日仏修好通商条約160周年
「日仏修好通商条約」(1858年調印)が今年で160周年を迎え、日仏で様々な行事が展開中だ。7月には安倍首相が訪仏し、マクロン大統領と正式に開会式を行う。日本では元来、「安政の5カ国条約」と呼ばれ、フランス以外に米国、英国、オランダ、ロシアとも調印した。
それが、なぜ、日仏だけが特別に華々しい式典を行うのか。2008年にも150周年が日仏両国で盛大に祝われたが、その2年前に、「150周年の式典」を提案したのは、シラク大統領(当時)だった。日本政府は約250年間の鎖国に終止符を打ち、開国への第一歩となるこの重要な歴史的条約を、完全に失念していたため、大慌てで準備をしたのが実情だ。
この条約の原本は関東大震災(1923年)の火災で日仏、日米、日英の3か国の条約書は蒸し焼き状態になり、その他の条約書も焼失した。一方、仏外務省の古文書館には条約文22条と税則7則、4種の原本が日仏両国語とともに、誤読防止のための第3国語のオランダ語を含めて厳重に保管されている。毛筆で書かれた日本語は墨の匂いが立ち上りそうな鮮やかさで、江戸文化の頂点に立つ当時の教養豊かで折り目正しい武士の気概が読み取れる。同時に、筆頭署名者の水野筑後守(ちくごのかみ)忠徳以下、6名の幕臣の開国に対する並々ならぬ決意や覚悟も読み取れる。
仏側の署名者、ジャン=バチスト・ルイ=グロは、時の仏外相アレクサンドル=コロナ・ワレフスキに、「我々が全く好感を持ったこの知的で勤勉で精神的な人々」と報告し、日本人を称賛している。日仏は最初の出会いから、好スタートを切ったことになる。
日本では、「安政の5カ国条約」は一般的には“ 不平等条約” と言われている。日本に関税自主権を失った片務的な関税率や治外法権などを課しているからだ。当時の日本の国際的知識の欠如を利用したような条項が散見する。ただ、明治のジャーナリスト徳富蘇峰は日本側の交渉者が違っていれば、「あるいはより以上のもの[条約]ができたかもしれぬが、それよりも十中の八九は、より以下のものができたかもしれない」と述べ、一定の評価をしている。
この両国の出会いの重要性をいち早く認識して、「150周年の祝祭」を提唱した親日家かつ知日家のフランス人大統領がこの時期に居合わせたことは、歴史の僥倖といえる。そして、「安政の5カ国条約」のことなどすっかり忘れてしまった日本人もいる中で、「160周年」の行事が今年、ニギニギしく開催されることは、「フランス」が日本人にとって、まだまだ他国とは異なる魅力ある「行ってみたい国」であり続けるからかもしれない。
◇初出=『ふらんす』2018年7月号