第18回 自己決定が自分を作る――マレーシア教育移住という選択
「世の中のためになるビジネス」を創る仕事
40代になってから、慶應義塾大学SFCの博士課程に進学。MBA取得以来、ビジネスの実務に携わってきた伊藤さんは大学における研究と教育活動に加えて、ソーシャルバリューインターナショナルというイギリス発祥のソーシャルインパクト評価手法の日本向け研修事業を自ら創業。実務と研究の両輪で活動する多忙な日々となった。当初は「社会的インパクト評価」の研修事業から始まった事業は、企業からコンサルティングの依頼が舞い込むようになり、特定非営利活動法人ソーシャルバリュージャパンとして法人化し、スタッフを雇用するようになった。
またこの時期、社会的投資は、世界的にビジネスや研究でのトピックとして注目を集めるようになり、日本の事例紹介等で海外の国際会議への登壇機会が増えていった。そのネットワークから、英国での国際会議で知り合ったロブ・ジョーン氏から、アジアにおける社会的投資家のネットワーク組織、AVPN(Asian Venture Philanthropy Network)の立ち上げの協力の依頼を受け、2012年から東アジア地域の統括として国際会議の開催や、企業や財団との共同研究事業に関わった。
「社会的事業の評価は、以前は行政や財団の関心が高かったのですが、2015年頃には企業におけるESG(環境、社会、企業統治)経営や、国連が提唱するSDGsに向けた取り組みが日本で盛り上がりを見せ、ソーシャルバリュージャパンの仕事も、当初は財団の助成金の評価などを手掛けていたものが、企業からのサステナビリティ評価の依頼が舞い込むようになりました。いい流れが来ていると感じました」
伊藤さんが頭の中で描いていたように、企業が「世の中のためになる取り組み」を本業の重要な一部として捉えるようになり、事業投資の対象として資金手当てをするようになったのだ。そうした取り組みを進めたい企業からも、ビジネスの実務経験と理論的背景を持つ研究経験の二刀流が一目置かれ、アドバイスを求められるようになっていた。

シンガポールのある港の風景。(著者撮影)
「自分のありたい形を自分で作る」ことが幸福につながる
活躍の場が右肩上がりに広がるなか、伊藤さんは同じ社会的インパクトの領域でプロフェッショナルとして活躍していたEさんと出会い、2018年に結婚、お子さんを授かった。子どもが2歳の時、保育園や幼稚園の選択から、どのような教育環境を子どもに与えるのかを考えるようになった。折しも、小学校受験、中学受験が加熱する世の中に、自分が中学受験、高校中退、大学から留学へと歩んできた道のりを振り返ると、とても同じ道を子どもに歩ませることが良いとは思えなかった。「確かに中学受験は、塾に集まる優秀な仲間と知的ゲームに取り組むような面白いところはありました。しかし、高校中退から感じてきた日本の公教育のあり方への大きな疑問を考えると、自分の子どもを同じように受験競争のレールに乗せてしまうのか、悩みました」。
モヤモヤを抱えながら選択肢を模索し行動するなか、あるコミュニティスクールの説明会で、”Most Likely Succeed”という米国のドキュメンタリー映画を鑑賞した。映画では、2000年に設立され、生徒が主体的に学ぶプロジェクト型学習を特徴とするカリフォルニア州サンディエゴにある公立高校のハイテク・ハイ(High Tech High)の様子が描かれる。公立校で授業料は無料。そこでは「子どもたちが大人になるころには、現存の80%の仕事はなくなるという前提のもとで、子どもたちが学びのあり方を自ら考え創り出せることに集中した教育活動を行っています」と語られる場面があった。「これだ、と衝撃を受けました。自分のありたい形を世の中の序列や既存の規範から選ぶのではなく、子ども自身が創り出せる人であってほしいと願っていたんです」。
大学での教え子の姿からも多くの感化を受けた。独創的でモチベーションが高く、知的好奇心旺盛な帰国子女の学生の一群が、国際的なインターナショナルスクールの連合組織、UWC(ユナイテッドワールドカレッジ)の加盟高校の出身者だった。UWCは世界18カ国に加盟校を持つ、インターナショナル・バカロレア(IB)プログラムの実践を先導してきた教育機関であり、IB教育について調べるうちにたどり着いたのが、クアラルンプールのインターナショナルスクールという選択肢だった。
インターナショナル・バカロレア(IB)の魅力
2022年、伊藤さん一家は、マレーシアへの教育移住を念頭に、旅行を兼ねて2回マレーシア現地を訪問。学校を訪ね、教員や保護者に話を聞いた。妻のEさん曰く、「インター校では、必ず『貴校の教育は、卒業生の人生にどのような価値を提供していますか』と同じ質問をしました。学校によっては、教育理念と実践をちゃんと説明するところもあり、一方で、『今年度の進学実績は……で、トップXXの大学に進学しています』という残念な答えが返ってくるところもありました。もちろん最終的な進学実績も重要ではありますが、学校の考え方を代表する校長が、既存の序列の中で子どもの教育の価値を位置づけるような場では、私たちにとっては意味がないと痛感させられました」。
伊藤さん夫妻が選んだインターナショナル・バカロレア(IB)の教育方法には、問いを持ち、他者と協働し、自分の頭で考え、自分の言葉で語るという学習が徹底されていた。あるIB校の教頭は、このように説明した。「たとえば、歴史の授業では、何年にどの国王が戴冠したなど年代を暗記することもありますが、IBの歴史教育ではそうではなく、王政(Monarchy)とは何か、どのような統治体制や社会だったかを調べて構造的に理解します」「体育の水泳の授業でも、まず飛び込んで自己流に動いて泳いでみなさいとまずさせるんです。もし自己流でやってみて、うまく浮かべない、速く泳げないという場合には、『水泳には異なる泳ぎ方があり、効率的なフォームもあります。それを学びたいですか』と教員が尋ね、生徒の学びたい意欲が高まったところで、初めてクロールのフォームを教えます。面倒なプロセスですが、これをまずやってみて、子どもたちが学びの動機を得るのです」。伊藤さん夫妻は、学びの動機とプロセスを重視するIBの教育アプローチに魅力を感じるようになった。
移住して2年半が経過して、伊藤さん夫妻は子どもの学校生活についてこのように語る。「IBという革新的な教育アプローチに賭けようという点で一致している保護者コミュニティがとても良いこともありがたいです。『自分たちが経験したことのない教育を子どもに受けさせるのは勇気がいるね』と言いながら、時代の先をゆく教育を模索する熱心な保護者が、たくさんいるんです」。
自らも新しい教育のあり方を学んでアップデートし、自分が違和感を感じたかつての教育とは異なる道を進んでいる。伊藤さん夫妻は、現在お子さんが通うインター校に日本語教育の課外活動を提案するなど、中長期的にコミットできる教育環境の実現に向けて、学校コミュニティへの貢献にも熱心に取り組んでいる。

娘さんの教育を突き詰めて考えてマレーシアを選んだ。娘さんと過ごす時間が増えたのも嬉しい変化だ。(写真は伊藤さん提供)
マレーシアの良さ、多様性と協調の視点を育む
「仕事で関わった、シンガポール拠点のAVPNでは、インド人や中国人、シンガポール人や欧米人と膝詰めの議論をして、一緒に働くダイナミックな経験をしました。マレーシアでの経験は、アジア各国にルーツのある様々な人たちと、いいことだけでなく嫌なことや面倒なことも含めて隣人として一緒に経験できるのが面白いと感じます」
「マレーシアで高校を卒業して日本の大学に進学した卒業生が、日本の大学の帰国子女コミュニティについてこう語りました。『アメリカは多様な社会のはずなのに、アメリカからの帰国子女には“ムスリムは怖いテロリストだ”とステレオタイプを持っている人がいるんです。マレーシア育ちの自分は、ムスリムのほとんどは平和で友好的な人だという実態を直接知っている』。多様な社会で育つということと、多様性を尊重できるかは別問題なんです。そのような意味で、マレーシアで、欧米とは違った多様性の観点を身に付けられればよいと期待しています」
海外を視野に入れてから良かったこととして、パートナーシップが深まったとも教えてくれた。「日本で保育園、幼稚園選びをした時から、ひたすら話し合いを重ねてきました。海外を視野に入れ、特にインター校選びは子どもの教育を切り口に、夫婦の価値観のすり合わせをするいい機会で、結果としてパートナーシップが深まったと思います」。
自分たちが育つなかで無意識に蓄積してきた常識を、言葉にして自覚し、それをパートナーと共有しあい、新しい教育方針や、自分たちの生き方、働き方を意識的に構築してゆく。時には摩擦とも向き合いながら、自分を変えることを恐れない姿勢が透けて見える。
教育移住は、自分への越境の挑戦でもある
「コロナ禍以降、リモートワークも増え、フリーランスや起業など、働き方の選択肢が増えました。僕の周りは優秀な人ばかりで、実力的にやれば自分でできる人が沢山いるけれど、組織の仕事を離れたことがなく、『独立するなんてリスクが高い』と端から決めてかかっている人が多いように感じて残念に思うことがあります」。「マレーシアでは人と違うことが当たり前。自分と他者の違いを感じながら、自らの立ち位置を作り続ける鍛錬を毎日しているようなもので、教育環境としても多くを学ぶことができると思います」。
自分と異なる他者との出会いが訓練になる日々は、さぞ刺激的なのだろうと思ったが、実はそこには越境の次なる悩みが垣間見えた。
「日本の仕事を続け、行き来する生活のため、マレーシアで出会う各国の人とは保護者としての付き合いが多く、仕事でがっつり協働するのとは異なり、時に表面的と感じることもあります。もっと入り込みたいんです。現地の人の暮らしぶりや価値観や歴史を学び、そこにリスペクトを持ち、自分の価値観をもっとアップデートしてゆきたい」。「日本で、外国人駐在員が日本語や文化を良く知らず、もどかしく感じることがありましたが、自分が今そのような現地をよく知らない不遜な外国人としてマレーシアに滞在してしまっていないか自問しています。もっと深い関わり合いを作るのはこれからです」。10代から自らの意思で越境を繰り返してきた伊藤さんは、まだまだ意欲的だ。
「普通」がない世界で「自分の生き方」を決める
「ある種確立された序列があり、様々な規範が揺るがなく定まっている日本は、教育についても教育を国任せ、学校任せにできてしまいます。マレーシアにいると、多種多様なインター校がありますし、その中で、子どもの教育の方針は、基本的に家庭が決めるという認識があると思います。『普通』が存在しない、多様な社会だからこそ、各自が決めて、その結果の責任も取る形になります。マレーシアは、自分で自分の人生を決めたい人にとっては良い環境ですが、自由と責任の重さは、全員が耐えられるものでもなく、選択と責任を引き受けるのが重荷だと感じる人にとっては厳しいかもしれません。自分で決めようとする人、その結果の責任を負える気概が求められると感じています」。多様な選択があり、可能性がある。それでもその可能性を追求する面白さや、新しい生き方のために行動するかどうかは、結局のところ個々人の選択になる。
お子さんのお迎えだからとご夫婦で楽しそうに席を立つ姿に、二人三脚でマレーシアの暮らしも、日本とのお仕事も、納得して満喫している様子が伝わってきた。日本で積み重ねた実績もありながら、それでも心の中の疑問の声に耳を傾け、夫婦で現実的な視察や算段を経て、今の生き方を選んだ伊藤さん。線路を外れた先には、「普通はないことが当たり前」の世界が広がっており、選んだ先を正解にしてゆく生き方をこれからも歩んでいくに違いない。
了



