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「越境する日本人 ~海外移住する日本人から読み解く、生き方・働き方・育て方~」後藤愛

第14回 初代の気概でマレーシアへ

マレーシアへ

 2020年、コロナ禍で商売がストップし、新規開拓の商談のための外出もままならなかった。2020年11月、JayaGrocer、VillageGrocer、BIGといった大手スーパーで日本から輸出した豆製菓の販売を開始。ここからハラル製品を軸にしようと模索し始める。
 「商品を売るか、自分を売るかという発想です」。「yoshito_japan」のアカウント名でインスタグラムの情報発信を始めた。20255月時点で84700人のフォロワーがいる。
 「ハラル食品を探しているムスリムが安心して食べられる日本食」を発信の柱にし、日本食の選び方などの教育的コンテンツにも力を入れて、地道にフォロワー数を伸ばしてきた。幹人さんはマレー語も勉強して習得し、インスタ動画では流暢なマレー語を披露している。日本食を食べたいが、ハラルの観点から安心して食べていいものか悩んでいる多くのムスリムの悩みに答えている。

有馬さんのインスタグラム。日本やマレーシアで入手できるハラル食品について解説動画など情報発信に力を入れている。
https://www.instagram.com/yoshito_japan/

「ソーシャルメディアは、出会う入り口」

 「ソーシャルメディアは、お客さんと出会う入り口と思っているんです。ハラル×日本という掛け算で、独自の存在になってきてるのではないでしょうか」。
 最近、他社のインスタグラムの運営も頼まれるようになった。また、日本の名古屋大学卒で日本語が堪能なマレー系マレーシア人のアイスクリーム製造会社のマーケティングを手伝っている。日本の美味しいアイスクリームの味を再現し、マレーシアに伝えたいという思いに共感して、ハラル認証も取ってマレーシア国内で販売している。
 さらに、日本から、豆腐屋や、お茶屋など様々な食品関連企業のマレーシア進出の相談も受け、その手助けにも邁進している。
 「商売の数字だけでいえば、日本国内で販売する仕事の方が、楽に売り上げを立てることができると思います。すでに市場があり、売り方もわかるからです。例えばお菓子の商品で1000万円の売り上げはすぐに立てられますし、そこから5000万円に伸ばすこともイメージできます」。
 マレーシアも可処分所得が伸びているとはいえ、仕事全般にとにかく手間と時間がかかる。業界マッピングをして、資料を作り、取引相手に説明するなどの工夫を惜しまず、新たなビジネスを一つずつ育てている。
 例えば、アイスクリームは日本の味に触発されたことと高級感を出すために、マレーシア産ながらパッケージにあえて日本語を入れる工夫を凝らしている。パッケージは商品の良さを消費者に伝える要だから、間違った日本語を載せないように神経を使っている。
 一緒に商品を企画し、売価を決めることを手伝っている。出口を先に決めて、どこでいくらで何個売れるのかを考えて見つけてから、逆算して商品の製造を行う。
 「日本でもマレーシアでも、商売の基本は同じです。問屋さんが売りたくなる商品かどうか。レストランに卸売りできる商品かどうか。商品を作る前に、誰がどのような価格なら買うのかを必ず先に考えます。例えば、あるレストランでアイスクリームをコースメニューのデザートに扱ってくれると、定期的に使われますし、扱う店数が拡大すれば安定してゆきます」。そのような売り方も考えられるのが、現地にいる有馬さんならではの強みだ。
 自社で手助けしている食品関連企業同士のコラボ企画なども考えている。現地生産でコストを抑えるなどの工夫を凝らしながら、商売の改善に余念がない。

なぜマレーシアか?

 では、なぜ世界中に幾多の国がある中で、マレーシアを選んだのだろうか。
 「東南アジアがいいと思いました。アジアに暮らすムスリムの友達が留学時代からいて、彼らと何らかの橋渡しをできるのではないかと思いました」。
 アジアでも香港シンガポールは物価や生活費やコスト全般が高い。インドネシアも意外と物価が高い。マレーシアは面白い選択肢だと思った。英語が通じるという点でシンガポールにも劣らないビジネスと生活のしやすさがあった。2019年5月の連休にマレーシア視察に来て移住を決意し、年末に家族で移住した。
 マレーシアに実際来てみて、花粉が飛んでないので花粉症には便利。そして熱帯とはいえ最高気温はたいてい31度前後で、日本の夏の方が暑いくらいだ。
 一方で、要注意な点もある。「商売をする際に支払関係のリスクは、やはり日本より高いと感じます。支払期限までにきちっと支払ってゆくという商習慣が総じて緩いです。取引相手を見極め、用心すること。しっかり催促すること。間に信頼できる問屋を挟むこと。そういった対策が必要です」と、いいことづくめではない側面も教えてくれた。
 「こちらに実際住んでみて見えてくる商習慣や、人々の趣向、必要とされるビジネスノウハウ、コミュニケーションのコツなどがあり、住んでいるからこそわかることを積み上げてきたと自負しています」と、地元を知るからこその強みを力説した。

浅草でインバウンド観光客向けのハラルお土産屋さんを開業

2024年、浅草に開業したハラル専門お土産屋の店内。ハラル認証を受けた商品が所狭しと並べられている。

 加えて新たな業態として、2024年5月に浅草でハラル専門のお土産屋を開業した。知人と3人で共同創業し共同経営している。日本にいるパートナー2人が店舗運営を担当し、有馬さんはSNSやマーケティングなどCMO(最高マーケティング責任者)のような立場で参画している。
 「インスタグラムの告知で日本在住ムスリムの人たちを店舗アルバイトとして採用もできました。お祈り部屋も併設することで、浅草観光のついでに、お祈りとお土産買い出しに来てもらっています。いま一番の売れ筋は、着物生地製のヒジャブで、1-2万円の高めの価格帯のものがよく売れて、お土産用に一人で何枚も買っていく人も多いです。東南アジアからのインバウンド客が多いです」。限られた日本滞在の日数の中でいいものを見つければ、お金に糸目をつけずまとめ買いしてくれるのだという。
 「一方の日本は高齢化、重課税化がこれからも続き、これは避けられないでしょう。ただ日本は市場規模が大きく、人々が製菓に限らず様々なものに割ける可処分所得がまだまだ十分にあるといった市場のよさは現時点ではあります」。
 「お店は、実際『闘い』そのものです。とにかくスピード感重視でやってます。おかげさまで初月から黒字で繁盛しています。インスタがいい宣伝になっています。インスタとGoogle Mapを見て来てくれるお客さんが多いようです」。ライバル店との競争や、日々の運営の小回りの必要さを教えてくれた。
 東南アジアのムスリムの可処分所得の増加、円安による日本へのインバウンド観光熱、そしてハラル食品を安心して買い物できる場所がほしいというニーズをつかんだまさにお客さんの痒いところに手の届くお店だ。
 しかもこのお店はマレーシアから遠隔でほぼ経営している。スマホとソーシャルメディアと通信速度が揃って瞬時のコミュニケーションが常時可能な現代ならではの商売といえる。

子育ての悩み

 ご家族で移住しているので、生活周りでの大変なことはないかと聞いてみた。目下の課題は、子どもたちの日本語力と、日本人としての立ち居振る舞いやアイデンティティをどのように伸ばしていけるかに親として頭を悩ませているという。
 「子どもの教育を考えると、どこかで日本に戻ることも視野に入れつつ、今はまだマレーシアで頑張ろうという考えです。アメリカやカナダなどに渡って現地の人になることを目指して国境を越えるような移民とは、違うものだと思います。例えばアメリカに渡る人には、グリーンカードを取る、アメリカ国籍を取ってアメリカ人になるといった選択肢もあるでしょう。マレーシアの場合はそういうものではないですね」。マレーシアは永住権や国籍が取りづらく、移住者の多くはあくまで母国を意識しながらの長期滞在という人が多い。
 「日本に戻ろうと思えば戻れる宙ぶらりんな暮らし方と言えるかもしれません。生き方、働き方も日本人的な考え方をベースにしていると思います」。「最近、妻もあわせて、二人ともレジデンスパス(10年間)が取れました。当分は、この2人体制と、あとはアルバイトや外注を組み合わせて、固定費は身軽なままでやっていくつもりです」。

迷いの連続を糧に、これから

 難しいことは何ですかとさらに聞くと、「はっきり言って、うまくいかないことが多いです。我慢する機会が増えました。待つ機会も増えました。粘り強くやるしかないです」。「商品や売り方を差別化して、ビジネス的には取引のうちコントロールできることをつくっていくことを意識しています。そうでないとライバルとの闘いに勝てないからです」。
 「『取引』でなく『お取り組み』と呼んでいます。つまり一過性ではなく、一緒に取り組んで一緒に前進できる相手と組みたいのです。その具体的な中身を企画して相手方に提案するのはビジネスパーソンとして必須のスキルと思っています」。
 以前、早期に事業の拡大を焦って失敗も経験したという。「石の上にも5年の気持ちで我慢を重ねていきます。人を見極める際は、時間やお金にルーズな人は要注意マークがつきます。そのうえで、じっくり見極めて、急がないことが大事です。これからマレーシアでビジネスを始めようとする人には、やってみなければわからないし失敗が多いと言っておきたいです」。
 高校時代からの目の前のチャンスに自然体で臨み、10年以上かけて少しずつ育んできた海外で一旗上げたいという内発的な動機づけが、有馬さんの一歩一歩を確実に下支えしている。
いま、家業から離れて独立した経営も視野に入れて、1代目の気概で独自のビジネスの種を蒔き、育てている。多様な価値観を受け入れる多民族国家のマレーシアで、ムスリムのニーズを汲み取りながら、少しずつ花開いている有馬さんのお仕事と家族の挑戦がこれからも楽しみだ。

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著者略歴

  1. 後藤愛(ごとう・あい)

    1980年生まれ。一橋大学法学部(国際関係論専攻)を卒業後、2003年独立行政法人国際交流基金に入職。2008年フルブライト奨学生としてハーバード大学教育大学院教育学修士号(Ed.M。国際教育政策専攻)取得。2012年から2017年同基金ジャカルタ日本文化センター(インドネシア)に駐在し、東南アジア域内と日本との文化交流事業に携わる。2021年同基金を退職し、現在マレーシアでCHANGEマイクログラント(https://changemicrogrant.org/)活動に携わる。家族は夫と子ども3人。

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