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「越境する日本人 ~海外移住する日本人から読み解く、生き方・働き方・育て方~」後藤愛

第10回 出過ぎた杭になってほしい。打開策は、許しあうこと。

 2024年の現在、バンコクで新たな生活にチャレンジしている今岡さんだが、数年前、日本にいた間は気づかないうちに仕事中心の生活になっていたという。海外での子育てへの期待はなんなのか、自身のライフスタイルにどのような変化があったのか、さらに聞いてみた。

子育て環境についてーー「出過ぎた杭になってほしい」

 「日本は、自然豊かで、食は美味しく、治安も良くてすごいじゃないですか。子どもたちにはそういう日本の魅力を、わかっている人として大人になってほしいです」
 子どもたちの教育について語るとき、語気が自然と強まっていた。
 妻のもえさんも「日本人であることを大事にし、将来は日本語で仕事もできてほしい」と、6歳、4歳、2歳の娘さん3人と、4人目で産まれたばかりの待望の男の子にも期待する。ヨーロッパ系の母親たちが、「子どもはのびのび遊んでいるのが一番」と語学習得におおらかな様子なのをモヤモヤしていたが、「日本語は難易度が高い言語だから、習得には根気よく家庭での努力が必要だ」と最近納得した。日本語の方が圧倒的に難しい言語なので子どもたちは小さいうちから母語であっても日本語習得に力を入れる必要があるわけだ。
 なぜ、タイだと4人の子育てをできるのかについては、「タイだと友達付き合いが少ないので、夜の飲み会も月1回程度です。東京にいたときは誘いが入ることもよくありましたが、海外全般、特に東南アジアは子どもを大事に育てようとする文化があります」「レストランでもキッズチェアやプレートがすぐ出てきて、歓迎されます。そして完璧じゃなくていいという社会。タイ語には『マイペンライ』という頻出単語があります。ノープロブレム、無理しなくていいよ、という意味です。社会全体がのんびりしているのが子育てには丁度よく感じます」
  さらに、「小さい子どもを連れて電車に乗ると、必ずと言っていいほど優先席を譲ってくれる」という。筆者も2024年4月にバンコク訪問して今岡さんの話を聞かせてもらった前後に、5歳の次男と電車に乗ったのだが、実際に座っていた乗客が争うように瞬時に席を立ち譲ってくれて本当なのだと心底驚いた。

バンコクの都心部を走る電車の優先席。お年寄り、怪我人、妊婦は日本と同じだが、「僧侶」と「子ども」も優先されるべき人とされているのがタイ流だ。(著者撮影)


 「子どもたちの学校(アメリカ系のIB)も緩いです。たとえばドレスを着て行ってもいい。学年を上げる、下げるも自由。インターナショナルスクールが、バンコクだけで160校くらいあるそうです。進学重視のトップ校もあるし、ほぼタイ人しかいないような学校もあり、我が家は学校の雰囲気や、先生たちの人柄、立地、学費など総合的に見て、一番バランスよく感じたところに通わせています。タイ人は3、4割程度。日本、韓国、中国が多く、次いでベトナムなど東南アジアの各国です。英語のできない保護者も多かったりします」
 「子どもには、『出る杭は打たれる』、『出過ぎた杭は打たれない』と言われるので、『出過ぎた杭』になってほしいです。他人を気にせず、個性を伸ばし、社会にインパクトをもたらしてほしいです」「海外在住の利点として、英語上達も挙げられますが、英語は一つのスキルに過ぎず、むしろ海外にいることで肌で感じる多様な価値観を大事にしてほしいです」

海外生活は、家族で支え合ってサバイブすることが必須

 お話を聞いた後、東京とバンコクの暮らしの違いを、ご夫婦からのメッセージでも寄せてくれた。
 いわく、「東京の生活では、毎日往復2時間近くを満員の通勤電車に費やし、残業も会食も多く精神的に削られていた部分も多かったです。独立した今はスケジュールを自分でコントロールできるので、自宅で仕事をすることも多く、またバンコクの街はコンパクトなのでオフィスへの移動も片道30分ほど。起業によってある意味朝起きてから夜寝るまでノンストップな毎日ですが、限られた時間を大切に使うことを強く意識することで、仕事だけでなく家庭にもきちんと関われているという実感があります」
 東京での生活は、本来行うべき仕事に付随して、通勤時間や人付き合いや過密な働き方のせいで、業務時間以上に、労力が消耗されている。このことは、おそらく多くの働く人が実感している。バンコクでも独立起業後ということもあり、決してのんびりしているわけではないが、本来価値のあることに時間を集中投下して、結果として望む時間配分のライフスタイルになっているのだろう。命=生きている時間。そう考えると、時間のコントロールがあることが、すなわち、自分の人生のコントロールであり、理想の生き方への具体的な道なのだ。
 妻のもえさんは、今岡さんの歩みには、いつも前向きに応援してくれている。日本にいたときはフルタイムで商社系列のファッション関連会社に勤務し、バリバリ働きキャリアを築いていたが、今岡さんのタイへの転職のタイミングで離職した。来年、末っ子も保育園に通い始めたら、家族で海外で居住、出産、子育てなどを一気に経験してきたことを活かし、教育関連、語学関連、産褥期の女性支援などの分野でキャリア再構築を計画している。

2024年4月に産まれたばかりの新生児と、姉3人。子どもが増えて4人になり、さらに賑やかになった。(今岡さん提供)

閉塞感の打開のヒントは、柔軟さと、許しあうこと

 日本の閉塞感について水を向けると、「日本はとても均質的な国ですよね。良くも悪くも。そして異常なほどディテール(細部)にこだわる人がすごく多数いて、その結果、優れた商品や文化がたくさん生まれてました」「一方で、日本でいう『普通』は、世界的な『普通』からは、外れていると感じます。海外はまず他人と違うことが当たり前です」
 「閉塞感の元は、一つ目には、みんな同じがいいという風潮です」。就活などの習慣に如実に表れているという。「僕は、小5で9.11テロ事件、大学生でバックパッカーをしている最中に3.11東日本大震災、1人目の子どもが1歳半の時にコロナ禍を経験しました。世の中の転換点を身近に感じていたので、『人生いつ何が起こるかわからない』という気持ちが強いです。コロナ禍でもマスクを外していいと政府が言うまで、日本の人は着け続けていたことに驚きました。公的なものへの信頼が高いと同時に、依存も強いと強く感じました」
 「二つ目には、失敗が許されない社会です。具体的には、メディアの論調や、大学受験や就活で、少しずつ柔軟性がでてきているとはいえ、やはり人と違った道を行くと、既存の路線には戻りにくいのではないでしょうか。他社に出てまた戻る。官僚が民間企業に転職してまた戻る。といった柔軟なキャリアトラックが少ないです。失敗や寄り道を、許しあう社会になってほしいです」
 今後については、「いまの仕事を5-10年かけてしっかり軌道に乗せることを目指しています」
 今32歳の今岡さんは、10年経っても、まだ42歳だ。その先は、日本に帰ることも含めて、柔軟に考えているという。独立起業の初期にもがく親の姿を、子どもにしっかり見てほしいと願っている。
 「4人もインターナショナルスクールに通わせて頑張っているので、僕の勇姿が伝われば、大きな励みになります。タイ移住後、生活環境が大きく変化しましたが、子どもたちは目をキラキラさせながら毎日物凄い速度で成長してます。そのエネルギーに負けないように、僕は僕で自分のすべきことをやり抜き、”父親の背中”を見せていきたいと思ってます」
 学生のころから、自らの才覚で成長できる環境に身を置き、確実に前に進んできた今岡さん。これから4人の子育てと海外起業の両立という新たなチャレンジも、きっとその行動力と臨機応変力で、舵取りをしてくれるに違いない。また来年、再来年と、前に進んだころまたお話を聞いてみたい。

 日本にいたら、4人の子どもを考えられなかった、タイにいればより成長できると思った。これらの言葉は、振り返ってみれば、日本にないものがあるということだ。これは日本社会への一つのメッセージでもあるのではないだろうか。

 今岡ファミリーの挑戦は、始まったばかりだ。

家族でバンコクのスワンナプーム国際空港にて、もえさん撮影。お子さんたちの伸び伸びした笑顔が充実した生活を物語っている。(今岡さん提供)

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著者略歴

  1. 後藤愛(ごとう・あい)

    1980年生まれ。一橋大学法学部(国際関係論専攻)を卒業後、2003年独立行政法人国際交流基金に入職。2008年フルブライト奨学生としてハーバード大学教育大学院教育学修士号(Ed.M。国際教育政策専攻)取得。2012年から2017年同基金ジャカルタ日本文化センター(インドネシア)に駐在し、東南アジア域内と日本との文化交流事業に携わる。2021年同基金を退職し、現在マレーシアでCHANGEマイクログラント(https://changemicrogrant.org/)活動に携わる。家族は夫と子ども3人。

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