第11回 多言語入試と平和と人権
外国語学習と多様性推進
ヨシ:えらいこっちゃ、えらいこっちゃ。
クニー:どうしたんだい、ヨシ、ピコ太郎みたいに踊って。
ヨシ:どこが、パンチパーマでヒョウ柄のオッサンやねん。
クニー:じゃあ、なんなんだい?
ヨシ:もう2月やがなー。
クニー:「1月は去ぬ」っていうからねー。
ヨシ:ほんで、「2月は逃げる、3月は去る」、気ぃついたら、あっというまに新年度やがなー。
クニー:大学的には、この季節は、入学試験もやってて、忙しい時期だしねー。12月号の放談でも話題にしたけど、ぼくの慶應大学湘南藤沢もヨシの大阪市立大学も、英語以外の外国語を学んだことのある人に向けた、多言語入試を実施してるんだよね。
ヨシ:せやせや。英語の試験のいちぶを、フランス語や他の外国語の問題に変更して受けられる方式。日本全国じゃ、まだまだ珍し方式やけどね。
クニー:この入試形式を導入したのは、もちろん、多言語を学ぶことに関心のある人に来てほしいってことだけど、中学や高校で英語以外の外国語を勉強してる学生さんたちの応援と、中学や高校でもっと英語以外の外国語を教えるようになってほしいってことでもある。フランス語オンリー、英語オンリーじゃなくて、英語もフランス語も学ぶことが多様性 diversitéにつながるわけだから。
ヨシ:いや、ほんま、米国現代語学文学協会(Modern Language Association of America)、いわゆる MLAの専門委員会が、2007年に出した、9.11同時多発テロ後のアメリカの高等教育における外国語教育にかんする報告書『外国語と高等教育──変化後の世界のためのあらたなる構造Foreign Languages and Higher Education: New Structures for a Changed World』では、「複数言語の間で働かせられるような能力(ability to operate between languages)」に価値をおいた「言語と文化を超えるチカラtrance-lingual and trancecultural competence」を養うべきやというてる。
クニー:それって、つまり、母語と外国語をいったりきたりして、単一の言語や文化を超えるチカラを身につけるのが外国語教育の主眼ってこと?
ヨシ:そうそう。なにしろ、9.11後の「変化した世界」で生きるための外国語教育やからね。ちなみに、アメリカは、前年の2006年1月には、当時のブッシュ大統領が、全米大学長会議での演説で、アメリカはアラブ世界とかの異文化を理解しようとしてけえへんかったことがテロの一因になったいうて、幼稚園から外国語教育をやる「国家安全保障語学構想National Security Language Initiative」を打ち出しとってん。
クニー:なるほど、それもまた、「他者を知り、他者と交流し、ひいては平和に資するための外国語教育」だね。
ヨシ:でもまあ、アラビア語、中国語、日本語、韓国語とロシア語を含むユーラシア系言語、ヒンズー語を含むインド系言語、そしてペルシア語を「重要な外国語」と位置づけて、「外国語をマスターすることで、アメリカ式の民主化を推進でける」いうたもんやから、中国のメディアには、中国語社会へ、中国語ペラペラのアメリカ人が参入して、アメリカ式民主主義でひっかきまわすんが目的やないかと警戒したとこもあるみたいやけどね。
クニー:この放談の1回目と2回目でも話題にした「ヨーロッパ言語共通参照枠」、通称CEFR(セファール)(Common European Framework of Reference for Languages)の根幹思想である「複言語・複文化主義plurilinguism - pluriculturalism」も、EUとおなじく、戦争への反省から、ヨーロッパは相互に交流し、理解しあい、平和に暮らすための外国語教育をめざしてるしね。
ヨシ:こちらは、1949年5月5日のロンドン条約にもとづき、「メンバー間のいっそう緊密なむすびつきを実現すること」を目的として設立されたヨーロッパ評議会Conseil d'Europeが、2001年に出したもんやけど、そこでは、①「多様なヨーロッパ」をひとつにすることで、ヨーロッパ全体の進歩・発展をめざす、② その「多様性」をコミュニケーションの邪魔モンとみなさず、ゆたかさのための資源とするために、相互に言語を学びあう、③ 言語の教育─学習に際しては「複言語主義」にもとづくべきで、CEFRはそのための指標を提供する、いう理念が謳われてんねん。
クニー:複言語主義は、多言語主義 multilinguisme じゃないんだよね。
ヨシ:多言語主義いうたら、複数の言語を話すひとや共同体があるけど、ひとりの人や共同体ごとには、言語がひとつずつしかない状態や。英仏2言語が公用語とはいえ、フランス語話者の86パーセントがケベック州に集中しとるカナダとか、法律で言語境界線が決められて、その南北にフランス語話者とフランデレン語話者がふりわけられとるベルギーみたいなもんや。
クニー:ということは、共同体だけでなくて、バイリンガルとかトライリンガルみたいに、ひとりの人のなかで複数の言語能力が共存してんのも、多言語主義?
ヨシ:ひとつひとつの言語能力は完璧でも、それが混ざり合わんと併存してるのは多言語主義。それにたいして複言語主義いうのんは、ひとりの人の身につけた複数の言語や文化の体験が、それぞれバラバラの存在やなくて、渾然一体となったひとつの能力になってるのをいうんやで。せやから、バイリンガルの人でも、相手や状況によっては、複言語的になるやろね。
複言語主義と社会的包摂
ヨシ:この複言語主義を文化面にも拡張したのが「複文化主義」といえるね。そもそも、個々人の言語・文化能力いうのんは、本質的で固定的なもんやなくて、その場的で可変的なもんやからね。
クニー:というと?
ヨシ:たとえば、ぼくらの社会的アイデンティティが、学校やと先生、家庭やと夫、学会やとメンバー、路上やとオッチャンみたいに、相手や環境との関係性のなかで変わるみたいに、文化的側面かて、相手によって、芝居ずきになったり、相撲ファンになったり、ばあいによっては、深夜アニメとBLの複合的愛好家になったりするわけや。
クニー:ヨシ、そんな趣味が……。
ヨシ:言語面にしても、よそゆきの顔して話すときには共通日本語、フランスからの留学生とは仏日ちゃんぽん、関西の人と話すときは関西弁てなるやん。
クニー:ヨシは、『ふらんす』誌上でもNHKのラジオでも関西弁じゃないか。
ヨシ:そないな感じで、ぼくらの言語・文化能力いうのんは複合的で、それが相手や環境との関係で、あるときはA言語人、またあるときはB文化人みたいに、そのつどアイデンティティが析出してくるわけや。
クニー:なるほど、「ナニナニ語をしゃべるからナニナニ人」みたいなナイーヴな考え方はできないわけだ。そうすると、複言語・複文化主義は、結果的に「国民国家État-nation」という枠組みを乗りこえちゃう可能性もあるね。
ヨシ:なにしろ「ひとつのヨーロッパ」をめざしてるわけやからね。それだけやなくて、一個人が身につけてるいろんな言語や文化は、均等やなくてもかめへんのやから、言語能力の相対的に小さい「完璧やない言語話者」、たとえば、外国語初学者とか、異なる言語圏からの移住したばかりの人とか、発音上の障がいをもつ人とか、バブバブしかいえへん赤ちゃんとかの、「理想的母語話者」からみたら「ちゃんと話せん人」たちも、「一人前の話し手」として排除せえへん、人権に配慮した思想なわけや。
クニー:CEFRがネイティブスピーカーを目標として設定しないというのは、そういうことでもあるんだね。そして、それは、たとえば、方言とか、アイヌ語や特別永住者のことばとかの少数言語、海外からの一時的来訪者の言語なんかの「非日本語」の話者も排除しないってことでもあるよね。
ヨシ:まあ、せやからいうて、みんなのつこてる「共通日本語」や「共通フランス語」の勉強をせんでええってわけやないで。
クニー:ぼくらは他者とともに生きてて、他者との交流には、かならず言語が必要なんだからね。
ヨシ:ぼくかて、ちゃんと関西弁以外も身につけようとしてまっせ。
クニー:まさか、ヨシが共通日本語を……?
ヨシ:ペンパイナッポーアッポーペン!
クニー:今回は、オチが見えてたな。
◇初出=『ふらんす』2017年2月号