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福島祥行+國枝孝弘「ヨシとクニーのかっ飛ばし仏語放談」

第47回 ヨシとクニーのCoup de coeur 2019

『未来のアラブ人』と父の姿

クニー:おまた~!

ヨシ:わわわ、あの超インドア派のクニーが、大阪に自転車で来るやて!? しかもドロップハンドル、10段変速!

クニー:岐阜の実家の物置小屋で見つけてね、それで大阪まで漕いできたってわけ。あ、滋賀県で一泊したけどね。

ヨシ:そういうたら、クニーの実家は自転車屋さんやったな!

クニー:そそ! 単に売るだけでじゃなくって、実際に父親が家で自転車を作ってたからね。これはそのお手製自転車。

ヨシ:でもよう岐阜から漕いできたな~。

クニー:だって、今回は恒例企画「今年のぼくらのイチオシ!」でしょ。

ヨシ:せやけど……。なんで自転車?

クニー:それは、僕のイチオシがリアド・サトゥフ『未来のアラブ人』Les Arabes du futur(鵜野孝紀訳、花伝社)だから。

ヨシ:フランスでベストセラーになったバンド・デシネやな。作者サトゥフのお父さんはシリア人でフランスへ留学。そこでフランス人女性と知り合い結婚して作者が生まれた。博士の学位を取ったお父さんは、リビア、そしてシリアで職を見つけんねんけど、その現地の生活を子どもの目で活写したのがこの漫画や。で、なんで自転車?

クニー:それはね、確かにこの漫画は、1980年前後のその二国の体制や人々の暮らしぶりを伝えてくれる作品だけれども、僕が惹かれたのは子どもの目から描いたお父さんの姿なんだ。それでちょっと自分の父親を思い出してね。

ヨシ:ほんで、お父さんの自転車に乗ってきたと。たいしたやっちゃ。

クニー:サトゥフのお父さんは、宗教は「無知蒙昧」をもたらすと考えているんだけど、じゃあ宗教に批判的なのかと思うとそうとは言い切れない。ある時お母さんがサトゥフ少年にジョルジュ・ブラッサンスを「フランスじゃ神扱いよ」と話していると、「人間を神と呼んではいかん」と血相を変えて言い出したりする。

ヨシ:確かに「信心深いわけじゃないと言いつつ、スンニ派だけは信じられる」いう説明もあったな。

クニー:「黒人」や「ユダヤ人」に対するちょっと侮蔑的な認識や、「シリアにはソ連がついている」という単純な考えなど、ちょっと首肯しかねることも描かれている。それを批判することはやさしい。でも、正義を振りかざして良いか悪いかを判断するだけだったら、人の気持ちの深いところは決して理解できない。

ヨシ:読んどって伝わってくるんは、70年代を生きてきたお父さんの複雑な境遇であり、それを細やかに観察してる息子の父へのまなざしなんやね。

クニー:息子から見れば父親とは、偏屈に見えるものだよ。でもそれを受け止めているところが息子の父親への愛情なんだと思う。

ヨシ:偏屈な父を子が描く漫画いうたら、アート・スピーゲルマン『マウス』(晶文社)にも共通するで。この漫画はやな……。

クニー:ヨシ、フランスの話題から離れちゃうよ。

ヨシ:おっと。しゃあない! 口チャック! で今回のテーマは何やったっけ?

クニー:2019年のぼくらのイチオシ、Coup de coeur です!

ヨシ:coup de coeur は、ここでは「おすすめ」って意味。ほな、続き、いってみよー!

バンド・デシネのイチオシ

クニー:おすすめしたいのは、やはりバンド・デシネの作品だけど、カトリーヌ・カストロ原作、カンタン・ズゥティオン作画『ナタンと呼んで』Appelez-moiNathan(原正人訳、花伝社)。身体は女性だけれど、意識は男性。思春期にその違和感に気づいたリラが、家族や友人との衝突や、性の戸惑いを体験しながら、やがて性適合手術を受け、ナタンとして大学生活を迎えるまでを描いている。

ヨシ:家族が葛藤しながらも、最終的には主人公を受け入れるプロセスが特にエエと思うで。性は「自認」でもあるんやけど、その本人をまわりが認めてくれる、造語になってまうけど「他認」いうのんも、実はめっちゃ大切やと思うねん。

クニー:性はプライベートな問題であると同時に社会的な問題、つまり社会で議論すべき問題でもあるよね。

ヨシ:もう一冊バンド・デシネのおすすめを。カトリーヌ・ムリス『わたしが「軽さ」を取り戻すまで』La Légèreté。こちらも花伝社で訳者は大西愛子さん。

クニー:カトリーヌ・ムリスは、シャルリ・エブドに挿絵を描いていた漫画家だね。2015年1月7日シャルリ・エブド襲撃事件が起きたときは、たまたま編集会議に出席していなくて、難を逃れた。

ヨシ:無事やったとはいえ、精神的な傷は大きく、それは癒えることがあれへんかった。このバンド・デシネは、事件の前日から、事件後の自分の姿、気持ちを自分自身で見つめ直すように描いてはる。

クニー:事件からほぼ1年して、イタリアを訪れ、芸術作品=美に接することで、回復の予兆を感じるところで話は終わっている。でもそれは完全な回復なのかな、って思う。というかそもそも「完全な回復」はあるんだろうか。

ヨシ:確かに。« légèreté » いう単語自体、いろんな意味が込められてるんちゃうかな。軽さは文字どおり軽やかさでもあるけど、軽い分だけ、はかなさや移ろいやすさも含まれてる。決して安定することがあれへんていうかな…。

クニー: その不安の概念は、Philippe Lançon, Le Lambeau(Gallimard, 2018未訳)にも見出すことができると思う。ランソンは事件当日の会議に出席していて、銃弾で顎を打ち砕かれるも生き延びたジャーナリスト。事件前日からその後の入院、繰り返される手術の日々を500ページにわたって書いている。ジャンル分けの難しい作品で、記録、観察、内面の吐露など、さまざまな要素で構成され、自伝的であると同時に、とても詩的で小説的でもある。

ヨシ:でもこの作品は「小説やない」いう理由でゴンクール賞にノミネートされへんで論議を呼んだりもした。クニーが言うように、ひとつのジャンルに特定でけへんけど、すぐれた文学作品やと思う。実際フェミナ賞を受けとるしな。

クニー:作品中にこんな問いかけがある。« Comment passe-t- on de survivant à vivant ? »「 どのように人は生き残りから生者に移るのか?」。「生者」は事件前の自分。「生き残り」は多くの仲間を亡くした今現在の自分。では生き残りの自分は再び「生者」へと戻れるだろうか。そんな問いをランソンは自分に投げかけている。そして答えは「完全に元に戻ることはない」ということだと思う。強い喪失の体験をなかったことにはできない。

ヨシ:その意味でムリスも同じやねんな。訳者の大西さんも解説で「彼女は現在でも、事件から立ち直っていないと言う」と、彼女の心境を伝えてはる。

クニー:出来事を過去にしない。その体験者の声を伝え続けるのも文学の役割だと思うよ。

翻訳の完結

ヨシ:体験者の声いうたら、2019年2月に堀越孝一先生の『パリの住人の日記』(八坂書房)第3巻の翻訳が出た。1405年から1449年までの「パリの住人」の日記で、誰かはわからへんねんけど、当時の社会、事件、日々の出来事を体験として綴った貴重な記録資料や。

クニー:残念なのは、堀越先生が18年9月に亡くなったため、1435年以降は未訳、未収になってしまったことだね。

ヨシ:とにかくこの本は内容も貴重やけど、なんと言うたかて、堀越先生の注釈文がいちいちオモロイ。

クニー:写本である以上、書写の正確さが問題になるし、中世フランス語なので綴り方も統一されていない。それを復元して、意味を定めるのは大変だけど、堀越先生はそれを楽しんでなさっている。ときに「じつはよく分からない」と白状もしたりしてる。翻訳の喜びと苦心が膨大な量の注釈文から伝わってくるんだ。

ヨシ:完結いうたら吉川一義訳の『失われた時を求めて』(岩波文庫)の最終巻がついに出たで。翻訳の依頼を受けてから20年、訳出にとりかかって10数年、そして全巻の刊行に10年かかったと、あとがきで言うてはる。

クニー:高遠弘美訳(光文社古典新訳文庫)は現在第6巻まで。ぼく、高遠先生のファンなので早く全巻を読みたい!

ヨシ:『失われた時を求めて』が何種類もの翻訳で読み比べできるなんて、ほんま至福の体験や…!

クニー:そしてこの放談にもそろそろ完結の時が…。

ヨシ:ええ! うそー!?

クニー:詳細は来月を待て!

◇初出=『ふらんす』2020年2月号

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著者略歴

  1. 福島祥行(ふくしま・よしゆき)

    大阪市立大学教授。仏言語学・相互行為論・言語学習。著書『キクタンフランス語会話』

  2. 國枝孝弘(くにえだ・たかひろ)

    慶應義塾大学教授。仏語教育・仏文学。著書『基礎徹底マスター!フランス語ドリル』

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