第6回 映画のセリフとフランス語
去りゆく映画監督
クニー:オーイ、オイ、オイ……。
ヨシ:ハーイハイハイ、なんでっか~?
クニー:呼んでいるじゃないんです。泣いているんです……。オイ、オイ……。
ヨシ:えらいまぎらわしい泣き方やな。で、どないしたん?
クニー:キアロスタミが死んじゃったよ。
ヨシ:あー、7月4日に、病気治療のため滞在してはったパリで亡くならはったんやったなー。1997年のカンヌ映画祭で『桜桃の味』Le goût de la ceriseがパルムドールを受賞してはるし、フランスとは縁の深いイラン人監督やった。
クニー:そういえば、僕が一番大好きな『友だちのうちはどこ?』Où est la maison de mon ami ?を観たのもパリだった。あれは97年の夏、ムフタール通りのÉpée de Boisという映画館……。オーイ、オイ、オイ。
ヨシ:よっぽど好きやねんなあ。キアロスタミのどんなとこが好きなん?
クニー:目には見えないものを、イメージを通して感じさせるところかな。子どものさりげない表情から「ああ、不安なんだ」て気持ちが見えたり、何の変哲もない風景なのに、「ああ、今風が渡っていく」って、風が見えたりする。
ヨシ:キアロスタミ自身、以前ラジオ番組のインタビューでune innocence de la redécouverte de l’image et du son「イメージと音を再発見する無邪気さ」って言うてはった。普通の風景でも、キアロスタミが撮ると、新しく発見したような、そんな歓びがわいてきそうやね。
クニー:若い時に観た映画の監督が亡くなると、もう自分の青春も終わりなのかって思っちゃうよ……。
ヨシ:え、まだ終わってへんかったん?
『花咲ける騎士道』とファンファン
クニー:ヨシの青春の映画と言えば?
ヨシ:『花咲ける騎士道』(1952)かな。主演のジェラール・フィリップGérard Philipe さま (1922-1959)はこの映画で一気に世界的スターに。ちなみに人名の「フィリップ」は Philippeとpが2つやけど、この人の苗字はpがひとつだけや。
クニー:あ、ホントだ。
ヨシ:原題はFanfan la Tulipeゆうねんけど、fanfanはpetit enfant(坊や)の意味で、enfantのfanのとこを繰り返してできた幼児語やね。
クニー:言語学でいうredoublement(反復)だね。bonbon(キャンディー)はbon(おいしい)を、chouchou(お気に入り)はchou(かわいい子、キャベツもこの綴り字)をそれぞれ重ねて単語ができてる。
ヨシ:「おもちゃ」のjoujou(jouet)とか「おねむ」のdodo(dormir)とかもね。
クニー:kif-kif(同じ)も、アラビア語起源のkif(同じ)の繰り返しだよね。
ヨシ:この場合は、一種の強調やろね。
クニー:「ファンファン」といえば日本じゃ岡田眞澄だね。ジェラール・フィリップにあやかってつけられた愛称だけど、こちらのほうがわれわれにはおなじみ。
ヨシ:「チューリップ」の方は、盗賊に襲われているポンパドゥール侯爵夫人と王女を助けたお礼にもらったのがチューリップの形をしたブローチやったから。ようは「チューリップ坊々(ぼんぼん)」や。
クニー:この映画、日本でいうなら「ちゃんばら活劇」のような感じだけど、どんなところがヨシのお気に入り?
ヨシ:たとえば軽妙な愛のことばのやりとりやね。ファンファンを騙して軍隊に志願させた美女アドリーヌとのやりとりはホンマ洒脱。2人は最後に結ばれるんやけど、アドリーヌに「私のこと少しは好き?」と言われて返すファンファンのJamais je n’ai tant couru pour une femme qu'après toi.「君の他にこんなにも女性を追い求めたことなんてないよ」のセリフとかね。
クニー:courir aprèsで「好きな人をおっかける」。ここは複合過去形。ne~jamais は複合過去形と一緒に使われると「今まで一度も~したことない」。でもqueは「que以下は除くよ」って意味で「きみは例外」。何が例外かというと、tantがあって、これは「こんなにも」で、目の前で展開していることを強調して指し示す働き。ここでは「こんなにも女性を追いかけたことはないよ。でもきみは例外→きみだけをこんなに追いかけたんだ」ってアピールしてる。
ヨシ:クニー、キレッ、キレッの説明やなあ。
『汚れた血』と「私の一生の男」
ヨシ:クニーが好きな青春の映画は?
クニー:レオス・カラックスLeos Carax監督の『汚れた血』Mauvais sang(1986)かな。アレックス役のドゥニ・ラヴァンDenis Lavantがとにかく瑞々しくて惹かれます。
ヨシ:アンナ役のジュリエット・ビノシュJuliette Binocheがメッチャかわいい。
クニー:ヨシ、また女優の話に…。
ヨシ:そやかて、ほんま泣き顔なんかかわいいで。アレックスが泣いてるアンナを慰めるために腹話術する場面があるけど、あれで腹話術師ventriloqueって単語を覚えたくらいや。
クニー:確かにアンナは魅力的だよね。でも若いアレックスが告白しても、ミッシェル・ピコリMichel Piccoli演じる、マルクってオヤジが好きだって言うんだよね。はげ上がっていて、体の肉もだらりとしているオヤジの方が好きって。その時のセリフが、「彼はl’homme de ma vie私の一生の男」。あのフランス語にはガーンときました。
ヨシ:でも、クニー、ぼくらもこない歳をとったんやから、むしろピコリのほうに共感するんやないの?
クニー:とんでもない! だって、ぼくはデビッド・ボウイの「モダーン・ラブ」かけて、毎晩「ロック大陸」で100メートルダッシュしてるもん。
映画と死
ヨシ:ここまで愛の話ばかりやったけど、愛は若者だけのもんやあれへんで。老いても人は愛し続ける。それを教えてくれるんが、ミヒャエル・ハネケMichael Haneke監督の『愛、アムール』Amour(2012)や。ハネケ監督はオーストリア出身やけど、老夫婦を演じるのはフランス人のジャン=ルイ・トランティニャンJean-Louis Trintignantとエマニュエル・リヴァEmmanuelle Rivaで、フランス語で撮影されてる。
クニー:トランティニャンは『男と女』Un homme et une femme(1966)を始めとして多くの映画に出演してきた。
ヨシ:リヴァは被爆地広島を舞台にした『二十四時間の情事』Hiroshima mon amour(1959)が何というたかて有名やね。
クニー:でも『愛、アムール』撮影時には、そんな二人も80歳を越えていたんだね。まさに自身の老いと死を見つめながらの演技だった。
ヨシ:妻が体が不自由になって、自宅で夫が介護するねんけど、病院には戻さないでほしいと頼む場面の張りつめた雰囲気は忘れられへんわ。
クニー:Je t’en prie, ne me ramène pas à l'hôpital.「お願い、病院には戻さないで」ってところだね。
ヨシ:そう。夫がしどろもどろになって説得しようとしても、妻はNe parle pas. Et ne m’explique rien, s’il te plaît.ってきっぱりと言う。
クニー:「しゃべらないで。何も言わないで、お願い」。命令法の否定形を使って、強い決意が伝わってくる場面だね。
ヨシ:自宅介護という選択が正しかったかどうかは、簡単には言えへん。でも死の直前までいかに人間が人間らしく生きるか、この人間の尊厳への配慮こそが愛なんやろうな。
クニー:「恋はするもの、愛は育むもの」。生きているかぎり、愛を育みたいと思う、ワタシです……。
ヨシ:さすがクニー、フランス語界の「ファンファン大佐」や~。
◇初出=『ふらんす』2016年9月号