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「越境する日本人 ~海外移住する日本人から読み解く、生き方・働き方・育て方~」後藤愛

第9回 4人の子育てと、海外起業。日本の新興IT企業から、タイで農業会社に至るまで

再会

「子ども4人なんて、タイに住んでいなかったら、考えられなかったですよ」
 お子さん3人とご夫妻でマレーシアのクアラルンプールの私の自宅近所のピザ屋での食事の終わり際に、お子さんを抱っこして身支度をしながら、今岡さんは笑顔でそう言い切った。2023年10月、今岡さんが家族連れでマレーシアを旅行と視察を兼ねて訪れていた時だ。
 今岡さんとは、数年前に、東京の六本木にある国際文化会館が主催する新渡戸リーダーシッププログラムで半年間ともに学んだ同期として知り合った。当時、私は前職で第2子の育休中、今岡さんは20代ながらIT系クラウドサービスを提供する勢いのあるベンチャー企業のマネージャーとして活躍しながら1人目のお子さんが生まれたころだった。
 お互いにこれからの働き方や生き方を変えたいと思ったタイミングだったのだろう。数年ぶりの再会は、コロナ禍を挟んで、私はマレーシアに、今岡さんはタイに移住した後で、お互い子どもの数も増え、それぞれの人生が数歩前に進んでいた。
 「この人も越境シリーズに登場してもらわねば」。冒頭の一言を聞いた瞬間、直感した。いつもはマレーシアのことを書いているが、今回は番外編で、マレーシアの隣国、タイ在住の今岡柾(まさき)さんを紹介しよう。
 昨年今岡さんのマレーシア訪問時に聞いたお話に加えて、2024年3月に今度は私が家族でバンコクを訪れてお伺いし、そして6月には追加でオンラインインタビューもさせてもらった話を再構成した。
 なぜ、タイなら子ども4人が可能なのか、そもそもどうして今岡さんはタイにいるのか、タイの暮らしの何がよいのか。マレーシアとタイとの比較も含め、書いてみたい。

生い立ちからタイ留学まで

 今岡さんは現在、タイの首都バンコクで、日本の良質な農産物をタイなどのアジア諸国に輸出する会社、Empower Agro International Co. Ltd.を創業し、タイ人パートナーとともに共同創設者(Co-founder President)を務めている。32歳の若さで、創業社長だ。2024年4月に独立したばかりで、その前の2年間、バンコクで類似の事業を行う日系の会社に勤めており、そこの事業を継承するかたちで独立した。タイ在住は約2年半になった。学生時代の留学と合わせると既に4年近い。
 1991年生まれ、東京出身。4つ上の兄との2人兄弟で、「しつけの厳しい兄でした」と言うほど、お兄さんの存在が大きく、父親とキャッチボールやサッカーをした思い出もあるが、「たとえば、リフティングが100回終わらないと家に入れない」など、スポーツや勉強全般は兄に鍛えられた。冬には家族でスキーに行くなど、活動的な家庭だったが、何でも良くできる兄と比べて、自分は違うという思いがいつもあり、「典型的な次男気質かもしれません」。
 高校まで、ひたすらサッカー三昧の少年時代を過ごし、大学は、第一志望に合格できなかったが、第二志望の首都大学東京(現・東京都立大学)法学部に入学し、あえてサッカーからは距離をとり、国際交流のNPO活動などに励んだ。当時、書籍『これから正義の話をしよう』やNHKテレビ放送(注1)で有名になっていたハーバード大学マイケル・サンデル教授に興味を持ち、法律や倫理の哲学的な問いについて考えるのが好きな学生時代を過ごした。
 在学中に、海外、特にアジアを見たいと考えた。当時、父親の仕事で両親がタイに駐在していた。父は建設関係の会社に勤めるエンジニアで、シンガポールのランドマークでもあるチャンギ国際空港の建設などを手掛けていた。その関係で、4歳年上の兄はシンガポール産まれ。今岡さん自身も、長期出張先の父親のいるシンガポールやタイに行った経験から、発展著しいタイに興味を持った。
 「大学に交換留学制度はなかったので、自分でインターネットで調べて、『Thailand, Number 1 University』 のキーワードで検索して探しました」
 この行動力が実り、タイの東大と言われるチュラロンコーン大学の英語のプログラムを見つけ、飛び込みで応募した。結果、無事合格することができ、1年のうち、半年間は大学附属の語学学校でタイ語学習、残りの半年は欧米系の教授陣が英語で講義をするチュラロンコーン大学の正規課程の授業に取り組み、各国からの留学生と渡り合った。国際学生寮に入り浸り、英語とタイ語漬けの日々で、友達も作った。
 この時に身に着けたタイ語力とタイ人の友人たちは、今の仕事と生活でも、自動車事故に遭えば保険の手続きを友達が助けてくれたり、子連れで家族ぐるみの友情を育んだりもして、活かされている。
 自らの力で飛び込んだ留学に手ごたえと成長を感じ、帰国した。

路上から見えるバンコクの高層ビル街。市内のあちこちで新しい高層ビルが建てられている。(著者撮影)


帰国、新興スタートアップへ「0期入社」

 1年間の留学を終え、一つ年下の学生たちと並んで就活を試みたが、周りを見ると、皆同じスーツを身にまとい、個性がまるで感じられなかった。
 「自分には向いてない」。見切りをつけ、大学院への進学を志す傍ら、ベンチャー企業やスタートアップに興味を持ちイベントに顔を出した。慶應義塾大学で行われたフリー株式会社によるセミナーに参加したとき、スモールビジネスの会計業務を効率的に提供するクラウド会計というビジネスモデルや社風に共感した。
 「インターンに来いよ」
 同社の社員が兄と早実野球部の先輩後輩だったことも親近感に繋がり、お互いの関心が合致してインターンに誘われた。毎月給料をもらい、IT系スタートアップの現場で実務に携われるのは、「大変刺激的で、面白かった」。当時同社は、社員が30人の新興企業で、新卒採用は誰もいなかった。そこから正社員のオファーをもらい、23歳で「新卒0期生」として正式に入社した。翌年から、新卒社員が20人くらい採用され、新卒1期生と呼ばれた。1期生が入る前に、すでに新卒入社していたから、「0期生」。既存の就職活動に乗らず、自ら道を切り開いた。
 「ご縁があれば、そこで精一杯頑張って進もうという心構えですね」
 自然体ながら、好奇心を軸にして人生戦略を立てる今岡さんの人柄がうかがえる。
 そこから数年で、会社と業務は急拡大。今岡さんはプロダクト開発の責任者を務めていた。仕事は充実していたが、もともとベンチャー企業に惹かれて入社した同社が2019年に上場(注2)。次のステージに移ったと判断し、次の自分の居場所を探し始めた。
 タイ留学のあとから、いずれはタイまたは東南アジアに住んで仕事をしたいと漠然と考えていた。「具体的な職探しに動いていたわけではないですが、『次は東南アジアで働きたい』と周囲に公言していた」という。
 「今度、バンコクでポストがあるけど、来ないか」
 公言を耳にしたタイに日本の農作物を輸出する親交のある会社社長から誘われ、「これは千載一遇のチャンス」と、このオファーに乗ることにした。
 順調なエピソードの連続なのだが、それも今岡さんが自分の成長の場を探して、いつも能動的に布石を打っているからこそだ。この自然体の行動力が、さらに今岡さんと家族を前に進めてゆくことになる。

バンコクのチャオプラヤー川。観光用の船だけでなく、激しい道路渋滞を避ける市民の足である水上バスも走っている。(著者撮影)


いよいよ仕事でタイへ。日本農産物、日本食

 タイは在留邦人7万2308人(2023年10月)(注3)。一人あたり名目GDP は、日本が4万146ドルに対して、タイは7168ドル、それも首都バンコクに限ってみると1万8718ドルとなる。(注4)
 タイで日本の高級で良質な農産物は非常に人気で、たとえば山梨県のシャインマスカットなどは、日本より3倍以上高いくらいの値段でもどんどん売れるという。「日本出張では、農産物の産地の地方を回ります。僕のビジネスパートナーである優秀なタイ人はタイ語と英語ができますが、日本の農家と直接話すには、日本人で日本語を使えることが比較優位になりますね」

 また、タイでは大変な日本食ブームの最中だという。「マレーシアでも、モールに日本食レストランがあることを今回の視察で気づきましたが、タイだとさらにモールのレストランの大部分が日本食の場合もあり、しかもそのようなモールが多数あるんです」という。
 「タイには6000店の日本食レストランがありますが、約9割はタイ人オーナーが経営しています。日本人からすると、確かにタイ風にアレンジされた味付けだったりはしますが、それでも十分に美味しいです」。タイの人の日本食や日本文化への造詣の深さが感じられる。
 日本人の多くが住む、バンコクのスクンビット地区は、タイ全体で7万2000人の日本人のうち、約6万人が暮らす、日本人密集度の高い地域だ。「日本人のみが住んでいるマンションも複数あり、そこから日本人学校に子どもを通わせると、タイに住んでいるのに、ほとんどタイ人やタイ語と接点がない状況もあります。うちはそうではないマンションに引っ越しました。おそらくマレーシアの方がマンションは広めでしょう。」
 住居の広さや、日本食の手に入りやすさなどは、生活のための実利であり、子育てのしやすさにも直結するし、タイにもマレーシアにも共通の利点である。そうした目に見える実利に加えて、このあとの今岡さんとの話は、直接目に見えにくい子育てをしやすい東南アジアのカルチャーや、日本の閉塞感の打開策にも及んでいった。話の続きは、後編で紹介してゆこう。


長女の卒園式にて。家族を巻き込んでの越境だが、気負いすぎず自然体を貫いているのが印象的だ。(今岡さん提供)

注1:書籍『これから正義の話をしよう』マイケル・サンデル著、鬼澤忍訳、早川書房、2011年
https://www.amazon.co.jp/dp/4150503761?ref=emc_s_m_5_i_atc

NHK番組「ハーバード白熱教室」2010年度放送
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009010816_00000 

注2:「freee」大型上場、海外投資家が殺到した理由 東洋経済オンライン2019年12月19日
https://toyokeizai.net/articles/-/320415 

注3:タイ基礎データ 外務省
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/thailand/data.html

注4:タイ向け日本産農林水産物・食品の輸出増加品目に係る調査2023年3月タイ農林水産物・食品輸出支援プラットフォーム 日本貿易振興機構(ジェトロ)バンコク事務所
https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/02/2023/41a425d075a7ef1f/pf_bgk_2303.pdf

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著者略歴

  1. 後藤愛(ごとう・あい)

    1980年生まれ。一橋大学法学部(国際関係論専攻)を卒業後、2003年独立行政法人国際交流基金に入職。2008年フルブライト奨学生としてハーバード大学教育大学院教育学修士号(Ed.M。国際教育政策専攻)取得。2012年から2017年同基金ジャカルタ日本文化センター(インドネシア)に駐在し、東南アジア域内と日本との文化交流事業に携わる。2021年同基金を退職し、現在マレーシアでCHANGEマイクログラント(https://changemicrogrant.org/)活動に携わる。家族は夫と子ども3人。

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