第20回 牛に乗りながら、馬を探す
中国には「骑牛找马(牛に乗りながら、馬を探す)」という言葉があるのだと山根さんが教えてくれた。いまの持ち場を活かして進みつつ、満足し切らずに次のより良い選択を探るという生き方だ。コロナ禍と香港情勢の変化の中で、山根さんが“次の一歩”に選んだのは、まさにその姿勢の延長線だった。
行ったことのない新しい国に住みたい マレーシアを選択
2020年コロナ禍が世界を襲う。また香港では前年の2019年から中国本土への容疑者引き渡しを可能にする逃亡犯条例改正案をめぐって数十万人規模の大規模な民主化デモがおこるなど、政治情勢が不安定化していた。
そのような情勢下で、山根さんの勤務先のアーカス・インベストメント・アジア社は香港オフィスを閉じることになり、転籍先として、ロンドン本社か、東京支社か、マレーシアの新規立ち上げに参画という3つの選択肢が示された。香港の代わりにアジアの金融ハブ都市としてシンガポールに移転する会社が多い中、同社は香港やシンガポールと並んで旧英連邦で金融関連の法律や税制が類似しているマレーシアが新たなアジア拠点立ち上げ先となった。山根さんはそこでマレーシアを選ぶ。
「暮らすならアジアがいいと思いました。ダイバーシティがあって、いろんな宗教や文化の人が尊重しあって暮らしている場所です。視察もして学校や買い物などの生活関連も動きやすそうだと感じました」
「仕事内容的には日本株を扱うため、日本とのやり取りがロンドン本社だと夜中の仕事になってしまう点がマイナスでした。東京支社だと子どもを海外で育てたいという思いに反してしまう。新しい国に行きたい好奇心が勝りました」
妻のあやのさんも付け加えた。「香港で働いたあと、長男をすでに2歳弱くらいまで子育てしていましたので、海外でも十分子育てはできるし、もしかしたら日本より育てやすいかもと思い始めていました」
山根さんと妻のあやのさんは友人の紹介で東京で出会ったが、山根さんの拠点は香港。お二人はしばらく遠距離恋愛を続けていたが、傑出しているのが、あやのさんが香港の会社に転職することで、香港で結婚生活を始めたということだ。アイルランドへの留学経験があって英語が堪能。海外への転職をやってのけたあやのさんも越境する人だ。日本にある外資系企業が人事労務関連を委託する先の香港の人事専門会社で日本の法人顧客の仕事を担当していた。香港で日本語と英語を活かしながら働き、長男の妊娠を機に退社して、香港で子育てをしてきた。香港では保育園や外国人ヘルパーさんをフル活用して家事育児を効率化する子育てが当たり前に浸透していた。
2022年4月に家族4人でマレーシアへ引っ越した。

クアラルンプール中心部都心のビル街。左側にある白いタワーが通信塔としては世界で4番目に高いKLタワー。その奥のガラス張りはコロナ禍後の2023年に完成したムルデカ118。高さ679メートルで超高層建物ビルとして世界第2番目の高さを誇る。著者撮影
結果が出なければクビの背水の陣
「成果が出なければ、首になるリスクを常に取る働き方です」
現在、山根さんのマレーシア支社はゼロからの立ち上げが軌道に乗り、マレーシア人2人、イギリス人2人と、山根さんが唯一の日本人マネージャー、合計5人の少数精鋭だ。アジアで金融関連だとまだまだシンガポールや香港で勤務する日本人が多く、マレーシアは珍しいようだ。同社はロンドン本社が20人、日本支社が5人という体制で、山根さんは上場・未上場ともに日本株を担当する。
かつてからの夢だった「未上場企業を出資という形の投資で支援し、そこから上場まで支援してその後も保有し続けるという『クロスオーバーファンド』という資金の出し方です。これをぜひ手掛けたかったので、いま非常にやりがいがあります」。
立ち上げから4年の現在、運用資産(ファンドサイズ)は約4,000億円。資金の出し手は、ヨーロッパの年金基金や大学基金などの主要な機関投資家を顧客に抱え、彼らがポートフォリオの中で日本を含むアジアに投資する部分を預かって運用している。常に結果が数字ではっきり出る業務のため、顧客からの信頼に応えるには常に数字の成果が求められる。
人事評価は基本的に投資パフォーマンスに基づいている。ヘッジファンド業界の報酬体系は様々だが、一般的に自分が獲得したリターンに対してボーナスが10~20%程度となる。例えば運用益が20億円なら2~4億円。一方で、利益が出なければ成果報酬はゼロ、進退が問われることもある。
コロナ禍のような市場全体が暴落するような局面では、市況と自分のパフォーマンスの差が見られるため、経験を通じ、投資先を組み合わせてリスクヘッジすることを身に付けてきた。イギリス人がトップの会社の風通しはよく、意見を言える組織文化だという。
日本での新社会人時代に、鬼軍曹の「全部やれ」は辛かったが、「今、仕事も、3人の子育ても、海外暮らしも、どれかを妥協するのではなく、やりたいことを生きている間に全力でやってみたらという発想をするようにしている」のだという。あの「全部全力でやる」の発想の転換と成功体験が、自分をここまで導いてくれたのかもしれないと思うこともある。
これから――海外に住み続けたい、日本はいい国だけれど
山根さんの頭の中を聞いてみた。どのようなメンタリティで次々と前に進んできたのだろうか。恐怖心などはなかったのだろうか?
「そうですね、まず、自分が成し遂げたいことを考えます。次に、どうやったらそこにたどり着けるかをひたすら考えます。たとえば、香港で転職しようと思ったとします。有名なファンドマネージャーの人がいて、その人の会社にアタックしたいのですが就職面談にたどり着くまでの人脈が必要です。この場合には、そのファンドマネージャーの奥さんに知人経由で人脈を開拓して、自分の履歴書を渡してもらうとか。どんどんやりました」
部活時代のバドミントンの経験も生きていますね、と水を向けると、「ああ、確かに、大会で勝つという目標に対して、練習メニューを考えたり、体調管理をしたり、似てるかもしれませんね」。
「日本の会社で働いていたころ、聞いたことあると思いますが巻物に筆ペンで手紙を書いてお客さんに届けていました。出資させてほしい社長が良く行くというバーに行ってみて話すきっかけを探ったりといったドラマのようなこともやっていました。成功している先輩がやっているあらゆることを真似してやってみました」
「金融は、色がないと言われます。お金には色はないんです。でも、お互い長くずっと付き合う間柄になるので、人として合うかどうかは大事な要素です。あなたなら出資して付き合いたいと思ってもらえるような人間であることも成長の一部として取り組んでいます」
「中国のことわざで、『牛に乗りながら、馬を探す(骑牛找马)』というものがあります。今できることをやりながら、満足せずにより良いものを探求するという意味です」
山根さんのこの発想は、仕事も子育てや生活も飽きることない探求をするという前向きな考えであると同時に、一回で正解を目指すような発想ではなく、行動しながら改善してゆけばいいという長期志向の山登りのような発想にも見えるのだ。私たちをそっと勇気づけてくれる言葉だ。
「今、ようやくマネージャーとしてやれることや影響力が増しました。自分が培ってきた日本、香港、マレーシアのネットワークを活かして、まだまだ成長していきたいです。海外居住を続けたいですし、未上場にも上場にも関わっていきたいです。日本の投資環境や個別の企業研究と、工学の知識でテック系の会社の実力分析もできます」。中国語も身に付け、人脈も育んできた。日本人という枠を越えて、この分野の職業人としてユニークで珍しい立ち位置を築いてきたのだ。

クアラルンプールの住宅街から車で30分ほど郊外に出ると一変して長閑な地域が現れる。国立大学と民間乳製品企業の協働による農地で、牛や馬を身近に見ることができ、週末は家族連れで賑わう。山根さんも子連れで楽しんだそうだ。著者撮影
子育てについてーー選択肢を広く、世界を広く
「子育てについては、選択肢を広く持って、チャレンジできる人でいてほしいです。日本は人口減少しますし、アジアやアメリカなど成長余力のあるところに興味を持ってほしいです。人口だけ見ても、アジアはASEAN(東南アジア10か国)とインドだけでも20億人の巨大な存在。MBA留学時に、仕事以前に、一個人の留学生として現地の人と交わり、お互いを知り、ネットワークができたのは大きな財産です」
「今は平日は朝仕事が早いのですが、夕方6時には帰宅して、子どもの勉強を見るなど、子育てにも時間と力を割いています。夜中に仕事をすることもたまにありますが、時間よりも成果が求められます」
「トップがイギリス人の会社で、アメリカ人上司の時と比べると、やや長期志向で見てもらえている気もします。国というより個性もあるかもしれませんが」
「親から、『ほかの人と違うことをやれ』『あなたならできる』と背中を押す声がけをもらったことを、いま自分が子どもたちにもしているつもりです。父は高卒で、大学は1年で中退した人。母も高卒でした。両親は私が大学や大学院に行き、さらに海外へ仕事を広げるとは思っても見なかったと思います。子どもたちにも、私が想定していないような新しいことにもどんどん挑戦してもらいたいです」
「日本は治安がいい、文化が素晴らしいなどいいことがたくさんありますよね。特に悲観もしていないんです。ただ、自分の目の向けどころとして、今はより広い世界、大きな選択肢に目を向けるよう自分にも子どもたちにも声がけしています」
日本に対して、楽観でも悲観でもない。自分の可能性が最も広がる場所を求め、いまの足場(牛)を最大限に使いながら、次の機会(馬)を見つけにいく。人生は、完璧な馬を手に入れてから動き出すものではない。まず牛にまたがり、一歩を刻むことから始まる。その歩みの途中でこそ、本当に自分に合った“馬”に巡り会うーー山根さんの越境の軌跡は、その静かな挑戦の連続である。
(了)



