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「越境する日本人 ~海外移住する日本人から読み解く、生き方・働き方・育て方~」後藤愛

第7回 高校生のビジネスアイディアコンペをマレーシアで

 「チームワークを伸ばし、英語でのコミュニケーション力も鍛えられます。一緒にオンラインビジネスコンペを成功させませんか?」

 2023年11月、私はサンウェイ大学を訪問して、日本人留学生向けに一生懸命話をしていた。大学の四角い小さめの教室は、年中通して夏のためエアコンがよく効いて寒いくらいだ。初顔合わせゆえの緊張感が室内に薄っすらと漂う。
 ここは、中華系マレーシア人の起業家ジェフリー・チェア氏がたたき上げで一代で興した一大企業集団サンウェイグループが擁する私立大学のキャンパス。首都クアラルンプールの隣りのセランゴール州にあり、街の名前もサンウェイ地区(Sunway City, マレー語ではBandar Sunway)と、この企業の影響力の大きさがうかがい知れる。この企業の商業施設、遊園地、大学、小中高のインター校などが集積している。
 チェア氏は、日本でいえば孫正義氏のように名前の知られた実業家で、その名前を正式に書くと、Tan Sri Dato’ Seri Sir Dr. Jeffrey Cheah KBE AOと覚えられないくらいに長い。なぜかというと、マレーシアには、イギリスのナイトのような称号の制度があり、各州のスルタンがそれを主にマレーシア国民に、稀にマレーシアに貢献した外国人にも与えている。チェア氏は、これまでに複数の州のスルタンからDato’(ダトゥ)、Dato’ Seri(ダトゥ・スリ)、Tan Sri (タン・スリ)という称号を授けられている。加えて、国内外の大学から合計10個の名誉博士号を、オーストラリア政府からOrder of Australia(AO)を、そして最近は2023年に英国チャールズ3世国王からKnight Commander of the Order of the British Empire (KBE)の称号を受けている。1
 あるマレーシア在住歴の長い知人から、「マレーシアで男性をMr、女性をMsと呼ぶのは、これらの名誉ある称号のない一般人だけ。称号のある人には必ず称号付きで呼び掛けること」と言われたことがある。本人から「称号なしで呼んでどうぞ」と言われて初めて、そのような親しい呼びかけが許されるという。これらの称号を持つ人は、車のナンバープレートにも特別な紋章を付けている。自由でのんびりしたイメージのあるマレーシアだが、この制度は旧時代的な階級の名残と、社会の上下関係をうかがわせる。とはいえ、称号は一代限りで世襲ではないし、若手起業家にも授けられるなど時代に即した活用も試みられているようだ。
 さて、前置きが長くなってしまったが、大学訪問の目的は、ここに留学している日本人大学生向けに、私がマレーシア人実行委員たちとこれまで2年間主催しているマレーシアの高校生のためのビジネスアイディアコンペ「Global Youth Entrepreneurship Challenge (GYEC)マレーシア国内予選」2にインターンとしての参加を呼び掛けるためだった。私自身が越境する日本人の一人として行っている活動の一つだ。
 このコンペは、京都にある特定非営利活動法人アントレプレナーシップ開発センター3が毎年世界大会を主催しており、2024年には、全世界32か国から164チームが参加予定で、NPOが主催するコンペとしてはかなり大きい。もともとは、2000年にスコットランド政府系団体の主催で始まり、各国から高校生が実際に開催地まで渡航し、優勝チームの所属国が翌年の世界大会を主催して実施していたが、スコットランドの担当者の引退後、オーストラリアのNPOの主催によるオンライン開催となり、その後その団体の責任者の急逝にともない日本のアントレプレナーシップ開発センターが2017年から主催するに至っている。なお、各国代表を選出する今の国内予選の仕組みをつくったのもこのNPOだ。
 私は数年前に、インドネシアでこのアントレプレナーシップ開発センターが手掛ける別の国際交流プロジェクトを視察したご縁から、2021年にGYECの審査委員の依頼を受けた。審査委員に女性を増やしたいというのも私に依頼が来た理由の一つだった。日本でようやくエンジンがかかり始めている女性活躍の文脈でも、審査委員のように意見が影響をもつ役割を女性がどんどん積極的に引き受けるのがよいわけだから、その役を微力ながら担えるならばと有難くお受けした。
 審査委員になってみると、生徒たちの提出物のレベルの高さに驚いた。日本人の高校生は、所詮英語ができないだろうとの先入観は見事に打ち砕かれた。参加者たちは複雑な英語を使いこなして堂々とビジネスプランを書き、見ごたえのあるプレゼン動画を作っていた。日本人も多様であり、能力のある若い人はいるところにはいるものだ。コンペというかたが、生徒のやる気を自然と引き出していることも発見だった。


サンウェイグループのプール付き遊園地サンウェイ・ラグーン。都心にも近い立地に年中夏を活かした施設。人工砂浜プールの背後に居住用高層マンション、右奥にサンウェイ大学が隣接している。(著者撮影)

ロックダウンから生まれたチーム

 コロナ禍でロックダウンが続いていた2021年。アントレプレナーシップ開発センター理事長の原田紀久子さんから、今度はこの大会のマレーシア予選をやってみませんか、とお声がけをいただいた。大変そうとは思ったが、ロックダウンであまり活動ができないもどかしさを抱えている時期だったので好奇心の方が上回った。
 マレーシアで国内予選を開催する意味を、こう考えた。マレーシアは国語であるマレー語に加えて、英語が準標準語として日常の中でも使われている。また授業をすべて英語で行うインターナショナルスクールも多く、日本でいう子どもを私立校に通わせるような感覚でインター校に通わせる保護者も多いため、英語でのコンペには反響が期待できる。入賞したら世界大会にマレーシア代表チームとして参加できるという名誉もある。学びに価値を感じてもらいたいので賞金は置かないことにしよう(世界大会参加料は協賛金により免除されるので実質的なメリットはある)。私立校は学校の業績として広報できるし、生徒たちは大学入試の際に自己アピールの材料になる。さらに、調べる中でわかったのが、公立校にとっては、この企画が教育省の後援を得ていれば参加する先生たちは公式の課外活動に参加したことになり人事評価でプラスになるという。
 そこで、数年来の知人の中華系マレーシア人で大学教員のHに声をかけた。高校生向けのビジネスアイディアコンペは、ありそうでなかったから良さそうだという。彼女の幼なじみで教育関連プロジェクトを多々手がけているWも巻き込んでくれた。この女性3人チームで自宅のそばの安くて美味しい韓国焼肉屋に集まって決起集会を開いた。加えて、実行委員に実際の起業家が入った方が良いと考え、私とHの共通の友人で起業家のマレー系マレーシア人男性のAも加わって、私たちは4人チームとなった。ちょうどこの頃はロックダウンが長引き、プロフェッショナルたちが手持無沙汰にステイホーム(在宅)している時期だった。そしておそらく世界中や日本とも似て、マレーシアでも社会のために何かしたいという貢献意識も高まっていたと思う。


クアラルンプールの中心にあるランドマーク、452メートルの高さのペトロナスツインタワーから見下ろすオフィス街。街の整備・発展が続けられている。(著者撮影)

駆け出しの面白さと

 1年目の開催は、すべてが手探りで、募集告知、教育省の許可取得、ウェブサイト開設、ソーシャルメディア開設、事前オンラインワークショップのスピーカー依頼、審査基準の確認、審査委員の依頼、審査委員へ採点表の配布、集計、結果発表……と列挙するだけでも事務局のやることはたくさんあった。たとえば、採点表は世界大会のものをそのまま使えるかと思ったが、マレーシア人の実行委員から、「採点表が細かすぎる」「審査委員が分かりやすい英語の表記に変えるべきだ」など細かい改善点がどんどん出てきて、収集がつかなくなりそうな局面もあった。
 チームにダイバーシティがあるということは、つまり常識や前提が違うということだ。そもそも前提が違うことに気づいていない状態から始まり、徐々に違いに気づき、妥協点を探し、できる限り歩み寄る。その繰り返しだ。結果的に、初年度は、42チーム221人の高校生が参加し、実施しきることができた。携帯電話会社の協賛も得て、入賞チームの世界大会参加料をスポンサーしていただくこともできた。

 「It was a steep learning curve.(すごい傾斜の学習曲線だったよ)」

とは、初年度実行委員長を務めてくれたHが終わったあとにつぶやいた感想だ。新しいことに実行委員や関係者が一緒にチャレンジしてくれたことは本当に貴重で有難いことだった。
 2年目をはじめるにあたり、留学事業に携わる日系企業の代表Sさんが共感してくださり、協力団体に入るとともに学生との懸け橋役を担ってくださったおかげで、大学生インターン6名を迎え、活動の一部分を担ってもらう形にした。学生インターンの頑張りで、企業協賛は5社に増え、参加人数も375人に拡大した。2023年2月に開催し、私は個人的には3月の第3子出産と並行してなんとか開催した。
 そして、満を持した3年目。冒頭の通り、サンウェイ大学の日本人留学生たちに声をかけると、4人の学生が参加を決めてくれた。実行委員たちもうまく省力化しながら続けようと引き受けてくれた。マレーシア人実行委員で起業家のAが、得意なITを使った業務効率化を実施してくれた。また学生インターンが前年の基盤の上にさらに活動を積み上げてくれ、日系企業を中心に6社(Bona Trust CorporationMARS FLAG CorporationFUJIFILM (Malaysia) Sdn BhdGenki Labs Pte LtdMFBBCC Retail Mall Sdn BhdBig Little Monster)と1個人が協賛してくださった。特に創業社長の方々が、「自分も起業家として頑張ってきたので次世代を育てる企画を応援しますよ」と言ってくださったのは共感の輪が広がることを実感でき有難かった。参加学生も426人にまで拡大した。次年度以降もぜひ日系企業の皆さまには、次世代のアントレプレナーシップを手助けするこの企画を協賛という形で続けて応援していただきたい。


2024年2月中華正月を祝うライオンダンス(獅子舞)が商店に賑わいをもたらす。マレーシア華人の文化の中には商売繁盛と、スモールビジネスを勢いよく応援することが組み込まれているように見える。本来中華系の祭りだが国民の祝日のため国中でお祝いする。(著者撮影)

英語とアントレプレナーシップは不可欠のスキルに

 日本貿易振興機構(JETRO)のレポートによれば、マレーシアのスタートアップをめぐる環境は2023年のグローバルスタートアップランキングで世界第43位で、過去5年間でも40~48位で推移しており、可能性を活かし切れていないという評価だ。レポートに載っているだけでも13の大学で起業支援の取り組みがあるが、ポテンシャルを活かし切れていないという。マレーシアの大学生には学習偏重、打たれ弱い、実務知識不足が、政府には役割が重複し許認可を取るための手間が多いこと、また市場には「メイド・イン・マレーシア」製品やサービスへの信頼が低いといった点が課題として指摘されている4。アジア域内ではシンガポールが世界6位で域内で最も高く、日本は18位だ。高校生だとなおさら学業以外の課外活動は限られている状況のため、このGYECのような実社会との接点につながる企画は今後益々求められている。
 アントレプレナーシップやリーダーシップは、かっこよくもてはやされている風潮があるが、実際は責任が重く、辛いことは多いし、誰かから褒められる場面は少ない。他人から褒められることを目指すのではなく、自分が強烈に信じることを実行し、成功につなげる。この過程を楽しんで継続できるかが肝だろう。人生100年時代に、自分を軸に生きていくにはアントレプレナーシップはすでに必要不可欠の当たり前のスキルだとも言える。この企画自体がアントレプレナー的な試みだ。
 この3年間で発見したことは、協働することで仲間になること。大変な時にはセルフケアを大事にするマレーシアのカルチャー。そして小さく始めて様子を見ながら、少しずつ前進させるという方法だ。大変な局面も多々あるが、やっぱりやってよかったと最後には関係した人みなが笑える、そんなプロジェクトとして続けてゆきたい。

注1:Jeffrey Cheah
https://en.wikipedia.org/wiki/Jeffrey_Cheah

Board of Trustees, Jeffrey Cheah Foundation
https://jeffreycheah.foundation/board-of-trustees/ 

注2:GYEC Malaysia
https://gyecmalaysia.org/

注3: https://entreplanet.org/

注4:「大学等を中心としたマレーシアのスタートアップ・エコシステムと活躍する若手起業家」日本貿易振興機構(JETRO)クアラルンプール事務所イノベーション部 2024年1月
https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/02/2024/eaab1037a929ad6e/202401r.pdf
Startup Ecosystem of Japan, Startup Blink
https://www.startupblink.com/startup-ecosystem/tokyo

 

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著者略歴

  1. 後藤愛(ごとう・あい)

    1980年生まれ。一橋大学法学部(国際関係論専攻)を卒業後、2003年独立行政法人国際交流基金に入職。2008年フルブライト奨学生としてハーバード大学教育大学院教育学修士号(Ed.M。国際教育政策専攻)取得。2012年から2017年同基金ジャカルタ日本文化センター(インドネシア)に駐在し、東南アジア域内と日本との文化交流事業に携わる。2021年同基金を退職し、現在マレーシアでCHANGEマイクログラント(https://changemicrogrant.org/)活動に携わる。家族は夫と子ども3人。

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