AIはフランス語で考えているのか?

正統なフランス語を守るアカデミー・フランセーズがあるフランス学士院
ほんの数年前まで、生成AIにどこか懐疑的だったフランス人たちも、勉強や仕事の下調べをしてもらったり、メールの内容を整えてもらったり、おすすめのレストランを教えてもらったりと、今では日常的に使うようになった気がします。「そんなものに頼らない」と言っていた友人が、最近では「ChatGPTに聞いてみたんだけど」と、当たり前のように話しているのを聞き、フランスでも、つくづく日々の生活の一部になりつつあるのだと感じました。
先日、「AIはフランス語で考えているのか」と問う記事を読んで、面白いなと思いました。現在のChatGPTのような言語系AIは、膨大なテキストデータを学習して作られていて、その多くは英語圏の情報だと言われています。そのため、たとえフランス語で質問をしても、返ってくる答えの論理や価値観が英語圏的なものになり、AIを使い続けることによって、フランス人の考え方も英語的、ひいてはアメリカ的になっていくのではないか、という懸念がある、というのがその記事の内容でした。
フランスでは特に、「言語は単なる道具ではない」という感覚が昔から強くあるような気がします。言葉は、その国の歴史や文化、人々の感覚や考え方を反映しているものだからこそ、「フランス語で質問しているのに、思考の型が英語化していく」という不安は、単なる翻訳精度の話では終わりません。フランス文化省も現在、「Culture et IA」という取り組みの中で、AIを文化政策の問題として扱っています。そこでは、画像生成や音楽制作など創作全般も議論されていますが、同時に言語や文化的多様性が大きなテーマになっています。
そう考えると、去年フランスで話題になった「ChatGPTにBonjourやMerciを言うべきか」という問題には、まだある種の、のどかさがあったように感じます。また、そういった挨拶を入力することでトークンが増え、エネルギー消費も増えるという、エコロジー視点の問題提起もすでにその当時生まれていました。
そして2026年の今、フランスでのAI論争は、フランス語や文化をどう守っていくのか?というより大きな問いに変わってきています。フランスという国やフランス語を話す人々のロジックや考え方、そして価値観までをも、AIが変えてしまうかもしれないという懸念が、今後どんな方向に進んでいくのか、これからも気をつけて見ていきたいと思います。



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