第12回 ことばのグラデーション
ビールとベルギー
クニー:なんと! ぼくらの放談も3月まで続きました。
ヨシ:あっちゃいったり、こっちゃいったりしながらここまでやってきました。
クニー:3月といえば?
ヨシ:やっぱり依然ピコ太郎やね。聞かせたろか、踊り付きで。J'ai un stylo, J'ai une pomme !
クニー:それ、この間じゃんぽ~る西さんがお子さんとやって、Karynさんに怒られてたよ(『ふらんす』1月号、56ページ)。
ヨシ:そうかいな……。ほなクニーは3月ネタ、何かあるの?
クニー:そうですね。3月といえばライオンもいいけど……。
ヨシ:「3月のライオン」はええマンガやけど、フランス語と関係あれへん! ちなみに、ぼくは矢崎仁司監督の「三月のライオン」もすっきゃで。
クニー:じゃあビール!
ヨシ:Bière de marsね。Bière de printempsと呼ばれたりもするけど、3月になるとフランスのカフェでよう出てくる「期間限定ビール」やね。
クニー:もちろんビール会社のプロモーションだけど、冬に醸造されたビールがカフェで飲めるようになると春がきたーって思ったよ。
ヨシ:フランスいうたらワインだけやのうて、特に北フランスはビールやねえ。
クニー:うん。ビールといえば、留学時代に最初に友人になったフランス人がビール好きでね。サイクリングしながら北フランスとベルギー南部のビール醸造所を巡ったっていう話を今でも思い出すんだ。
ヨシ:何が印象的やったん?
クニー:当たり前すぎるけど、国境への意識が低いんだなって。普通に自転車で国境越えるんだ、って。
ヨシ:『ふらんす』6月号はベルギー特集やったけど、ベルギー南部、ワロン地方ではフランス語が話されてもいるしね。まあ、70、90はベルギーではseptante, nonanteと言うたり、違いはあるにしてもや。
dialecte ? langue ?
クニー:ただ、フランス語が話されているといっても、ワロン地方にはワロン語があって、確かにフランス語と同じロマンス語系の言語ではあるけれど、フランス語と混同してはいけないと言われるね。ヨシ:他にもピカール語やシャンパーニュ語とかあって、言語地図はほんま多様やね。
クニー:あることばを方言dialecteと呼ぶのか、言語langueと呼ぶのかは重要な問題だよね。ヨシの言ったベルギー南部のことばは、法律で「方言」ではなく「言語」として承認されている(石部尚登「ワロン語の標準化」『「ベルギー」とは何か?』松籟社、所収)。
ヨシ:フランスの歴史を振り返ると、フランス語が国土に均質に定着するためには、標準化、規範化が必要やったけど、それは政治力を行使した結果やったとも言える。もし政治の中心が大阪に置かれて近代日本国家が作られとったら、今頃、大阪「弁」やなくて大阪「語」やったかも!
クニー:でも、それこそ大阪弁もいろいろでしょ?
ヨシ:ぼくが育った地域(淀川以北)は北摂ことばやけど、淀川以南東部の河内ことば、大和川以南の泉州ことば、大阪市内もミナミ周辺の島之内ことば、その北の船場ことばとかいろいろやで。
クニー:フランスでDans un recoin de ce mondeの題名で公開が決まった『この世界の片隅に』でも、広島出身の主人公が呉に嫁いで、ことばも広島弁から呉弁に変わっていくんだって。ぼくは観ててもわからなかった。
ヨシ:クニーの故郷、岐阜は?
クニー:ぼくは岐阜市内なので、岐阜弁ネイティブだったけど、父親は自転車屋をやっていて、ぼくの子どもの頃は、お客さんには「おおきに」って言ってたね。父親だけではなく、岐阜市の商人はよく使ってたと思うよ。
ヨシ:ほお、商いといえば関西やしね。
クニー:最近『君の名は。』のおかげで岐阜がクローズアップされてるけど、美濃地方出身のぼくにとって、高山のある飛驒って同じ県って感覚がないんだ。「君の前前前世から僕は~」って歌ってはいるけど。
ヨシ:ほな、岐阜県はフランスや! フランスももともとは北と南でぜんぜん違うとったわけやし!
南仏語とpatois
クニー:今のフランスの南北のことばで、違いにすぐ気付くのは鼻母音かな。アン[oẽ]は本来唇を出して発音するけれど、特にパリでは唇をしっかり横に引いて発音して、明るいアン[ɛ̃]と同じになっている。
ヨシ:[oẽ]と[ɛ̃]の区別はパリやとあらへんね。
クニー:それでまた思い出すのは、リヨンより南のヴァランス出身の友人を、パリの友人に紹介したことがあったんだけど、パリの友人がフランス語を聞いて「彼は南仏なまりだね」ってこそっと言ったんだ。
ヨシ:l'accent du Midiというやつやね。
クニー:すごく優越的な言い方で、何だかぼくまでバカにされたみたいで屈辱を感じたのを今でもよく覚えているよ。
ヨシ:そもそも歴史的には北ではオイル語、南はオック語と呼ばれることばが話されとった。オイルoïl、オックocは、ouiにあたることばが「オイル」、「オック」やったんでつけられた名称。ただこれらにはさまざまなヴァリエーションがあったから「語圏」と言うたほうがええかな。
クニー:そうだね。南仏については工藤進『ガスコーニュ語への旅』、『南仏と南仏語の話』(ともに大学書林)という小さいけれど名著があるね。今ヨシが言ったように、南にはガスコーニュ語、ラングドック語、プロヴァンサル語などさまざなヴァリエーションがあった。でもさっきも言ったけど北が強力な政治権力によって、統一言語としてフランス語を形成していったのに対して、南仏ではそうした統一がなされなかった。南仏のこれらのことばの総称としてoccitanオクシタンを使うことがあるけれど、これは現実的な実体じゃない。
ヨシ:南は、独自の文化・言語を持っていたのに最終的には北フランスに吸収されてしもたわけやね。それでも地域語は残った。でもそれにはときにpatois「田舎言葉」っていう軽蔑的な名称が与えられたわけや。
クニー:patoisで思い出すのは、フランス語の民衆表現の起源を説いた辞書編纂でも知られるClaude Duneton(1935-2012)のLe Monumentという小説。作家の故郷リムーザン地方のある村を舞台に第一次世界大戦時の若者たちを描いているんだ。登場人物の一人が小学校のフランス語の先生。
ヨシ:当時やから村の神童が選ばれて、さらに教育を受けるために都会に出て、そんで先生として再び故郷に戻ってくるっていうストーリー?
クニー:さすがヨシ! その地域では南仏語リムーザン方言を使っていて、フランス語なんて誰も話さない。だからこそ小学校は国家語としてのフランス語を教える場。神童は国の使命を背負って村に帰ってくる。でもね、村のお年寄りにpatoisで話しかけられたときに、彼はフランス語で返事をするなんてできないIl n'ose tout de même pas répondre en français.と思う場面があるんだ。
ヨシ:使命として教えるべきフランス語、幼いときから語りかけられていたことばである母語に心が引き裂かれる場面なんやね。
ことばとアイデンティティ
クニー:ことばは結局個人のアイデンティティと密接に結びついてるんだよね。
ヨシ:そう、ぼくが関西弁使うのは、やっぱり「関西人」ってキャラが立つからやけど、でも実はぼくのなかには様々なことばが流れてる。生まれたのは大阪やけど、父親は東京生まれで大学までずっと東京。母親も東京生まれで、仙台育ち。そんで中高大は、近畿中から通ってくる友だちの影響を受けたせいで、ぼく自身のことばは、いうたら「混成関西語」やねん。
クニー:土地、家族、さらに親しい人々などを考えれば、実はじぶんのことばは、さまざまなことばが入り込んだ結果できあがってるって言える。その意味で、決して他の人とはとりかえのできない、かけがえのない「私」のことばなんだよね。
ヨシ:そー、混じることが大事! だからペンとアップルでアッポーペンになることが大事なんやがな。
クニー:結局そこ?
◇初出=『ふらんす』2017年3月号