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「越境する日本人 ~海外移住する日本人から読み解く、生き方・働き方・育て方~」後藤愛

第8回 個人が、よりよい生き方を選ぶ時代に  -CHANGEマイクログラントの挑戦

マイクログラントとは? ー支援から共創へ、国から個人へ

 あなたにとって越境とは何だろうか。今日はそのヒントとなればと願い、私がマレーシアで取り組んでいるCHANGEマイクログラント(注1)の話をしたい。
 これは私が2021年にマレーシアで始めた活動で、マイクログラントと呼ぶプロジェクトあたり約10万円程度(注2)の小口支援金を、NGOや社会的企業に提供し、小さい規模でも持続したインパクトを目指すものだ。これまで3年間で、女性、子ども、若者に知識やスキルを習得してもらう研修や、小規模ビジネスの改善など、成果が持続しやすいプロジェクトを選んで、計18件を実施してきた。応募倍率は例年少しずつ増えて、1.8から2.4倍。応募は基本的には団体だが、なかには小規模な個人事業者もいる。私に加えて、2人のマレーシア人アドバイザーを迎え、3人の小規模精鋭チームで取り組んでいる。プロジェクトの応募は、私やアドバイザーの伝手から来ることもあるが、最近は、主にソーシャルメディアやメッセージアプリで拡散し、知らない団体からも応募を集めている。前回紹介したGYECマレーシアと同様に、これも手探りでゼロから始めたプロジェクトだ。
 世の中の流れに目を向けてみる。かつて、日本と東南アジアの関係は、開発援助の時代があった。日本が支援する側、アジア諸国は支援を受ける側だった。その枠組みでは、支援の主体は国であり、工事を手掛ける大企業や研修などを実施する政府系機関、現場に詳しいNGOが事業を実施し、成果として社会インフラなどの便益を個々の市民が間接的に受け取っていた。主体は国や大企業であり、関係性は支援する・されるの関係だった。
 しかしいまや、こうした日本と東南アジアの関係は、過去のものだ。もしも昔の印象を引きずっている人がまだいるならば、その世界観、アジア観は今すぐアップデートしなければならない。象徴的だったのが、2023年12月に東京で開催された日アセアン特別首脳会談。数年内に東南アジア諸国連合(ASEAN)が経済規模で日本を上回るとの見解に基づき、「『支援・被支援』の関係を改め、対等な立場で協力する方向性を明確にした」とされている(注3)。日本とアセアンのこれからは地域の経済と社会をともにつくりあげる「共創」を打ち出している。
 私自身の経験でも、2000年前後の学生時代には、東南アジアは学生がバックパックをして驚くほど安く旅ができるエキゾチックな場所で、私は女友達と2人旅でタイのバンコクに滞在し、大きな鉄道駅近くのそれなりに安全で清潔なホテルに一泊1500円程度で泊まり、一食100円前後の屋台で麺料理を食べ、遺跡やお寺を見て回った。日本からちょっとバイト代を貯めればバックパックとはいえ海外へ旅ができる日本の大学生は、タイの人から見ればゆとりのある存在に映ったかもしれない。
 それから20年以上が経った今、タイ、マレーシア、インドネシアなど東南アジアは国の経済が発展し、都市で働くホワイトカラーの会社員も増えた。従来からの富裕層だけでなく、こうした会社勤めのミドルクラスも働いた給料を貯めて、休暇を使って日本にどんどん旅行に行っている。それも人生をかけた留学というわけではなく、数日程度の観光旅行に出かける。インドネシア駐在時の現地スタッフや、いまのマレーシアでの友人たちは、こうして日本旅行を楽しんでいる。加えてここ1、2年の円安の影響で日本旅行は2-3割引きの格安状態が拍車をかけている。さらに、これらの東南アジアの人たちは、スマホとソーシャルメディアを使いこなし、母国語に加えて英語も駆使し、もしかしたら日本人以上に器用に世界中の情報にアクセスしている。
 こうして、日本と東南アジアは対等になり、人々は「個人から個人へ」つながるようになった。ヒト・モノ・カネの行き来だけではなく、それに付随した「信頼」や「価値観」の伝播も、対等な個人同士で行われるようになった。
 CHANGEの活動も、こうした文脈の中にある私という個人発の社会貢献活動だ。マレーシア人アドバイザー2名に加えて、2023年に活動に賛同してくれた3人の寄付者/サポーターも、1人は日本人女性、残り2人はマレーシア人女性であり、まさに日本人とマレーシア人が協働・共創している取り組みだ。

図1 2023年10月CHANGE3年目の審査会議のようす。全員が食べられるものということで、マレー料理レストランに集まり、採点表を元に議論を重ねて、18件から8件の実施プロジェクトを選ぶ。中央に著者、左にJoanne Mun、右に Puan Sri Maimon Arif Patail、どちらもCHANGEのアドバイザー(著者撮影)


CHANGEのはじまり

 活動の発端は2020年、マレーシアのNGO数団体に寄付をしたことだった。1月にマレーシアに転居し、3月にはコロナ禍が始まり、厳しいロックダウンがなされていた。「何か社会活動をしたい」とモヤモヤしている私に、夫が「小さくても、具体的に動いてみたら」「ずっとやりたがってきた、勤めの仕事以外の社会活動をするいい機会なんじゃないの」と言ってくれた。確かに、私は大学院修了以来、ずっと何かをやりたがっていながら、仕事と育児で手一杯で、とても一歩が踏み出せていなかったのだ。外出には制限があったため、まずは寄付をしてマレーシアの団体を知ろうと思った。単にウェブサイトを見て送金するだけでなく、問い合わせフォームから連絡をして、やり取りを試みた。その中で分かったのは、団体の大小にかかわらず、お金だけでなく、お金に乗っている目に見えない「応援の気持ち」を大事に受け取ってくれるところが多々あるということだった。
 2021年、この寄付活動に、「CHANGE」と名前をつけて、募集要項を作り、告知してみた。9件のプロジェクト応募があり、そこから5件を採用して小口(RM2,000)の寄付を行った。前職の経験からこうした一連の事務局作業には慣れていた。翌2022年には、アドバイザー2名にお願いして、小さいながら正式な審査会議の形をとり、金額も微増させた(1件あたりRM3,000)。ロゴも私が無料素材を手作りしたものから、プロデザイナーでNHKのEテレの番組のデザインなども手掛けている田中健一さんにお願いして刷新した。2023年にはようやくウェブサイトも開設。18件の応募から8件のプロジェクト実施にまでゆっくりだが拡大させてきた。

図2 CHANGEのロゴ。大きな木を上から見た様子になっており、CHANGE(変革)の「C」が葉の曲線に表現されている。〇を頭に見立てると人々が諸手を挙げて集まって協働する様子が、そして小さな〇はプロジェクトの成果としての果実を表している。曲線にはマレーシア伝統のバティックの絵柄も彷彿とさせる繊細さと、成長への期待が含まれる。プロの手で曲線を一本一本制作してくれた。

 

個人レベルのベンチャーフィランソロピー活動、小さなライフチェンジを促す

 CHANGEの活動は、私にとって「越境」そのものだ。政府系団体の職員という安定したわかりやすい職を手放し、自営のマイクロアントレプレナー(小規模自営業者)になった。日本の不動産賃貸業を経済的な基盤として、活動の基礎的経費を捻出しつつ、日々、割いている時間は非営利活動が中心だ。
 ある人からは、この活動を、「個人レベルでベンチャーフィランソロピー活動を手掛けている、ベンチャーフィランソロピストなのですね」と言葉にしてくれた。これはいい定義だと思った。フィランソロピストとは、直訳すると慈善活動家のことで、たとえばマイクロソフト創業者ビル・ゲイツのビル・アンド・ミランダ・ゲイツ財団や、古いものではロックフェラー財団、フォード財団などがアメリカでは巨大な民間財団として知られている。これらは、大企業を創業して巨万の富を得た富豪たちが、その富の社会への還元と、一部は税金対策として財団活動を行ってきた。
 私自身は、父が外資系企業のマーケティング担当の会社員、母が翻訳通訳をしながら子ども三人を育てていた中流家庭の出身だ。女性も自分の情熱を傾けられる職業を究め、できれば家庭も持ちながら長く仕事を続けるべしという母の考えの影響を強く受けて育った。就職超氷河期の就活を何とか切り抜け、自分の好きな国際交流に携わり、海外駐在もあって男女ともに長く勤められる安定した職場を見つけた。しかし勤め先での立場が中堅になるにつれ、自分自身の活動をしたいという気持ちが消えなかった。海外志向の夫もあり、夫婦で海外移住を視野に入れ、そのためには現実的に経済的な柱が不可欠だと考えた。時間をかけ、自分の人件費を不動産賃貸などにより最小限賄えるようになった。時はコロナ禍。やりたいことがあるならば、悔いのないようにできるときにチャレンジしようと、ライフシフトを決断して、長くお世話になった勤め先を離れ、独自の道を歩むことになった。
 こうしてたどり着いたのが、CHANGEマイクログラントだった。ほかにも、第7回で紹介したGYEC(Global Youth Entrepreneurship Challenge)マレーシア大会(注4)の共同実行委員長であり、そして何かものを書いて考えを形にしたいという思いはこの『越境』シリーズの連載で現実のものになった。「正解はない。自分が選んだ道を、正解にしてゆく」。日本である人が言っていたこの言葉を胸に、人とは違うことをする怖さや恐れを少しずつ手放すようにしながら、進んでいる。

図3 CHANGEマイクログラント2023/2024のプロジェクトの一つ、クアラルンプールの都心中心地、Yayasan Chow Kit(チョーキット財団)による10代の課題を抱える子ども向けにアクセサリー・蝋燭制作、料理、オンライン広報用ソフトウェアを教える12カ月のプロジェクト “Youth Empowermnt through Entrepreneurship and Digital Creativity”(起業家精神とデジタル創造性による若者エンパワメント)の現地訪問のようす。販売まで伴走して実践する。先生たちの指導のもと、10代の子どもたちがまっすぐに取り組んでいるのが印象的だった。

 

 2024年3月、私はマイクログラントの実施地の一つ、東マレーシアのサバ州にDumoWongiを訪ねた。クアラルンプールから飛行機で3時間の場所だ。この社会企業では、20年来続く老舗のコミュニティ農業団体から独立した女性アイリーンが中心となって、近隣の農家の女性を巻き込み、ハーブと食用花を栽培し、商品化して販売することで近隣女性の所得増加と生活改善を行っている。「CHANGEマイクログラントによる研修がなかったら、何をしていましたか?」と聞くと、「Duduk di rumah sahaja. (ただただ家にいただけですね)」と返事が返ってきた。「夫の農業や他の仕事をほんの少し手伝う他は、主婦でした」「今は、ハーブなどの育て方を教えてもらったので、育てて納品するのが仕事になっています」という。さらに「男たちよりも、うまく育てる自信があるわ」と1人が言うと、集まった女性たち皆がガハハハと声を立てて朗らかに笑った。とても定量化しにくい、参加者であり受益者でもある人たちの前向きなライフチェンジ。これこそが”Small Grants、Big Change” (「小さな支援で、大きな変革を」)を掲げるCHANGEらしい変化だ。
 この訪問の直後、3月下旬に、CHANGEはCHANGE Philanthropy Berhadとしてマレーシアで非営利活動を行う法人格を正式に実に半年以上かかって取得した。この原稿を書いている時点で、銀行口座開設も完了しそうだ。

図4 2024年3月、東マレーシア、サバ州の州都コタキナバルから車で東に2時間程度キナバル山麓を上がったところにある農業に取り組む社会的企業Dumo Wongi(良い香という意味の現地語)を訪れ、英語、マレー語、他にも現地語を交えてプロジェクトについて聞き取りをした(Dumo Wongi撮影)。

 

図5 試行しながらのプロジェクト件数と支援金額の伸びを示すグラフ。まだまだ非常に小規模な活動だが、これからも小さな変革を促す活動として長く続けていきたい(著者作成)。

 

これからも広く、長く

 2024年5月。知人経由で、マレーシアの独立系映画会社と出版社を経営するAさんというマレー系の男性に会った。知人の勤める不動産開発会社のハリラヤ・オープンデーという断食明けを祝う華やかな場だ。クアラルンプール郊外の小さな湖沿いのこぎれいな施設で、私も慣れないバティックの正装に身を包んで会場に行った。知人曰く、「Aさんは、映画監督かつプロデューサーで、映画会社と出版社を経営していてその界隈では有名な人。これからマイクログラントをやりたいと言ってるから、ぜひAiとつながせて」という。背が高く、がっしりした胴体にマレーの伝統衣装バティックのシャツをまとい、話しながら穏やかな微笑みをたたえている。成功した中小企業経営者の風貌。行動力のありそうな人だ。
 Aさんは、「マイクログラントをやりたくて、その方法を知りたいんだ」という。「何にマイクログラントを出したいですか?」と聞くと、「トラベルグラント(旅費の支援)がいいと思ってる。自分も若いころから、たくさん旅をした。普通の旅のこともあれば、映画祭や国際会議に行くためのこともあった」「これらの機会が今の自分を作ってくれた。だから、若い潜在力のある人にそういう機会を作りたい」という。CHANGEの話を軽くすると、「法人格は?」「選考は?」といろいろ具体的に聞いてくる。一通り話すと、「ありがとう。ひとまず自分のできる範囲で始めてみるよ」と、微笑みをさらに大きくした。実行力がありそうな人だから、きっと近いうちに現実化するだろうなと明るい未来が透けて見えた。自然とこちらも笑顔になる。こうした「同志」が現れるのを、私はずっと待っていた。だから座りながら小さく感動していた。人と人のつながりが運んでくれたご縁でもあった。
 これから、寄付者を増やすこと、いいプロジェクトパートナー(支援先団体)を発掘すること、同志としてAさんのような人を探して増やし、ゆっくりでも長く続けてゆきたい。この越境シリーズの読者の方にも、ぜひとも寄付者/サポーターとして関わってもらえたら嬉しい。理想論に聞こえるかもしれないが、一人ひとりの小さな蝶の羽ばたきのような活動が、やがては世界に影響をもたらすこともできるとやはりどこかで信じている。結局のところ、私たちの世界を作っているのは、お題目や看板ではなく、私たち一人ひとりであり、一つひとつの行動の積み重ねなのだから。理想を持ったら、その前に横たわる現実的な課題を一つずつ地味に、そして地道に、解決してゆく。そうして越境した暁には、新しい景色が少しずつ見えてくる。
 あなたにとっての越境とは何だろうか。あなたにとってのよりよく生きるとは何だろうか。そうした本質的な問いを考えるとき、私の小さなCHANGEマイクログラントと越境の拙い歩みが、何かのインスピレーションになったら、これほど嬉しいことはない。

 

注1   CHANGEマイクログラント https://changemicrogrant.org/
   Facebook https://www.facebook.com/CHANGEeducationfund
   Instagram https://www.instagram.com/change.edu.fund/

注2   具体的には3,000リンギット。2024年6月5日現在のレートで約98,790円。(1リンギット≒32.93円)

注3 「日本とASEAN、支援から対等な関係へ 脱炭素などで協力」日経新聞2023年12月17日 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA170R60X11C23A2000000/

注4 第7回 高校生のビジネスアイディアコンペをマレーシアでhttps://webfrance.hakusuisha.co.jp/posts/8056

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