移民大国にみる入管法(移民法)の変遷
日本で論議を呼んだ、外国人労働者の受け入れを拡大する改正出入国管理・難民認定法(入管難民法)が4月1日に施行され、最大34万5150人の外国人労働者の受け入れが見込まれる。移民大国フランスでも、労働者受け入れに関する移民法は常に内政の焦点になってきた。
フランスの移民の歴史は長い。1851年に38万人(人口の1%)、1931年には270万人(同6.58%)との数字がある。30年代に一気に増えたのは、両大戦間の安定期で労働力が急激に必要になったからだ。その後、大量の移民の流入を抑える移民制限法が成立した。
第二次世界大戦後も、労働力の需給状況を反映して移民法が何度か改正された。60年代まではキリスト教文明という共通項のある欧州系の移民が多かったが、70年代からはフランスの旧植民地のインドシナからはアジア系、北アフリカを含むアフリカ大陸からはアフリカ系やアラブ系の移民が急増した。
その結果、宗教や生活慣習の相違もあって、フランス人との摩擦が増加し、「外国人労働者、移民お断り」の風潮も生まれた。
74年には石油ショックの影響で不況に陥り、失業者が溢れた結果、労働力として歓迎されていた移民への門戸が、政令によって閉ざされた。
90年代以降は高失業率も加わり、「移民規制強化法」が何度か成立した。お家の事情で「外国人労働者」が歓迎されたり、邪魔者扱いされたり、と勝手な扱いを受けてきたわけだ。移民に関する制度改定は45年から98年までだけで、26回にのぼる。
移民受け入れに伴う滞在許可証や労働許可証の取得の条件は、総じて困難になった。不法移民がチャーター機で強制送還され、「非人道的な措置」と、政府が非難されたケースもある。滞在証明書の取得条件に、「仏語が話せること」が加わり、日本人駐在員の夫人たちが、必死で仏語の習得に励んだ時期もある。
フランスでは74年以降、「経済亡命」が認められなくなった。帰国した場合に迫害や生命の危険のある独裁国家などからの「政治亡命」だけが滞在を許可された。しかし、実際問題として、「政治亡命」か「経済難民」かの判定は極めて難しい。この数年は、政情不安が続くコソボやイラク、シリアなどからの難民が大量に流入したが、どう扱うべきかが外交の焦点になっている。
日本は目下、外国人労働者が必要な状況だが、未来永劫にこの状況が続くとは限らない。入管法のさらなる改正や再整備を視野に入れ、本格的な移民法や国籍法に関する論議が待たれる。
◇初出=『ふらんす』2019年2月号