第17回 移動と旅
ヴァカンスの気分と現実
クニー:♫On contemple la mer, on contemple les cieux ~
ヨシ:カラオケ嫌いのクニーが珍しく歌とてはる!
クニー:「海を眺めよう~、空を眺めよう~」。そりゃぼくだって歌いますよ。だって今はヴァカンスじゃないですか~!
ヨシ:ヤニック・ノアYannick Noah のOn court(「走る」)の一節やね。確かにあのPV、輝く太陽に、青い空、青い海が広がって、めっちゃヴァカンス!
クニー:ヤニック・ノアはもともとテニス選手。1983 年の全仏オープン男子シングルスで優勝してる。現在はデビスカップ・フランス代表チームの監督までしてる、超がつく有名人。
ヨシ:と同時に音楽活動もしているんやな。On court は2014 年に出された曲。でもこの曲、よう聞いてみたら、単純な夏賛歌やあれへん。On court après le train「電車を追っかけて走る」や On court avec ou sans but pour éviter la chute「目標があってもなくても脱落しないように走る」とか、仕事で余裕をなくした日々も合わせて歌とてんねん。
クニー:ヴァカンスの国と言われるけれど、実際には3 分の1 のフランス人はヴァカンスに出ないという統計もあるね。
ヨシ:それもあって、セーヌ河畔や、パリ北東にあるラ・ヴィレット公園で、砂を敷いて海岸に見立てた、夏季限定の人工浜辺、パリ・プラージュParis Plagesが人気なわけやね。
クニー:ラ・ヴィレットといえば、昔友人たちとピクニックpique-nique に出かけたな。広々していて運河も流れていて、パリのなかでほっとできる場所。
パリのクニ散歩、ヨシ散歩
ヨシ:パリには、Porte de Versailles とか、パリと外との出入り口を意味するporteがついた場所がいくつもあるけど、そのあたりまで行って、路面電車Tramwayに乗り継いだりも楽しいね。
クニー:略してトラムTram。一度は姿を消したけど、パリ周辺で復活したね。ぼくはパリ市内を走るバスも好き。例えば27 番路線! サン・ラザール駅前を出発して、オペラ座を斜めに見たあと、ルーヴルの狭い門を通って、ガラスのピラミッドの目の前のバス停へ。さらにセーヌ河を渡って、左岸のサン・ミッシェルへ。切符一枚で素敵な観光旅行です。
ヨシ:89 もええで。国立図書館、通称BN(ベーエヌ)(Bibliothèque nationale)近くを出発して、しばらくすると植物園Jardin des Plantes に。ここには動物園もあるけど、同じ敷地内の自然史博物館Musée de lʼhistoire naturelle は特におすすめ! それからせまーい路地をスマートにバスは走り、ジャン・ヌヴェル設計のアラブ世界研究所Institut du monde arabe のガラスの建物をかすめて、リュクサンブール公園に沿うて進んでいく。ほんでからヴォージラール通りを南下して、トラムと交差や。
旅とトラブル
クニー:散歩は楽しいけど、ただぼんやりはしてられないよね。スリも多いし。
ヨシ:バスの窓に、こんなステッカーが貼ってあるのを見つけたときは、ちょっとびっくりした。« Votre téléphone est précieux, il peut faire des envieux, nous vous conseillons dʼêtre vigilants si vous lʼutilisez en public. »
クニー:「あなたの携帯電話は貴重品です。うらやましいと思う人が出てくるかもしれません。公共の場で使う場合には十分注意をしてください」。外で電話を使ってると、ひったくられることがあるんだよね。これ、日本語も併記されてる。
ヨシ:盗難にあったことはないけど、旅行中のトラブルは多かったなあ。TGVに乗ったとき、指定席券なのに、その番号の座席がなかってん。車掌さんに文句いうたら、前の車両に空席あるから、そこにすわっとけて言われた。
クニー:ウフフ、いかにもありそうだね。ぼくはトラブルではないけれど、TGVの切符を買うときに、「ストラポンタンしかないよ」と言われ、「ストラポンタンって何?」って、初めてこの単語知りました。
ヨシ:Strapontin、補助座席のことやね。音がかわいい。
クニー:そう。デッキのところにあって、座席を倒して使うんだけど、「おお、これがストラポンタンか!」って感動した。
ヨシ:外国の旅って、ちょっとしたことでも感動するよね。
クニー:あ、トラブル思い出した! 電車じゃないけど、旅行中にお金を引き出そうと、DAB(distributeur automatique de billets 現金自動支払機)にカード入れたら、出てこなくなっちゃった。
ヨシ:La carte a été avalée !「カードが飲み込まれた!」ってやっちゃな。
クニー:そう。しかも日曜日で銀行が閉まってる。それで旅行から戻ってから、その支店に電話して、無事カードは戻ってきたけど、本当に不安だったなあ。
ヨシ:外国にいると、ちょっとしたことで感動するし、不安にもなるよね。でもそれは日常とはちゃう場所に身を置いてんのやから不思議なことやあれへん。
Dépaysement という体験
クニー:旅行もそうだけど、外国に暮らす体験は、何か漠とした不安を感じさせたりするよね。初めて留学して、指導教授に会ったときのこと思い出すよ。ああ、それにしても最近思い出すことばかりで未来より過去に生きてる気分になる……。
ヨシ:そんな靴先じっと見とらんと、話を続けてや。先生に会うて、ソレカラドシタノ?
クニー:具体的な会話はもう覚えてないけど、最初に先生にかけてもらったことばの中にあったのがdépaysement だった。
ヨシ:dé は接頭辞で「分離」を意味し、pays は「国」。それまでなじんだ環境から離れることやけど、それだけやのうて、その変化がもたらす違和感やとまどいも指すことばやね。ホームシックmal de pays は「帰りたい気持ち」やけど、dépaysement は、今いる場所と元いた場所との違いがもたらす心理状態やね。
クニー:今年2 月に惜しくも亡くなったツヴェタン・トドロフは、ブルガリアの出身で、その後フランスに帰化をした思想家だけど、彼にL’Homme dépaysé(「異なる環境に置かれた人間」、邦題『異郷に生きる者』)という本があるね。この本の序章で、トドロフは自分の体験は、元の文化を失わずとも新しい文化を身につけること、すなわち「文化を渡ること」transculturation だったと言ってる。
ヨシ:たとえばぼくらは日本に生まれたけど、日本の風習に縛りつけられているわけやのうて、「異文化」も自分の中に取り入れていけるってことや。そもそも「文化」自体が、いろんな「文化」がごちゃまぜになって出来てるところに本質がある。それが文化が生きてるってこと。
自己発見と新しい認識
クニー:そう。それにトドロフは、異なる習慣に出会うことは、驚き、ちょっとしたショックを心の中に生むかもしれないけど、その驚きこそが、自分を発見する第一歩だって言ってる。
ヨシ:確かに、今まで当たり前やと思とったことが、別の環境ではせやないってわかれば、ほな今まで自分はどんな考え方をしとったんやろうって、距離をとって自分を観察することができるようになるもんね。
クニー:トドロフは、植物が植生によって生きられる環境を制限されているのに対して、人間にはそのような制限がない。これが人間の定義だとしている。新しい場所で新しい文化や価値を受容して生きていけるのが人間存在なんだって。
ヨシ:移動が自分を変化させ、新たな見方を持てることやとしたら、プルーストの有名な旅行の定義ともそう遠うはないね。« Le seul véritable voyage,[ ...] ce ne serait pas dʼaller vers de nouveaux paysages, mais dʼavoir dʼautres yeux, de voir lʼunivers avec les yeux dʼun autre, de cent autres,[ ...].»
クニー:「ただ一つの本当の旅行、[…]それは新たな風景を求めに行くことではなく、別な目を持つこと、一人の他人、いや百人の他人の目で宇宙を眺めることだろう[…]」(鈴木道彦訳)。これは芸術論の文脈で言われていて、芸術家とは見慣れた世界を、別の新たな目で認識させ直してくれる存在だと言っているけれど、まさに旅って、自分の中に新たな認識が生み出され、それによって世界が新鮮に見え、自分自身も変容していく、そんなダイナミックな体験だよね。
ヨシ:せや! だから外国に接したり、外国語を勉強するだけで、いつかてフォーエバーヤング、おっと、pour toujours jeune や、ぼくらみたいに!
◇初出=『ふらんす』2017年8月号