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福島祥行+國枝孝弘「ヨシとクニーのかっ飛ばし仏語放談」

最終回 教えの道と学びの道

最終回のふたり

ヨシ:ちゅうわけで、最終回ですねん。ほな、サイナラ。

クニー:いやいや、2行で終わっちゃあ、編集長が原稿料かえせっていうよ。

ヨシ:ほな、その昔、日曜洋画劇場で解説したはった淀川長治(よどちょう)さんのマネしたら、字数稼げるさかいに─。

クニー:じゃ、4年間にわたるこの放談も最後ってことで、最終回は、原点にもどって─。

ヨシ:ゲンテン? ゲンテンいうたら、その昔、NHK でやってた「お笑いオンステージ」の「減点パパ」のコーナー。てんぷくトリオの三波伸介が─。

クニー:この放談の第1回でいったこと、おぼえてる?

ヨシ:いやあ、おたがいを紹介しあったことしか、記憶にございません。

クニー:ロッキード事件の証人喚問じゃあるまいし、われわれのこの放談は、みんな「web ふらんす」で読めるから、すぐたしかめられる。

ヨシ:あ、ほんまや、「動詞の活用とか、前置詞の使いわけとかのハナシもする予定ですんで」とかいうてるけど、1回もせえへんかったなあ。

クニー:代わりに、よく歌ってたよね。

ヨシ:歌はフランス語の学びに役立つとか、ちゃんと放談してまんがな。

クニー:さいしょのころは、フランス語の学びにつながるネタがおおかったね。

ヨシ:フランス語の学び手をencouragerしよいうて始めた連載やからね。

クニー:けっきょく、ひろくフランス語の学び手に聞いてほしいハナシを放談することになったけど。

ヨシ:それはもちろん、「フランス語を学ぶこと」、ひいては「外国語を学ぶこと」いうのんは、この世界のさまざまな片隅につながってるからやで。

クニー:まあ、現役のフランス語の先生たちの雑学小ネタ帖になれば、って目論見もなきにしもあらず。

ヨシ:ちゅうわけで、フランス語の教育/学習のハナシ。

クニー:この放談でも、何回か出てきたけど、いろんな勉強のしかたがあるよね。

ヨシ:第7回第8回で放談したみたいに、「教えること」が「学ぶこと」と一体になってる場合もあるで。

クニー:第8回では、教授法の歴史を放談したけど、最初期に出てきた「文法訳読法」、オーラル面がおろそかになるって評判が悪かったわけだけど、ぼく自身、このやり方で勉強してきて、この方法自体がまちがってるとはおもわない。

ヨシ:このたびの英語入試改革問題でも、まず読解や単語を身につけて、オーラルは大学はいってからやる方がエエって専門家の意見もあったなあ。要するに、各自が具体的目標を持つことが肝要なわけやね。

クニー:この放談でもしばしば話題にした(第12113538回)CEFR(セファール)(ヨーロッパ言語共通参照枠)も、2001年の初版ではécouter(聞く)、lire(読む)、prendre part à une conversation(会話する)、s’exprimer oralement en continu(スピーチする)、écrire(書く)の4技能5領域だったのが2018年2月に公表された補足版(Volume complémentaire avec de nouveaux descripteurs) では、おおきくréception(受取)、interaction(インタラクション)、production(産出)、médiation(メディエーション/仲介)の4分野にわけ、最初の3分野は、さらに口頭と書記にわけて、それぞれécouter(聞く)/ lire(読む)、interaction orale(口頭インタラクション)/ interaction écrite( 書記インタラクション)、production orale(口頭産出) /production écrite(書記産出)、の6領域にし、最後のメディエーションは、médiation de textes(テクストのメディエーション)/ médiation de concepts(概念のメディエーション)/ médiation de la communication(コミュニケーションのメディエーション)の3領域にわけて、都合9領域を、A1 からC2 までの6段階─ pré-A1 を入れると7段階─で自己評価する目安に変更されてる。つまり、より細やかな目標の設定ができるようなったんだよね。

ヨシ:CEFR の根本理念の複言語・複文化主義plurilingue-pluriculturalisme─じつは、この場合、-isme を「主義」と訳さん方がエエかもって議論もあるみたいやけど─いうたら、言語能力は具体的な言語使用の場、つまり《他者》との相互行為の中で発露するいう考え方やからね。畢竟(つまるところ)、言語の学習-教育は、《他者》と共存/共生co-exister/co-vivreすることが目標っちゅうわけや。

クニー:まさに、21世紀にふさわしい理念だよね。そもそも、ぼくたちが外国語を学ぶのは、まずは自分の立場を相対化するためだけど、でも、それだけじゃ不充分。みずからを相対化し、他者の立場も容認する、つまり多様性diversitéを認めたうえで、じゃあ自分はどの立場を選択するのか、そうした省察réflexion ができることが必要なんだ。だから、外国語を学ぶ-教えることで、たんに複眼的な眼差しを身につけるだけじゃなく、そんなふうな批判精神も育むべきだとおもうよ。

ヨシ:じつは、第7回でもいうたラーニング・ポートフォリオは、《自己》を《他者》として「ふりかえりréflexion」をするためのアイテムやねん。それに、自己評価auto-évaluation もまた、自己の他者化の訓練になるわけや。

クニー:今年度の『ふらんす』には、前期「フランス語、中等教育の現場から」の連載があったし、ぼくらも放談した(第38回)けれど、日本の中等教育の外国語科での多言語化をもっと推進すべきだよね。じゃなきゃ、「グローバル」な人間を育てるとはいえない。

ヨシ:放談にも出てきたけど(第11回)ぼくの大学もクニーの大学も多言語入試をやっていて、それは中等教育の多言語化を応援するためでもあるわけやしね。

クニー:それにくわえて、これからは、複数言語を教える先生にでてきてほしいね。英語とフランス語だけじゃなくって、中国語と朝鮮語とか、フランス語とイタリア語とか、複数の言語を教えられるような先生。ぼく自身は、フランス語しか教えられないけど。

ヨシ:複言語・複文化能力compétence plurilingue-pluriculturelle を育てるためにも、早いうちから、いろんな言語が文化があることを教えて、比較とかするべきやしな。複言語・複文化能力を育てるための方法論のひとつに「言語への目ざめ」éveil aux langues ってのがあって、複数の言語をしめすことで、言語間の似てるとこや違(ちゃ)うとこを意識化したり、言語の複数性、文化の多様性を考えさせたりしてるで。

クニー:そこから、また、じぶんたちの言語や文化への問いにもどってくるべきだよね。《自己》から出発して《他者》に出会い、そしてまた《自己》との新たな出会いへ。

ヨシ:言語を学ぶ、そして教えるいうことは、単に、いろんな世界の人たちとハナシがでけるようになるだけやない。そもそも、「ハナシがでける」ゆうこと自体、たとえそれが「同じ言語の話し手どうし」でかて、カンタンなことやあれへんのは、みんな、日々感じてることやと思うで。ちなみに、コレ、ぼくの研究テーマな。

クニー:CEFR をつくったヨーロッパ評議会は、あることばを「○○語」と断定することにも慎重で、それは、つまり、そうすることで、そこからはみだす、たとえば「方言」や「若者語」なんかを「正しくない○○語」と勘違いさせるおそれがあるから。なので、「言語」の代わりに、「言語(変) 種」variété de langue って用語をつかったりしてるよ。

ヨシ:「すべての道はローマに通ず」Tous les chemins mènent à Rome. いうけど、フランス語を、外国語を、そして言語を学ぶ-教えるっちゅうことは、いろんな道に通じとる=連れてってくれるわけやね。Apprendre les langues(étrangères), c’est comprendre le monde.

クニー:というわけで、最終回です。

ヨシ:なんと、ミロリン編集長も、異動しはるらしで。

クニー:まさに卒業。

ヨシ:「卒業」いうたら、菊池桃子も歌(う)ととった、あれほど誰かを愛せやしないと。

クニー:サン=テグジュペリくれたやつ。

ヨシ:斉藤由貴も歌ととった、制服の胸のボタンを。

クニー:引用すんの、そこ?

ヨシ:ちゅうわけで、最終回です。

クニー:サヨナラ~、サヨナラ~、サヨナラ~アア

ヨシ:なんと、クニー、さいごはオフコースできよったか!

クニー:いや、淀川長治さんのマネ。

◇初出=『ふらんす』2020年3月号

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著者略歴

  1. 福島祥行(ふくしま・よしゆき)

    大阪市立大学教授。仏言語学・相互行為論・言語学習。著書『キクタンフランス語会話』

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