第27回 私たち、コレで仏語勉強しました
本を持ち寄って
クニー:ハ、ハ、ハックチュン!
ヨシ:クニー、くしゃみするときは、ちゃんと口を押さえんかいな、いっちょうらのピンクのスーツに飛んできたやん!
クニー:ゴメン! 今日の放談用に昔の参考書を持ってきたら、埃がすごくて……。
ヨシ:とりあえず、À tes souhaits !
クニー:「望みがかなえられますように」。くしゃみをした人にちょっとふざけて言うことばだね。英語のBless youにあたる。
ヨシ:Que Dieu te bénisseやÀ tes amoursもあるで。どない? おさまってきた?
クニー:もう大丈夫! それにしても僕の本もヨシの本もほんと埃まみれだね。
ヨシ:僕ら、二人とも何でも大切にとっておくコレクター気質やからね。ましてや青春時代をともに過ごした本たちや、棺桶まで一緒やで。
クニー:いや、それはまだ早いよ。で今回は僕たちの修行時代に、どんな本でフランス語を勉強したかをお話しします。
大学院受験に向けて
ヨシ:まずは大学院に入るための受験勉強の頃。僕は院試も就活も受けてんけど、夏休みは、就活しつつ、クーラーの効いた食堂で、川本茂雄『高等仏文和訳演習』(大学書林、1952)で勉強した。ま、院試以外はみんな落ちてんけどな。
クニー:僕も使ったよ。緑色の表紙が美しい本だよね。問題ごとに折り込みページがあって、それを開くと、10行ほどの仏文が印刷されていて、その下のスペースに直接訳文を書き込む形式。
ヨシ:その次のページからは詳細な解説が続く。『ふらんす』の連載記事がもとになっとって、読者から届いた解答例を実際に引用しながら説明がされてるんで、とても具体的。
クニー:例えばサン=テグジュペリの『夜間飛行』の一節 « Pas un des paysans, à qui la route était ouverte… » の前置詞àに着目して、「〈à〉は寧ろ『利益・便益』を示す」ので「ために」で訳さなくてはならないとか、« était ouverte »は、ここでは「開通した」状態ではなく、「開かれる」という進行中のことであるとか、詳しく解説されています。最終的な訳は「この道は農夫達のために開かれるのであったが、その農夫の誰一人として……」。
ヨシ:大学院の受験勉強は、とにかく仏文和訳・和文仏訳やった。クニーは仏訳の勉強はどないしてたん?
クニー:東京日仏学院(現在のアンスティチュ・フランセ)の通信講座を受けていたよ。仏訳だけじゃなく和訳もあわせて受講しました。今でもこの通信講座はあるけれど、僕が受けていた90年頃は解答提出は当然郵便だけ。たまたま当時は近くに住んでいたから、いつも締め切り当日に自転車こいで、学院の通信講座用ポストに直接投函してた。
ヨシ:今はオンラインもあるね。時代は変わったなあ。でも、仏作文は、自分自身で書いた文を直接赤で直してもらえるから、どこがダメなのかがようわかって、とても勉強になるね。
クニー:そうそう。僕は受験勉強もZ会の通信講座をやっていたので、通信講座は大好きでした!
ヨシ:あ、「『ふらんす』夏休み号には仏検5級模試添削あります!」って編集長からLINEがきたで!
クニー:え、僕らの会話聞かれてる !?
フランス語を書く
ヨシ:仏作文の勉強はなかなか難しいけれど、ちょうど大学院時代に出版されて、勉強になったのが大賀正喜+ガブリエル・メランベルジェ『和文仏訳のサスペンス』(白水社、1987)。
クニー:大阪日仏センター(現在のアンスティチュ・フランセ関西-大阪)が企画したもので、大賀先生の仏訳とメランベルジェ先生の仏訳の両方を載せて、正誤ではなくて、ニュアンス等を丁寧に検討する。その時の実際の会話を採録した画期的な本だね!
ヨシ:おもろいのは、お二人の先生の仏語訳を比べると、メランベルジェ先生の方が全体的に短いこと。それについて先生は「私はそういう教育を受けたんです。しつこいぐらいに。大学でですよ。フランス語はconcis(簡潔)である、それが前提になっているのです」というてはる。
クニー:例えば「~収入を得ることは許されていない」の箇所、先生の訳は動詞interdireを使って« la loi française interdit toute tâche rémunérée»。«~ne permet aucune…» でもいいけれど長いから使わない、と解説されている。
ヨシ:しかも〈否定的意味の動詞+tout(e)+無冠詞名詞〉は、文がピシッと決まっている印象やがな。
クニー:その後出版されたメランベルジェ先生の『宮沢賢治をフランス語で読む』(白水社、1995)では、仏訳を準備してきた受講者と先生の授業中の議論が採録されている。教師に成り立ての頃だったけど、ずいぶん勉強になりました。
ヨシ:宮沢賢治の詩的な日本語を訳すのはそれだけでも難しねんけど、特に擬音語はフランス語には少ないからどない訳すかが考えどころ。例えば「それがこんな、がさがさしたことで」と練習風景で楽長が音について文句をいう『セロ弾きのゴーシュ』の一場面。先生は「がさがさ」は聴覚、そこから « c'est rude » あたりがエエと考えて、« Et vous jouez ça avec une rudesse ! » いう文を作らはる。
クニー:作るまでのプロセスがわかって、とっても納得できるんだよね。
ディクテと単語
ヨシ:クニーは語学学校でも勉強してたわけやけど、その頃の勉強法いうたら?
クニー:古典的だけど、ひたすらディクテdictéeをやらされた。
ヨシ:フランスの子どもたちを悩ますディクテ! 先生が文を読み上げて、ただ書くだけやけど、正確な綴り字を書くのが難儀やねんな。フランソワ・トリュフォー監督の永遠の名画『大人は判ってくれない』でも教室でのディクテの場面があるね。教師の生徒への高圧的な態度がうまいこと表されてる。それでいて、一所懸命書いとってノートが破れてまうとか、不器用でけなげな子どもたちの姿が実に生き生きしとる。
クニー:ディクテの話は、ダニエル・ペナックの『学校の悲しみ』(みすず書房、2009)にも出てくるね。子ども時代のペナックはディクテの点数は悲惨だったけど、文章の美しさに魅せられた、と書いているくだり、文学への目覚めが感じられて好きだなあ。
ヨシ:それでクニーの勉強法は?
クニー:まずノートを用意します。左ページにディクテの問題を書き写します。右ページには、ディクテの文の中で、意味を知らなった単語を書きます。そして仏仏辞典でその単語を引いて、定義と例文を書き写します。
クニーの学生時代(28年前!)のディクテノート
ヨシ:それはエライ量になるなあ。
クニー:しかもその定義と例文の中にも知らない単語が1つくらいは出てくる。そしたら今度はその単語も調べるのです。
ヨシ:ほなまた知らん単語が出てきて…。
クニー:そう、一度入ったら最後、二度と出られない「新出単語油汗地獄」!
ヨシ:わかりにくいたとえやな。でもクニーのコレクター気質がよう出とる。
クニー:うん、『学校の悲しみ』では、「落ちこぼれcancre」だったペナック少年が、のちのちは学校の先生になるのだけど、ある箇所で「人にはそれぞれ独自のリズムがあるchacun va son rythme」って言っている。勉強法もそうで、自分に合った学び方を探せばいいと思うんだ。
ヨシ:僕は、効率とか効果とか、あまり気にせんでエエと思うねんな。上達は坂道やのうて、階段。なかなか上達せえへんなあと思とっても、続けてたら、あるとき、段をひとつ上がるように、スッとレベルは上がるもんや。
クニー:いいこというね!って、スマホが鳴ったみたいだけど。
ヨシ:また編集長からLINEや。「今回紹介した白水社の本、全部絶版……」。
クニー:今回の僕らの放談って。実は役に立ってい…な…うう(涙)。
ヨシ:ハックチュイ社だけに、復刊運動起こさんとアヵンデスエ。
◇初出=『ふらんす』2018年6月号