『ふらんす』が誕生した100年前のパリはどんな感じ?
私が買った1991〜1993年の『ふらんす』。今も続いている対訳シナリオは映画好きの私が最初に開くページだった。
フランス語学習とフランス語圏文化に関する日本で唯一の総合月刊誌『ふらんす』は、今年でなんと100周年を迎えました。創刊当時は『ラ・スムーズ(種蒔く女)』という名前で、その3年後に『ふらんす』と改名されました。個人的な思い出話になりますが、前回の一時帰国時に昔の荷物の整理をしていたら、高校から大学時代にかけて買っていた90年代初頭の『ふらんす』が何冊も出てきました。フランス文化に惹かれて読みふけっていたそんな雑誌に、今こうして連載させていただけているなんて、夢のようです。
『ふらんす』が誕生した1925年は、日本では昭和が始まる前年の大正14年にあたりますが、パリではどのようなことがあったのか、当時について少し調べてみました。1918年に第一次世界大戦が終わり、1939年に第二次大戦に突入するまでの20年ほどの期間は、Les Années folles(狂乱の時代)と呼ばれ、特に文化の面において、今までになかった新しいものが次々と生まれた濃厚で独特な時代でした。1925年における最も重要なイベントは、4月から10月までパリで開催された国際装飾芸術・産業博覧会でした。この博覧会により、それまで主流だったアール・ヌーヴォーに変わり、よりモダンで洗練されたアール・デコ様式が広まり、建築やインテリア、ファッションなど、デザインはもちろん、クロムやガラスといったシャープな素材使いにいたるまで、多大な影響を与えました。同年に開通したメトロ10号線のマビヨン駅の入口には、METROと略語が書かれたヴァル・ドーヌの枝付き燭台が立っており、こちらもギマール時代のものとは異なるアール・デコ様式です。
ファッションはフラッパーと呼ばれるスタイルが誕生し、女性はフリルやドレープのない直線的なシルエットの膝丈ワンピースを好み、ヘアもボブカットで自由でアクティブな、ある意味男性的な要素を取り入れたものが流行しました。ジャズがフランスに定着したのもこの頃。ウッディ・アレン監督作の『ミッドナイト・イン・パリ』で描かれたように、ヘミングウェイやフィッツジェラルド、ジョセフィン・ベーカー、ピカソ、ダリ、マン・レイ、ルイス・ブニュエルといった各国の芸術家たちがパリに集い、その交流の中で様々な作品が生み出された時代でもありました。そんな時代にタイムスリップしてみたい気持ちになります。