第35回 極私的オススメブックガイド2018
「本の虫」rat de bibliothèque
ヨシ:ハイ、どうぞ、どうぞ。
クニー:こ、ここは、一体!
ヨシ:一体って、僕の研究室やがな。
クニー:それはわかるけど、何この、床を這い、壁をつたう本、本、本! 資料、資料、資料! これぞ書物の死霊(しりょう)の館か!
ヨシ:なんや、そのダジャレは。クニーの研究室かて「空き巣に入られた古本屋」やって、以前ツイッターで呟いてたやないか! 噓ツイッタらあかん!
クニー:いやあの、今日は、極寒ギャグ合戦じゃなくて、去年を振り返って2018年に出た本を好きに紹介するためにここに来たんだけど。
ヨシ:そうやったな、まさにぼくらはrat de bibliothèque「図書館のネズミ」、チュウやつやからね。
クニー:図書館に閉じこもって本をずっと読んでいる人のことだね。「本の虫」にあたるかな。ということで、さっそく紹介に入りましょう!
フランス語学習本
ヨシ:まずは、フランス語学習関連から。
クニー:クリス・ベルアド『フランス語作文ラボ』(白水社)です! 2014年4月から3年間、『ふらんす』に連載した記事を大幅に加筆したものです。「文法的に正しくても、何か自然じゃない」。そうネイティブに言われることがあるけれど、この本は複数の文を比較しながら、細かいニュアンスを丁寧に説明してくれる。
ヨシ:たとえば「このタブレットはなかなか起動しない」。Cette tablette ne démarre pas tout de suite と訳せるねんけど、これやと「時間の問題」。せやなくて「なかなかうまくいかへん」というニュアンスを出すにはCette tablette neveut pas démarrer とvouloir を使こたらエエと説明してくれる。
クニー:日本語でも「~したがらない」というニュアンスで「動いてくれない」と言うけれど、こういう文脈でvouloirが使えると本当に自然な感じ!
ヨシ:アレクサンドル・グラ、加藤理恵『フランス語ボキャビュール』(三修社)はかなり意欲的な本で、政治、治安、言語学用語とか、ふつうの単語本では見かけん語彙もたくさん。じっくり読んでいただきたい単語本です。
クニー:単語の勉強って、どうしても単調になりがちだけれど、この本は飽きないように練習問題形式になっている。たとえば説明文を読んで、それにふさわしい単語を選んだり、クロスワードパズルを解いたり、写真や絵を見て答えを探したりと、本当に工夫がされているね。
ヨシ:学習書やないけど、フランソワ・グロジャン『バイリンガルの世界へようこそ』(勁草書房)。グロジャンの「バイリンガル」の定義は「二言語またはそれ以上の言語や方言を日常生活のなかで定期的に使用すること」で、二言語の能力が等しく高度やなくてかめへん。
クニー: その意味でぼくら外国語を学ぶ者も、たとえ母語と同じレベルでなくとても、その外国語を日常生活の中で使うということであれば、バイリンガルと考えてもいいわけで、学習者に自信を与えてくれる考え方だね。
ヨシ:ほんで、グロジャンは「何歳であっても、私たちはバイリンガルになれるのです」と強調してる。外国語学習者はエライ勇気づけられるはずや。これ、CEFR(セファール)の根本理念である「われわれの言語能力は、複数の言語能力が渾然一体の複言語能力」にも通じてるで。
おすすめ漫画
クニー:次は漫画。漫画はやっぱりじゃんぽ~る西さんの『モンプチ 嫁はフランス人』(祥伝社)。第3巻が18年2月に出ています。息子である七央くんの成長が微笑ましい。子どもは一瞬一瞬でどんどん変わっていってしまう。そのわずかな、でも大切な時をすくいとる西さんのやさしい眼差しがとても好き。
ヨシ:それに、結婚観とか、日・仏のいろんな文化的相違が、西さんとパートナーのプペさんの具体的な体験に基づいて語られてる点で、データで知るんとは異なった肌身の現実を教えてくれとるね。
クニー:ジュリー・ダシェ原作、マドモワゼル・カロリーヌ作画『見えない違い』(花伝社)もぜひ読んでいただきたい1冊です。マルグリットという27歳の女性が、日々生きにくさを感じ、やがて自分がアスペルガー症候群だとわかり、そんな自分の存在をきちんと受け止め、さらに社会に発信をしていくまでを描いています。
ヨシ:巻末の専門家による解説やと、アスペルガーは男性4人に対して、女性は1人。さらにマルグリットが会いに行った自閉症を専門とする精神科医は、女性のアスペルガーが気づかれにくいのは「女性はつらい気持ちを我慢してしまいがちだから」と指摘してる。その意味で女性を主人公にしたこの本は重要やね。
クニー:マルグリットが自分の生き方を変えていく過程で、「当たり前じゃないことが当たり前になった」、「おかしいんじゃなくて違うのよ」と言ってるんだけど、これを聞くと社会がどれだけ「変わった人間」というレッテルをはり、そうした人々を片隅へと追いやろうとしているのか、実感する。その社会の排除の圧力は、アスペルガーに限った話じゃないはず。安易な共感は慎むべきだけれど、それでも「弱さ=マイナス」という思い込みにぼくたちはもっと批判的であっていいと思うんだ。
文学──その存在意義
ヨシ:ほな、最後は文学作品を。
クニー:もう数年前からだけれど、プルーストの『失われた時を求めて』が岩波文庫では吉川一義訳で、光文社古典新訳文庫では高遠弘美訳で、同時に進行していることは、日本の出版界の幸福な重大事件だと言いたいくらい。
ヨシ:今年も吉川訳で2巻、高遠訳は1巻、出てるで。
クニー:どちらの訳も日本語が流麗で、すっと頭に入ってくるんだ。去年出版された巻ではないけれど、ぼくが好きな一節、« Je sentais bien que je ne me la[ =ma grand-mère] rappelais vraiment que par la douleur et j’ aurais voulu que s’enfonçassent plus solidement encore en moi ces clous qui y rivaient sa mémoire. »は吉川訳で「私が祖母を本当に想い出すことができるのは、ひとえに苦痛を通じてであると悟り、そうであれば祖母の記憶を私のうちにつなぎとめている苦痛の釘がもっと私のなかに食いこめばいいとさえ思った」となっている。
ヨシ:読んでる僕らの心にまで、苦痛の釘がささってくるほど切実な文やなあ。プルーストいうたら、集英社から個人訳を出されている鈴木道彦先生の本も2冊出版された。『余白の声』と『私の1968年』(どちらも閏月社)。前者はここ10年あまりの講演集、後者は68年前後に書かれた論考を集めたもんや。
クニー:講演集の中では、特に「フランス文学者の見た在日の問題」と「在日の問題と日本社会」が今でも、いや、今こそ大切な論題だと思う。
ヨシ:アルジェリア独立を支持し、植民地主義を批判するサルトルの思想、姿勢を知り、それに導かれるように鈴木先生は在日の問題に出会わはったんやね。
クニー:その姿勢に対して「どうして日本人のくせに在日朝鮮人の感覚を忖度できるのか」と批判されたそうだよね。でもここでまさに文学の存在意義がでてくる。文学とは「ある人間の意識の内側に入りこみ、その意識からトータルなものへと視野を広げていく」ことにあるとおっしゃっている。
ヨシ:個別具体から出発して、普遍性へと到達することに、文学の存在理由があるんやね。
クニー:社会の片隅へ追いやられていく人々の存在、彼らの隠された悲しみをすくいとるのが文学の言葉なんだね。実は去年読んでもっとも感銘を受けたのは、小堀鷗一郎『死を生きた人びと』(みすず書房)。死は現代の社会では見えにくくされているけれど、この本は、患者が自宅で最期をむかえられるよう、在宅診療をする医師の日々を丁寧に記述している。
ヨシ:老齢化社会と一言でまとめることは簡単やけど、そこには一人ひとりのかけがえのない存在と死がある。そのかけがえのなさを書くとき、それは文学の条件を備えると言うてもかめへん。
クニー:最後に洋書も! Maya Goyet, Ça va mieux, ton père ? (Stock)とBéatrice Gurrey, La tête qui tourne et la parole qui s’en va (Robert Laffont) は、ともに親のアルツハイマーを扱った作品。どちらも実体験を語っているんだけど、病に冒された親への悲しみの感情、そして親に注がれる愛情がともに伝わってきた。かけがえのない存在への愛こそ、普遍性をたたえて、私たちに届けられるのだと感じたよ。
◇初出=『ふらんす』2019年2月号