第22回 フランス語と両性間の平等
性の問題
ヨシ:Joyeux nouvel an !
クニー:お、去年と挨拶を変えてきたね。
ヨシ:いやあ、去年は、Bonne année !やったからね。
クニー:いやいや、ヨシの挨拶は「プシコクワック!」だったじゃないか。
ヨシ:せやかて、いまは「どうぶつの森ポケットキャンプ」やってるから……。
クニー:また、流行りモノに手を……。
ヨシ:まあ、去年は女性名詞やったから、ことしは男性名詞ゆうことで。
クニー:そんな理由!?
ヨシ:せやけどまあ、去年の11月8日に、ドイツの連邦憲法裁判所が、男性女性以外の「第3の性」を認めるよう、法改正を命ずる判決を出したそうやけど、さすが男性名詞、女性名詞にくわえて、中性名詞のある国や。
クニー:そんなアホな。そうじゃなくて、この原告のひとは、女の子として出生届を出されたけど、じぶんの性に違和感をずっと感じていて、調べたら、性染色体がX染色体しかなかったんだとさ。
ヨシ:Y染色体がないから「男性」のカラダにならへんけど、X染色体が1つしかないから「女性」なわけでもないと。
クニー:第二次性徴期になっても体の変化がなくて、調べたらXXじゃなくてXだったことがわかったんだって。それで、さいしょ女性ホルモンを投与されたけど、違和感は増すいっぽう。それで、こんどは男性ホルモンを投与したら、しっくりきたそうだけど、「中間」という性自認なんだそうだよ。
ヨシ:なるほど、そんで、男でも女でもあれへん性の存在を、法的にも認めるべきやいうて訴え出はったわけやね。
クニー:地裁でも州最高裁でも申し立ては却下されたんで、連邦憲法裁判所に訴えたんだけど、当人は、「性」はあると自認してるが、それは男性、女性じゃない第3の性であり、その存在は染色体によって裏づけられると。それで、2018年の末までに、第3の性を整備をするよう立法府に命じたんだよ。ほら、このル・モンドの記事を読んでごらん。
ヨシ:判決当日、2017年11月8日付の記事やね── Les parlementaires sont invités à introduire dans les documents concernés une mention, comme « inter », « divers » ou tout autre « désignation positive du sexe ». 「議員たちは、〈中間の〉や〈多様な〉や、あるいはほかの〈性にたいする肯定的呼称〉の記載を、関連文書に導入するよう勧告される」
クニー:ドイツは、2013年に、性別の記載を空欄にしてもいいことになってたんだけど、これで性別欄が3つになるわけ。
性と性
ヨシ:まあ、性別いうたかて、受精後のホルモンの影響やら、出生後の環境やらで、100パーセント女性と100パーセント男性のあいだのどっかになるわけで、両端のニンゲンてのが、まずもって珍しいわけやしね。さいきんの研究やと、男女の脳の器質的相違はほとんどのうて、出生後の影響のがおおきいらしいし。
クニー:「男女」ってのは、連続体(スペクトラム)で、性別ってのは傾向ってことだよね。
ヨシ:にしても、第3の性のひとは、「彼」でも「彼女」でもない「そのひと」になるんやろけど、人称代名詞も、ドイツ語の er(彼)や sie(彼女)でない、中性の es(それ)をつかうんやろか?
クニー:さあ、そのへんは、まだまだ決まってないとおもうよ。
ヨシ:ドイツ語の形容詞は、フランス語みたいに、主語にあわせて性数変化するわけやないからエエけど、もし、フランスに「第3の性」が導入されたら、そのへん、ヤヤこしなりそやなあ。
クニー:フランス語のばあい、自然の性であるsexe と文法の性であるgenre をあわせるのがふつうだもんね。
ヨシ: tante(おばちゃん)は女性、oncle(おっちゃん)は男性、poule(雌鶏)は女性、coq(雄鶏)は男性。
クニー:井伏鱒二の『山椒魚』が仏訳されたとき、salamandre という女性名詞に訳されたんだけど、代名詞で受けるとelle になっちゃって、一人称が「おれ」の山椒魚が女性のように思えちゃった。
ヨシ:けど、大橋保夫先生が書いてはるように(「テレコ・自由の女神・ボードレール」『フランス語とはどういう言語か』所収)、だと、フランス語の自由 Liberté の擬人化が女性の姿になるのは、名詞の性が影響してるんやろし、名詞の性もオモロイもんやとは思うけどね。
文法と性差別
クニー:とはいえ、男性名詞しかない職業名詞とかは問題かもね。もう15年も前の話だけど、フランスで「今は女性の作家はécrivaine って言うんだ」と友人から聞いたその翌日に、偶然ラジオでユルスナールの特集をやっていてécrivaine って聞こえてきたんで、びっくりしたことがあったけど。こちらは一致は一致でも偶然の一致!
ヨシ: écrivain(作家)て単語は、もともと男性形しかあれへんかったしね。むかしは、女性の作家は、文字どおりfemme-écrivain ていうとったのが、député( 議員) はdéputée、avocat( 弁護士) はavocate、le ministre(大臣)は la ministre、professeur(教員)は professeure てな具合に、女性形をつくることで、男女の平等化をはかったわけや。1999年には、言語学者のベルナール・セルキリーニ監修で、Femme, j’écris ton nom... ていう、女性職業名詞のガイドも出されとる。
クニー:でも、昨年度の『ふらんす』の連載「おるたな・ふらんす」で、おおくぼ先生が、この手の女性形職業名詞を増やすのは、このジェンダーフリーの時代、「茶番」だと書いてたね。むしろ、看護婦は看護師、chairman はchairperson、みたいなのが時代の流れだと。
ヨシ:フランス語のばあい、たとえば、非人称主語のil や、副詞の最上級につくle は、いっしゅの「中性形」として使われとって、べつに男性をしめしてるわけやあれへん。男女をふくむ「人間」をしめすときの homme もせやねんけど、この手のは、「総称的男性形masculin générique」と呼ばれとるね。
クニー:男性と認識されてるわけだしね。
ヨシ:そういう現状にたいして、écriture inclusive「包括的書き方」いうのんを推進するMots-Clés って団体があって、このサイト(http://www.ecriture-inclusive.fr/)からは書き方ハンドブックもダウンロードできるんやけど、そこで、「中性はない」って主張してるね。ここの主張やと、男性形と女性形を「一体的 inclusive」 に書き、なるべく中立的単語を使こて、語順も、「男性が先」やなくABC 順にし、女性形や複数形の部分は、point milieu(中黒点)あるいはmédian(ハイフンのような中線)を使こて分けるいうことで、たとえば、「人権宣言」Déclaration des droits de lʼhomme et du citoyen は、Déclaration des droits humains et du·de la citoyen·ne になるわけや。
クニー:なるほど、tous et toutes じゃなくて tou·te·s、membre(メンバー)のように男性・女性で変化しない単語の使用を勧めるわけか。
ヨシ:去年、Hatier って出版社が、包括的書き方を採用したCours Élémentaire 2、つまり小3むけの教科書を出してる。でも、17世紀から「仏語の番人」を任じるアカデミー・フランセーズが、去年の10月26日に「いわゆる〈包括的〉書き方にかんするアカデミー・フランセーズの意見表明」を出して、devant cette aberration « inclusive », la langue française se trouve désormais en péril mortel(この「包括的」逸脱を前にして、フランス語は、今後、破滅的危機におちいる) とかいう「正式の警告une solennelle mise en garde」をあたえてんねん。これ、Twitter(@academie_fr)でも告知してる。
クニー:Twitter やってんだ、アカデミー。
ヨシ:これにたいして、11月7日に、小学校から大学まで教育機関に所属する314人の先生たちが、連名で「男性が女性に優先される」文法規則を教えたくないってマニフェストを出してる(https://www.slate.fr/story/153492/manifesteprofesseurs-professeures-enseignerons-plusmasculin-emporte-sur-le-feminin)。そこでは、この規則は言語学の問題やなく政治的問題やいうことを、18 世紀の文法家ボゼーの文章を引用しつつ主張してんねん。
クニー:なかなか難しいねえ。
ヨシ:まあ、書き方もふくめて、言語規則いうのんは、時代や社会で変化するもんやし、今後も変化して当然のもんやからね。イデアの世界にあるんやなくて、あくまで「あなたとわたし」の間にあるわけやから、不断/普段の調整をするのんは、あたり前田のクラッカーや。
クニー:でも、ヨシのそういう語彙は、ちっとも調整ができてない証拠だな。
◇初出=『ふらんす』2018年1月号