてるんやないかな。
クニー:感じたり、考えたりすることは実はとっても時間がかかること。教育学者の上野行一さんが、鑑賞行為とは「視覚の冒険であり、頭の体操であり、心の遍歴だ」(『私の中の自由な美術、鑑賞教育で育む力』光村図書出版)って述べているんだ。つまり見るという持続のなかで、頭の中で想像し、思索をし、追認ではなく探索を重ねることで新しい体験が自分の中に形成されてゆくってことだと思うんだ。そのためにはじっくり、ゆっくり作品と対話しないと。
ヨシ:ぼくの研究しとる相互行為やな。上野さんは鑑賞教育の実践者で、それを教室でしはるんやね。ルーヴル美術館が企画した子供たちの鑑賞も同じやけど、お互いに意見を言って、対話をして、その協働作業から意味を構築するわけで、まさに社会構築主義的行為や。
クニー:じっと見ていると、だんだん見えないものまで見えてくるんだよね。先の本のなかでぼくが一番面白かったのは、モネの睡蓮を見ていた子どもが「あ、蓮の下にカエルがいる!」って言った話。蓮の下には何がいるんだろう、こんな池だったらカエルがいるに違いない、前にもカエルとったときに、葉の裏に隠れていたし、って想像して、体験を重ね合わせて、絵と向き合う。想像力を羽ばたかせた、絵と私との対話こそ、芸術の価値なんじゃないかな。
ヨシ:せや! 出会いが大事! ポケGOも、画面見てると突然ポケモンが現れんねん。この偶然の出会いがたまらんのやー。
クニー:とか言って、ちゃんと前見て歩かないと、ほら、そこに池が!
◇初出=『ふらんす』2017年1月号